江戸川乱歩 日本探偵小説の父

別冊太陽|2023.3.3
別冊太陽編集部/巻頭言=戸川安宣/サムネイルの写真提供=平井憲太郎 

 きっかけは、一人の青年が送りつけた原稿だった。「二銭銅貨」と題されたその小説は、推理ものといえば海外の翻訳が主流だった大正の時代に衝撃を与えた。巧みなトリック、謎解きの快楽、読者を裏切る結末――それは日本における本格探偵小説のはじまりだった。「二銭銅貨」を著した名もない青年は、敬愛するエドガー・アラン・ポーから名前をとり、「江戸川乱歩」として作家デビューを果たした。1923年のことだった。

 2023年は、江戸川乱歩のデビューから100周年となる。100年の間に、探偵小説は推理小説、ミステリと名を変えたが、その礎に乱歩の存在があることに変わりはない。

 別冊太陽2月発売号では、デビュー100周年を記念し、監修に戸川安宣氏を迎え乱歩の魅力に迫った。乱歩を愛する執筆陣による代表作品評や、乱歩の生涯を辿る評伝、コラムなどを揃え、あらためて「江戸川乱歩」を深く楽しめる構成を目指した。
 本書から、戸川安宣氏による巻頭言を再掲する。ぜひお手に取っていただければ幸いである。

江戸川乱歩新時代
戸川安宣

 私事から始める無礼をお許し戴きたい。
 ご多分に漏れず、昭和三十一(一九五六)年、小学三年の春、ラジオから聞こえてきた「ぼ、ぼ、ぼくらは少年探偵団……」の歌声が、その始まりだった。ドラマに原作の小説があることに気付き、手に取った江戸川乱歩の少年探偵シリーズに端を発し、ホームズ、ルパンと、定番の読書体験を重ねる。そして特筆すべきは児童向けにリライトされた世界の名作推理の叢書だった。巻末に付された簡にして要を得た解説には、その世界の魅力に導いてくれた作者の名が冠されていた。後年、それが都筑道夫氏の代筆であると知らされる。だが、乱歩が大先達であれば、この斯界きっての碩学は、宛ら導師といったところだった。万華鏡のように、差し込む光は複雑に乱反射して、思わぬ人との邂逅さえ生み出したのだ。小学校高学年のころに放送されていた民放テレビの犯人当てドラマ「この謎は私が解く」には乱歩が何度か解決場面で登場し、眼鏡の奥の目を細めてトリックの解説をする様が映し出されていた。

 その姿をブラウン管越しに仰ぎ見ていたころ、偶然、とある料亭で乱歩と遭遇した伯父から、甥っ子が先生の大ファンだと伝えるとそれなら会いにいらっしゃい、という驚くべき伝言を受けた。中学生の一読者にとって、作家は雲の上の存在である。第一、お目にかかって何を話していいのかわからない。辞退を伝える伯父に、では、と言って大作家は、あの「うつし世はゆめ 夜の夢こそまこと」というあまりにも有名な色紙を、ぼくの名を添えて書いてくださった。その訃報に接したのは高校三年の秋だったが、同時にそのお住まいが、通っていた中学のすぐ隣だったことを知る。色紙を戴いた時点でそれがわかっていたなら、下校時にうかがっていたのに……。

 その無念の思いは、だが翌年、ミステリクラブに入るんだ、と勇んで門を潜った大学にそのような同好会は存在せず、止むなく自分で創設する羽目となったその大学に、部長としてご子息が待っていてくださったのである。平井隆太郎先生は、当時、社会学部教授であった。さらに『探偵小説四十年』をはじめとする随筆類を読むにつれ、探偵小説への興味とともに、活字や延いては本作りへの関心が膨らんだ。卒業後、恰も定められた路線ででもあるかのように出版の世界へと身を投じたのである。

 今、ここにご寄稿いただいた方々の多くが、異口同音に自らの乱歩体験を語っている。これが江戸川乱歩という人の、ほかの作家と大いに異なる特色ではないだろうか。日本の本好き、就中推理小説好きの人たちにとって、今も乱歩の影響力は計り知れない。本書は、その多くの後輩作家、学徒、ファン、読者の思いが凝集した一冊になっている、と確信するものである。

