伝説のアートディレクターであり、絵本作家でもあった堀内誠一さん。その痕跡を求め、彼が身近に置いた品々や大切にしていたものをそっと取り出し見つめます。家族しか知らないエピソードや想い出を、路子夫人、長女の花子さん、次女の紅子さんにお話いただきました。堀内さんのどんな素顔が見えてくるでしょうか?
第13回 ルイ・ヴィトンのトランク
談=堀内紅子
ルイ・ヴィトンのトランクがうちへやってきた時のことはおぼろげに記憶にあって、朝起きていくと、一面に模様がある強烈なカバンが居間を占領していたのでした。1970年のことで、あとから聞いた話では、父が「anan」の取材旅行中に立ち寄ったモナコのカジノで「大儲けした」お金で買ってきたとのことでした。
このヴィトンのトランクと肩掛けバッグはその後フランスに引っ越してきたときにも持って行きましたが、列車で移動して、その日の宿を歩いて探すバックパッカー的我が家の旅スタイルでは出番の機会があるわけもなく、主に棚に仕舞い込まれていました。季節外れの衣類か何かを入れていたのでしょう。肩掛けバックの方は、父がたまに使っていました。
普段の旅行には使いませんでしたが、日本への帰省には使ったことがありました。日本の夏を満喫し、食品やマンガのお土産をいっぱい詰めてパリ郊外・アントニーの家にたどり着き、さあ、開けるぞ! とヴィトンを開けようとしたら、あら不思議、開きません。なんと空港から持ち帰ったのは、違う人のヴィトンだったのです。
翌日、大慌てで母とオルリー空港の遺失物窓口のようなところへ行くと、いとも簡単に我が家のヴィトンが出てきました。ひと回り大きかったです。そして、こちらが持っていったどなたかのヴィトンは、なんのお咎めも、書類のようなものを書くこともなく、カウンターの後ろに見える、ずらりとトランクの並んだ棚のある部屋へ吸い込まれていきました。
うちのヴィトンは、10センチほどナイフで切られていました。間違えて持ち帰った人がいて、早まって開けようとしたのでしょうか?(ヴィトンのアフターサービスですぐに直してもらえました)。うちのヴィトンには油性ペンでHoriと書いてあります。この事件後に、ぼんやりな家族に呆れた父が書いたのだと思われます。
チャック式のスーツケースと肩掛けバッグ。堀内家にはルイ・ヴィトンのモノグラム柄のバッグが2つあります。もともとルイ・ヴィトンのようなブランド品にとりわけ興味のなかったという堀内さん。路子夫人や、花子さん、紅子さんも同じくそうしたブランド品を持つことはほとんどなかったそうです。ルイ・ヴィトンのバッグはどれも高額で、中でもチャック式のスーツケースは数十万円。決して気軽な買い物とは言えませんが、紅子さんが回想されるように、堀内さんがモナコのカジノで大儲けして買ってきたということであれば、なるほどと納得もいきます。
堀内さんが「anan」の取材でモナコを訪れたのは1970年。この時の記事は『パリからの旅』でも読むことができます。堀内さんは記事の中で、厳かな建物の様子から館員(スタッフ)の物腰、賭けを楽しむ人たちの興奮ぶりなどを丁寧に紹介し、自身がルーレットを楽しんだ時のことも書いています。なんでも「0」のところに置いておいたら「36倍」になったとか。それでも最後は賭金を使い果たしてしまったそうです。記事には「大儲けした」とはありませんが、このモナコのカジノで堀内さんの賭けの行方はいかなるものだったのか。わたしたちは推測するほかありませんが、旅を終えて日本に帰国する際に堀内さんがルイ・ヴィトンのバッグを持って帰ってきたことは確かです。
堀内さんがパリで手がけていたミニコミ誌「いりふね・でふね」の表紙絵に、このルイ・ヴィトンのスーツケースが登場します。教会からふわりと飛んでくる新郎と新婦。新婦が手にしているのは堀内家のものと同じです。堀内さんはここで、パリらしさを表現する小道具として描きこんだのかもしれません。
カジノで儲けたというのは、花子さんによると、おそらく堀内さんはそう言ってみただけではないかとのことです。モナコでカジノを堪能し、大儲けし、まだ日本ではあまり知られていないルイ・ヴィトンのバッグを買ってきたというのはお土産話としては面白い話です。1970年4月20日号の「anan」では、ルイ・ヴィトンのバッグをたくさん並べて紹介するページがあります。ですのでひょっとしたら、その時に、購入した可能性もあるわけです。真相はわかりませんが、いずれにしてもルイ・ヴィトンのバッグに、マーカで「hori」と書き込んでしまう堀内さんの大胆さには驚くほかありません。
(文=林綾野)
次回配信日は、3月31日です。
・ここで触れた書籍と雑誌
『パリからの旅』堀内誠一 1990年(マガジンハウス)
・堀内誠一さんの展覧会のお知らせです。
「堀内誠一 絵の世界」
2022年3月19日(土)~7月25日(月)
ベルナール・ビュフェ美術館 (静岡・長泉)
https://www.clematis-no-oka.co.jp/buffet-museum/exhibitions/1873/
休館日 水曜日・木曜日(ただし2022年5月4・5日は開館)
開館時間 10:00~17:00 (入館は閉館の30分前まで)
※2022年3月までは水曜のみが休館日です(つまり2022年3月24・31日は開館)。
<巡回展会期情報>
2022年7月30日(土)~9月25日(日)
県立神奈川近代文学館 (神奈川・横浜)
その後も巡回する予定です。
堀内誠一 (1932―1987)
1932年12月20日、東京に生まれる。デザイナー、アートディレクター、絵本作家。『anan』や『BRUTUS』、『POPEYE』など雑誌のロゴマーク、『anan』においては創刊時のコンセプト作りやアートディレクションを手がけ、ヴィジュアル系雑誌の黄金時代を築いた。1958年に初の絵本「くろうまブランキー」 を出版。「たろうのおでかけ」「ぐるんぱのようちえん」「こすずめのぼうけん」など、今に読み継がれる絵本を数多く残す。1987年8月17日逝去。享年54歳。