料亭での楽しい集い
新年度を迎えるこの時期は、桜の開花にも誘われて、親しい人と集まる機会も多いのではないでしょうか。
句会や習い事など、気の合う仲間と集まり美味しい料理を味わう場所として、江戸時代後期には会席料理の料亭が人気を集めました。八百善、平清など多くの名店を紹介する番付や浮世絵も刊行され、それらは広告の役割を果たしました。中には、初代歌川広重の「江戸高名会亭尽」のように、30図にもおよぶ料亭案内の揃物もあり、人気のほどがうかがえます。その一例をご紹介しましょう。

座敷では客と芸者が向かい合って両手を上げており、「狐拳」という遊びをしていることが分かる。縁先で浴衣を着てのんびりする客の目線の先には、美しい庭が広がっている。
この絵には、川魚料理で知られる向島の料亭、武蔵屋が描かれています。縁側から運ばれる料理も目をひきますが、室内から美しいと評判であった庭をのぞむ構図により、広大な敷地を誇る店構え全体が効果的に表現されています。よく見ると、縁先に座り庭を眺める男性は、白地の浴衣を着ているようです。実は武蔵屋はお風呂も楽しめる料亭で、揃いの浴衣を貸し出すサービスも行なっていました。多くの料亭がしのぎを削っていた当時、料理がおいしいのは当然のことで、料亭にはプラスアルファの楽しみ方を提案することが求められたことがうかがえます。この揃物は、料亭側から板元(出版社)に広告費が支払われた可能性があり、描かれる事物等には料亭の希望が反映されているのでしょう。美味しい料理もさることながら、好立地やぜいたくなしつらえの座敷の様子、自慢のお風呂など、店の個性を伝えることで、これらの浮世絵は広告の役割を果たしたのです。
美人画にみる女性向けの広告
江戸後期に刊行された、三代歌川豊国による「江戸名所百人美女」というシリーズにも、商家や商品の広告としての機能を確認することができます。この揃物は、こま絵(画中画)に江戸の名所を描き、その地名から連想される女性の姿を描くというコンセプトで統一されています。

手ぬぐいを顔に当てる女性は湯上りで、「小倉」の字が染め抜かれた浴衣を着ている。後ろに着物が脱ぎ捨てられているのもおもしろい。こま絵に描かれる小倉庵は、離れに複数の貸座敷があることでも知られる高級料亭で、横川と現森川が合流する立地から、遠出する人の待ち合わせにも用いられたという。
「江戸名所百人美女 小梅」には、手ぬぐいを顔に当てる女性が描かれています。浴衣に染め抜かれた文字は「小倉」と読むことができ、女性のそばに置かれた徳利を据える袴にも同じものが確認できます。この絵は、小梅にあった「小倉庵」という高級料亭の様子を描いたもので、こま絵にその外観を確認することができます。小倉庵は汁粉が名物で、女性客にも好まれたといいます。この絵の女性はお酒をたしなんでいるようですが、先に紹介した武蔵屋と同様に、お風呂に入りくつろぐ様子が描かれています。

こま絵には、化粧水「花の露」を販売する花露屋の様子が描かれる。店先の赤い幟は、紅粉を扱っていることを示している。本来、人目につかない場所で行なう化粧の様子を、あえて選んで描いているのもこの絵の見どころだろう。
「江戸名所百人美女 芝神明前」には、身支度に余念のない女性の姿が描かれています。この絵の注目ポイントは、足元に置かれている「花の露」と書かれた箱です。花の露は林喜左衛門という医師が作った化粧水で、これを用いると肌がととのえられ白粉ののりが良くなるといわれていました。明治期まで長く愛読された美容指南書『都風俗化粧伝(みやこふうぞくけわいでん)』(文化10年<1813>刊行)にその作り方が掲載されるほどの人気でした。画面左上のこま絵には、芝神明前にあった花露屋の様子が描かれています。芝神明前と聞けば、花の露を思い浮かべる女性も多かったのではないでしょうか。この女性は鏡台に向かい眉を剃っており、これから花の露を使い、きれいに白粉を塗っていく様子を想像するのも楽しい一図です。

