アール・ブリュットの展覧会「線のしぐさ Gesture of Lines」が東京都渋谷公園通りギャラリーで6月26日(日)まで開催中。
「線」という視点でキュレーションされた作品が集結する本展覧会は、アメリカのクリエイティブ・グロウス・アート・センターの協力のもと、日米のアール・ブリュットの作家の作品によって構成されている。クリエイティブ・グロウス・アート・センターは、1974年の創立から、一貫して障害のある人々の創作活動を支えてきた。
アール・ブリュット
アール・ブリュットは、直訳すると「生(き)の芸術」となる。今日では、広く、美術の専門教育を受けていない作家による、既存の芸術の文脈を汲まない芸術作品、と定義される。20世紀前半のフランスで生まれた「アンフォルメル」と呼ばれる抽象絵画運動の第一人者であるジャン・デュビュッフェが、アール・ブリュットという言葉の生みの親だ。
デュビュッフェは、既存の芸術の潮流や、メインストリームの権力が評価する芸術を拒否し、新しい表現を模索する中で、専門的な芸術教育を受けていない人々による創作活動と出会った。なかでも注目したのが、精神科医ハンス・プリンツホルンの著した『精神病者の創造性』という著書で、そこに収録された豊富な図版は彼に多くのインスピレーションを与えた(ただし、アール・ブリュットとは必ずしも障害を持つ人々のアートを意味しないということは、デュビュッフェ自身も述べているところである)。
1970年代に、美術評論家のロジャー・カーディナルがアール・ブリュットをアウトサイダー・アートと訳したことで、アール・ブリュットはますますその間口を広げた。
明確な定義が難しいアール・ブリュットだが、その表現は常に驚きと新鮮さに満ちている。
「線」からひもとく10人の作家
ギャラリーに足を踏み入れて、まず出迎えてくれるのは坂上チユキのドローイングだ。近寄ってみると、その細密さに驚くことだろう。描かれている線上に白い点描が雪のようにあしらわれている作品や、1本の線に複数の色を使ったカラフルな作品もある。繊細な線が織りなすのは、神話などの物語にインスピレーションを得た生命の表現だ。
太古より連綿と続く営みにひときわ関心を持った坂上の作品は、生命の長い歴史ときらめくような息づかいを感じさせる。
©SAKAGAMI Chiyuki. 提供:MEM
トニー・ペデモンテの立体作品は、糸や毛糸を廃材に巻き付けて作られている。一つの色の毛糸を巻き進めた後は別の色の毛糸を巻きはじめる、という制作方法によって、毛糸が層をなす。毛糸の1本1本が重なり合って生み出すフォルムが、空間をどのように区分していくのか、「線」としても着目したい作品が揃っている。
スージャン・ジャノウは、グリッドを描いて画面を埋めていくドローイングを多く制作している。手描きであるゆえに、ひとつひとつの格子は規則性を外れてゆき、ひとつとして同じ形にはならない。それでも念入りに描かれたグリッドには愛着さえ感じる。そのほか、描いた格子の枠内をカラフルに塗った作品なども展示されている。
©︎ Creative Growth Art Center.
東恩納侑による、針金を用いた立体作品は、もしも空中にペンで絵が描けたならこんな感じかもしれない、と想像させる。針金の歪みに、作家の手のあたたかみが感じられるのも「線のしぐさ」と言えよう。また、展示方法にも工夫がなされている。照明の当て方にこだわり、針金の影がちょうど展示台に落ちるようになっている。影の形でもまた「線のしぐさ」を感じられるしかけだ。
ドワイト・マッキントッシュのドローイングは、抽象と具象の間を行き来するような表現に注目。自身の経験や見たものをモチーフとして描き出すのが特徴で、筆跡や筆圧からは、線を描くときの衝動が伝わってくる。彼が思い描いたイメージが、ペンを走らせる勢いに乗って具現化される様子を「線のしぐさ」として観察したい。
齋藤裕一は、近年、作品がパリのポンピドゥ・センターにも収蔵され、世界的に注目されているアール・ブリュットの作家の一人だ。文字をひたすらに書いていくそのスタイルは、彼自身の思い入れを如実に伝える。『ドラえもん』など多くのテーマはテレビ番組名で、特定の1文字をピックアップし描いていく。1文字1文字の違いや重なりによる濃淡に着目して見ると、いろいろな表情を発見できるのが楽しい。
同じように文字をモチーフに作品を作るのがダン・ミラーだ。しかし、そのアプローチは齋藤とは異なる。ジャクソン・ポロックを想起させるような、絵の具によるペインティングはダイナミックで、文字という記号から解放されているようだ。また、タイプライターで単語を打ち込んだ紙の上に絵の具を重ねる作品など、アイディアの豊かさにも注目である。
西村一成は、自身の世界を迷いのない線で描く。彼はドローイングを素早い手さばきで生み出し、スケッチブック1冊を数日で埋めてしまうそうだ。本展覧会ではファンタジックな作品から、身近な人の似顔絵まで、19点が展示されている。よどみなく描かれた線がかたどるのは、口や目といったモチーフから、渦を巻くような抽象的なイメージまでさまざまだ。
松浦繁の木彫は、一見「線」というテーマとはちぐはぐであるように思うかもしれない。しかし、ノコギリで刻みつけられた表面や、削り出した面に塗り込められた絵の具から浮かび上がる輪郭は、「線」として捉えると豊かな表情を持つ。絵の具は指や手のひらで塗り込められており、まさに「しぐさ」を映し取っている。
展示の最後は、ジュディス・スコットの立体作品で締めくくられる。糸や毛糸、布の切れ端を巻き付けてつくられた作品は、さまざまな素材を内包した「繭」のようである。巻き付け方に規則はなく、その自由さが予期せぬフォルムやテクスチャーを編み出している。会場では、彼女の映像もあわせて上映されている。
©︎ Creative Growth Art Center.
「線のしぐさ」
私たちは線を引くとき、そこに意志を認めざるを得ない。いくら無意識に近い状態でペンを持ったとしても、脳だけでなく身体の運動も含めて、線を引くという意志が必ず存在するはずだ。説明できなくても、私だけが知っている次の一手のことを意志と呼ぶのかもしれない。そしてそれは、個性として表れる。
今回の展示のパンフレットに、次のような文章があった。
"「アール・ブリュット」の作品における線は、しばしば意図や計画とはかけ離れた、即興や偶然の結果とみなされます。反面、それは、作家の抑えがたい衝動や愛着、それに応じた身体の心地よい動きと離れがたく強く結びついています。そのため、作家のからだと心のしぐさは線にのりうつり、線はしぐさを生むのです。"
ギャラリーをぐるりと巡ってみると、この一文がより高い解像度で理解できる。
10人の出展作家、それぞれの作品を「線」というテーマで見たとき、そこに感じるのは、何かを表出しようという意志だった。そして、ここでいう意志とは、「作家の抑えがたい衝動や愛着、それに応じた身体の心地よい動き」に違いなかった。
展覧会概要
「線のしぐさ」
東京都渋谷公園通りギャラリー
会 期:2022年4月23日(土)~6月26日(日)
開館時間:11時~19時
休 館 日:月曜日
入 館 料:無料
問 合 せ:03-5422-3151
WEBサイト https://inclusion-art.jp/archive/exhibition/2022/20220423-133.html
会期、開館時間等が変更になる場合がありますので、必ず事前に展覧会ホームページでご確認ください。