柚木沙弥郎が語る「旅の歓び」
構成・文=盆子原明美 写真=木寺紀雄
久しぶりに型を彫ってるからね。大変。昔だったらパッと切れたんだけど。この渋紙も昔のものと違うからね、うまく切れないんだよね。なかなかみんなの前でカッコよく切れないな。
この型染絵は、昔、作った『旅の歓び』という作品の続きだね。このふたりがね、昔の旅のおもしろかった話をしてんのよ。こんなことがあったよね、ああ、そうだったね、なんて。たとえ行き先が違っていても、それぞれがいろいろ思い出しながら意気投合して、わいわいと話をしてるの。
旅に出かけられなくてもね、思い出したり、話をすることでもう一度旅を楽しむんですよ。若けりゃね、もう一度、行けるだろうけど。でも、そう何度も同じところに行かなくてもいいの。僕にとってパリは特別な場所だから別だけど、だいたい同じところに2度行っても2度目のほうがよかったなんていうのはほとんどないね。最初に受けた印象っていうのが強く残るもんだからね。苦労して訪ねていったところなんて、よく覚えていますよ。
最初の旅行がいちばん印象が強いですね。1967年に僕が初めてヨーロッパを旅したときは、行く前にたくさん調べたし、いろいろな人から話を聞いたんですよ。今みたいにインターネットなんてないでしょ。だから大変でしたね。自分でヨーロッパの地図を描いたりしたね。芹沢銈介先生にもいろいろ教えてもらいました。
気軽に海外に行ける時代ではなかったし、2カ月も日本を離れるわけですから、大ごとでしたよ。出発するときには空港までみんなが見送りにくるんだもん。大変ですよね。
初めての海外旅行でひとり旅でしたから、最初は不安はありましたけどね。ひとりになるのはちっともさみしいことはなかったね。飛行機も苦手じゃなかった。すべてが未知の世界でわくわくしてましたよ。飛行機が厚い雲をかきわけて降りてゆくと、そこにパッと街が広がっているのが見えてくる。人が暮らしている街がそこにある。窓からずっと眺めながら、うれしかったね。
カイロやイスタンブールなんて、日本とは全然違いますからね。最初は驚くことばかりでした。食事も身につけている衣服も、生活様式もまったく違う。カイロに到着したのは夜だったから、空港からホテルまでタクシーで向かったのだけど、ホテルの人たちはもう寝てた。でもちゃんと起きてきてくれて、ドアを開けてくれた。みんな親切でしたよ。当時、日本人はめずらしかったしね。言葉はわからなかったけど、僕のことを見て日本人だとわかると、日本の自動車メーカーの看板なんかを指さして、教えてくれたりね。旅先で出会った人とのやりとりも印象に残りますね。
ヨーロッパでは、学生時代からずっと画集で見ていたような中世美術を実際に見ることができるというのはうれしいことでしたね。道を歩いていて、突然、思いがけないところでマリア像を見つけたりすると、それはわくわくしますよ。それまでは画集の中にある、遠い世界のことで現実味がなかったけれど、自分の目の前にあるという。うれしかったねえ。モノクロの世界から、色彩のある世界になるわけですから。
ひとりで旅をしていると、見るべきものを見ていなかったり、気づけなかったりすることもあります。でも、そういうことがあっても楽しいね。旅することで自分の世界が広くなる。
自分が生まれる以前からこの世に存在するかのような、もうひとりの自分に出会えるかもしれない。自分を発見するっていうのかな。ひとり旅では頼る人がいないでしょ。そういうスリル。それが旅のいちばんおもしろいところですね。自分を発見すること。それが旅の歓びだね。
PLAY! MUSEUM
企画展示「柚木沙弥郎 life・LIFE」
2021年11月20日(土)-2022年1月30日(日)
詳細はこちら