平安時代の御所を一部再現した「平安神宮」。平安時代にタイムスリップしたかのような気分が味わる。

『あさきゆめみし』と、物語の舞台となった「御所」

別冊太陽|2024.1.25
文=太陽の地図帖編集部 撮影(サムネイル)=栗原論

太陽の地図帖『大和和紀『あさきゆめみし』と源氏物語の世界』からの引用を交え、不朽の名作『あさきゆめみし』の作品世界を紹介する。

 「いづれの御時にか」で始まる『源氏物語』は日本最高峰の古典。天皇の皇子である光源氏の生涯を描く。『あさきゆめみし』は、『源氏物語』を漫画化したものだ。

 作者の大和和紀は、漫画化した動機を下記のように語っている。
――私にとっては、とても面白い物語なんです、『源氏物語』って。「起伏に富んだ大河ドラマ」のように思っています。女の子がみんなワクワクして読める、華麗な宮廷物語ですよね。・・・(略)・・・でも、私の周りには読んでいる人が、それこそ一人もいなかったのです。みんな、古典の名作として名前は知っているんですよ、でも、読んでいる人はいない。「あんな長いものはとても」「年を取ってからゆっくり読むわ」なんて言っていて。確かに原文はもとより、現代語に訳されたものでさえ、ちょっと難しい。もっとみんなに読んでもらいたい、漫画という表現によって読みやすく伝えられればと思いました。
(P15~16「大和和紀ロングインタビュー・第一部」より)

 漫画化により、『源氏物語』は、高貴な男女が綾なす、きらびやかな王朝絵巻として蘇った。その舞台は平安時代の「御所」だ。

 天皇の皇子として生まれた光源氏は、母親を早くに亡くし、後ろ盾もなく、父である天皇の庇護のもと、天皇の御座所である御所で育った。そんな光源氏が恋したのは、「おかあさまに生き写し」といわれる父帝の后妃、藤壺の宮である。

『あさきゆめみし 新装版』第1巻P62より

 「子ども」であった光源氏は御所を自由に行き来できた。御所の殿舎に住まう藤壺の宮にも「会う」ことができた。しかし、元服を機に、その関係に終止符が打たれる。元服とは大人の男になる儀式であり、婚姻が可能になる。そして、光源氏の最初の妻として葵の上が現れるのだが・・・・・・、先を急ぎ過ぎた。『あさきゆめみし』は、光源氏と藤壺の宮が隔てられたことを視覚化し、その切なさを余すところなく表現している。

『あさきゆめみし 新装版』第1巻P79より

 光源氏と藤壺の宮の禁忌の恋。その印象的な場面も、御所を舞台に描かれる。

――折しも、桐壺帝が朱雀院行幸を前に、宮中でその試楽を催す。主催する帝の胸には、懐妊中の藤壺に特別見せたいとの愛情が隠されていた。その試楽で、光源氏は夕映えに照らされながら青海波(せいがいは)を舞い、人々の感動を呼ぶ。そして、藤壺が皇子を産み、弘徽殿女御を越えて中宮となった翌々春の花宴でも、再び光源氏は舞い、袖をひるがえした。
 『あさきゆめみし』では光源氏が頭の中将と並んで青海波を舞う姿とともに、簾の向こうに舞を観る人々の視線を描いている。次のコマでは、その大勢の視線の中にある藤壺の視線を焦点化する。帝を裏切りながらも、光源氏は簾の向こうにいる藤壺だけに、渾身の愛をこめて袖をひるがえす。
(P47・橋本ゆかり「“青海波”とひるがえす袖」より)

『あさきゆめみし 新装版』第1巻P318~320より

 天皇は明治維新に伴い、御所を東京に遷されたが、「京都御所」は今も京都にある。建物自体は江戸期のものだが、古来の内裏の形を伝えている。一年を通じて、一般公開もされている。また、京都には、紫式部の時代の御所を再現した場所もある。「平安神宮」(京都市)がその場所で、平安京の大内裏の正庁である朝堂院が、実物の8分の5の規模で復元されている。2024年放送の大河ドラマ『光る君へ』は、平安神宮でクランクインしたという。訪れて、平安の王朝文化を偲んでみてはいかがだろうか。

太陽の地図帖『大和和紀 『あさきゆめみし』と源氏物語の世界』
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