別冊太陽『江戸川乱歩 日本探偵小説の父』より

 「別冊太陽」の編集部から、江戸川乱歩の特集号を作りたい、というお話があったとき、瞬時逡巡した。正直、新しいものが創れるのだろうか、という懸念が頭を過ったのだ。変身・隠れ蓑願望、少年愛、レンズ嗜好……といったキーワードとともに、これまで何度も語り尽くされてきたその作品世界に、新たな切り口などあるのだろうか。
 だが、それは単にぼくの無知による杞憂だった。時代は想像を遥かに超えて進んでいた。若い乱歩研究家や学徒たちが擡頭し、まったく新しい視点による研究も進んでいた。より微細な探究が行われ、個々の作品成立の過程も解明されつつある。作品の「読み」は、本誌に掲載された各評言によって、その深化の度合を実感していただけることだろう。

 そうであれば、できうる限り江戸川乱歩の実像を浮き彫りにしたい、という欲も出てくる。そのためには乱歩と直に面談し、その人柄を熟知する方の証言が不可欠だ。だが生誕百三十年、没後六十年も間近となると、やはりその謦咳に接した人を探すのは、容易なことではなかった。その意味でも、大作家の孫として身近に接してきた平井憲太郎氏は例外として、小林信彦氏の証を収録することができたのは正に僥倖と言うしかない。
 今回は充分に紹介できなかったが、乱歩と同じ鳥羽にあって、その編集する「日和」を愛読し、また後の乱歩夫人とも接触のあった方の日録の存在が明らかになるなど、在野における同時代人の証言が発見されたりして、この先の乱歩研究への期待は弥増している。

 わが国のミステリ・シーンのどの位相にも、乱歩は今も生き続けているのだ。

別冊太陽『江戸川乱歩 日本探偵小説の父』

目次

<巻頭言>江戸川乱歩新時代 戸川安宣
<巻頭グラビア>怪人乱歩の土蔵 蔵の中の幻影城
<エッセイ>
タイプライターの思い出 平井憲太郎
江戸川乱歩回想 小林信彦

〈乱歩を読む〉うつし世はゆめ 夜の夢こそまこと
 二つの「二銭銅貨」北村 薫
 トリックか動機か 恩田 陸
 “もう一つの世界”への扉――「屋根裏の散歩者」 芦辺 拓
 今でも隠れている 井上雅彦
 江戸川乱歩「人でなしの恋」の今 高原英理
 夜の夢への憧憬 和嶋慎治
 「パノラマ島奇譚」について 酉島伝法
 世界一の変な小説「陰獣」 三津田信三
 変容した身体の見る夢は 空木春宵
 「廻り舞台」の上で 横尾忠則
 幻想世界への没入 有栖川有栖
 「目羅博士」の散歩コース 大槻ケンヂ
 黒蜥蜴は女賊である 斜線堂有紀
 時代と怪人二十面相 はやみねかおる

少年探偵団を知るキーワード23 落合教幸
疾走する乱歩「少年探偵団」シリーズの光と影 紀田順一郎
乱歩事件マップ 野村宏平

〈評伝〉
乱歩の肖像 小松史生子

<小特集>
書簡からひもとく乱歩と作家たちの交流 影山 亮
貼雑年譜 整理魔・乱歩のスクラップブック

〈コラム〉
明智小五郎シリーズについて 落合教幸
乱歩の人形愛と現代のパノラマ 新島 進
乱歩とフェティコ/乱歩的フェティシズム 伊藤俊治
怪奇と幻想の乱歩 東 雅夫
少年探偵団の挿絵 堀江あき子
「新青年」と乱歩 浜田雄介
「屋根裏の散歩者」完成地について 宮本和歌子
探偵小説論争と乱歩――文学をめぐるせめぎあい 谷口 基
編集者としての乱歩――雑誌『宝石」をめぐって 石川 巧

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別冊太陽『江戸川乱歩 日本探偵小説の父』
監修=戸川安宣
平凡社刊行 定価2,970円(本体2,700円+税)

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