小紋の着物姿で反物を選ぶ女性はお歯黒をしており、既婚者であることがわかる。こま絵には、富士山の手前に屋根付きの越後屋の看板が描かれている。越後屋は江戸の商家の中でも浮世絵に描かれることが多く、このこま絵のように外観を描いた作例も複数確認できる。
「江戸名所百人美女 駿河町」は、こま絵に描かれた富士山が目をひく一図です。「本店と出店の間に富士が見え」の川柳でも知られ、江戸有数の富士見の名所であった越後屋の様子が描かれています。越後屋(現在の三越)は伊勢松坂の商人、三井八郎兵衛高利が開いた呉服屋です。当時の呉服屋は割り引くことを前提に掛け値という高い価格を設定していましたが、越後屋は正札通りに現金で購入する「現金掛け値なし」という方法を用いて台頭しました。適正価格が分かりにくかった呉服を、誰でも一定の価格で購入できるようにしたとされ、この方法はほかの呉服屋でも用いられるようになります。引き札(チラシ)なども積極的に作成した越後屋は、広告という面でも他店をリードする存在でした。この絵の右側には、越後屋の商標「丸に井桁三」を付した火鉢が置かれており、越後屋の店内だと分かります。反物を手に取る若い女性が、嬉しそうに選んでいる様子が印象的です。この「江戸名所百人美女」シリーズでは、ほかに尾張町の呉服商、恵比寿屋の店先で布を選ぶ女性の様子を描いた作例があります。女性の日常生活を描き出す美人画において、呉服や化粧品、料亭など、女性が関心を示す江戸の名店の情報は、多くの鑑賞者に向けた広告の役割を果たしたのでしょう。
歌舞伎『外郎売』の宣伝効果
江戸時代に最新の情報を発信するメディアの役割を担った歌舞伎にも、商品やお店の宣伝が登場します。市川團十郎の家の芸、歌舞伎十八番の演目『外郎売』は、小田原名物の「ういろう」という薬を取り上げた芝居として有名です。「透頂香(とうちんこう)」の名で知られるこの丸薬は、腹痛や消化不良、痰咳、頭痛、動悸、息切れなどに効くといわれています。二代目市川團十郎が、喉の調子が悪いときに服用し、その効能に感激して芝居に取り上げたという逸話があります。舞台上でういろうを服用した主人公がよどみなく早口言葉を披露する姿は、江戸の人々の人気を集めたことでしょう。一筆斎文調による、三代目松本幸四郎の外郎売の役者絵は、当時の舞台の様子をよく表現しています。

左手に薬の包み、右手に扇を持つのは外郎売の定番のポーズ。背負った薬箱には菊と桐の紋が配され「ういろう」の文字が見える。
宿場町である小田原は、東海道を描いた浮世絵の揃物にもしばしば登場し、中には『外郎売』を題材に描いた作例も見られるなど、歌舞伎で上演されたことによる宣伝効果の大きさがうかがえます。歌舞伎役者の人気にあやかり、役者を広告塔にした薬や料亭などを紹介する浮世絵も複数確認できます。こうした状況から、江戸時代には業種ごとの販売競争が激しかったことがうかがえます。
板元や絵草紙屋で販売される「商品」である浮世絵が、料亭や呉服屋など他業種の広告の役割も担ったことは興味深く感じます。現在では、新聞や週刊誌、テレビ、インターネット等の媒体で広告が展開されています。宣伝の機能を果たした浮世絵は、こうした現代のメディアと同じ役割を担っていたといえるでしょう。広告という視点で作品を鑑賞するのも、一つの楽しみ方ではないでしょうか。
次回配信は5月12日です。次回は、災害や流行病を描いた浮世絵と江戸時代の暮らしの知恵について取り上げます。
藤澤茜(ふじさわ・あかね)
神奈川大学国際日本学部准教授。国際浮世絵学会常任理事。専門は江戸文化史、演劇史。著書に『浮世絵が創った江戸文化』(笠間書院 2013)、『歌舞伎江戸百景 浮世絵で読む芝居見物ことはじめ』(小学館 2022年)、編著書に『伝統芸能の教科書』(文学通信 2023年)など。