「はじまりの場所」でめぐる創造の軌跡
国際的に高く評価され、多くのファンを持つ現代アーティストの奈良美智(1959- )。
青森県弘前市に生まれた奈良のホームグラウンドである青森県立美術館で、約40年におよぶ歩みを学生時代の作品から近作までたどる大掛かりな個展が開かれている。
本展は単館のみの開催で、期間は2024年2月25日までの約4か月間の長期にわたる。奈良本人のリクエストで真冬の雪の時期に合わせたという。通常は観光客が少なくなる時期でもある。開催前日の記者会見の席で、奈良はその意図を語った。
「雪が降る期間にしたのは、青森の冬を体感してほしかったから。自分(奈良)が見ていた風景、ふれた空気と一体になって美術館に入ってきてくれたらなと思いました」
本展を企画した、同じ弘前出身である高橋しげみ学芸員も「美術館の外に続く作家の郷里の風景へと、この展覧会を通じた体験が、訪れる人にとって、希望をはらんだ何かしらの『はじまりの場所』となることを願ってやみません」と表明している。
作家と美術館の双方がこの展覧会に寄せた想いは同じなのだ。それは2011年の東日本大震災からの12年間を振り返り、よりどころがない不安を感じている人たちに、ここから希望を届けられればという「祈り」ともいえよう。
この展覧会に実際に来てみて、自分は孤独ではなく、大きなまなざしで見つめられているようだったことは確かである。
「奈良美智 The Beginning Place ここから」は5つのセクションの展示空間で構成されている。その出品作の一部と奈良美智の言葉をあわせて紹介したい。
1 家
1980年代の初期作品がまとまって紹介されることは本展がはじめて。奈良がドイツへ行くまでの作品は「家」がひんぱんにモチーフとして登場していた。
一番最初の作品は「カッチョのある風景」(1979年)。カッチョとは、津軽地方で風除けに立てた木柵のこと。
「自分だったら恥ずかしくて出せない油絵。友だちが僕が捨てたのをわざわざ拾って持っていた」(奈良)
これは奈良が予備校で講師をしていた頃の教え子だった杉戸洋が、奈良が放置していた作品を見つけて保管しておいたもので、本展が初公開。
2 積層の時空
これまでの画歴の中で繰り返し描かれてきた少女像は、近年は複雑な絵具層に基づく色彩表現によって、あいまいな輪郭線の奥行きから生まれる作品に変遷してきた。幾層にも塗り重ねたレイヤー(積層)に吹き込まれた生命が、対峙する者の感性をゆさぶってくる。
「偶然を必然として受け止める描き方をいつもしていて、片目がうまく描けないから絆創膏を貼るとか、その場で思いつくことをやっている。……最後までやって、やっと気づくというやり方」(奈良)
毎回描く方法は違っている、と奈良は語っている。生み出したい絵は常に脳みそのシワの奥にあり、さまざまな思考を繰り返して最終的に「思いつく」瞬間にたどり着くそうだ。
3 旅
2011年に東日本大震災に見舞われ、奈良自身にもすべての方向転換が生じた。筆をとることもキャンバスを張ることもできず、何かを探り求めて粘土を触り始めた。
「夏から冬まで素手で粘土と格闘する中でリハビリテーションを行って。……粘土と対話していると考えなくていいんです。その中で自分のルーツや東北のことを考え、調べるようになった」(奈良)
「自分の時間軸に一本の幹を見つけたい」という意欲に根ざした過去あるいは歴史への関心に発して、奈良は北海道、サハリン、台湾の辺境への旅に出た。サハリン島は亡き祖父が炭鉱の出稼ぎに行っていたことを母から聞き、祖父が見ていた風景を見たいと思ったのがきっかけだったという。
「写真を撮るのは自分で自分の感性を再確認するために」(奈良)
そしてアフガニスタンの難民キャンプも2002年に訪れた。そこで出会った人々は、意外にも普通にいきいきと暮らしていて、子どもたちは人懐っこかった。今回、会場には「アフガン小屋(青森バージョン)」が設置され、内部で奈良が撮影した画像がシーツのような布地に映写されている。
小屋の入り口が閉まっていて中に入れないのは、「自分は当事者じゃなくて旅人だから」と奈良は言葉少なに語ったが、これは現地の小屋ではなくてあくまでも自分のイメージとしてあるものとして一種の境界をはさんだのだろうか。
4 No War
初期作品からのモチーフとして反戦のメッセージやピースマークが奈良の作品に内包されてきた。それは1970年代、戦争と暴力に対抗したミュージシャンの音楽に影響を受けた奈良のポリシーとなっている。
そして震災後に原発の再稼働に反対するデモで、ドローイング「No Nukes」が奈良公認のもとに複製されてプラカードとして掲げられるなど、サブカルチャー的なやり方で大衆に反原発のメッセージを浸透させる活動を続けてきた。
展示室の中につくられたインスタレーション「平和の祭壇」は、奈良が個人的に集めたおもちゃが独特の配列で並べられている。この祭壇の横の壁面にも、いろいろなおもちゃが飾られているが、これだけの物量を奈良は自分で並べる作業をしている。そもそも会場の展示全てを奈良が配置している、それもたった5日間で!
「ここの美術館、つくられるときから知っていて、構造や空間は体が把握してるんです。だから展示も自分の部屋の内装を変えるくらいの感覚で」(奈良)
トークショーでも、「自分は物をつくるより、物を配置するほうが才能があると確信した」と語っていた奈良だったが、学生時代には何でも出来る人として「Nara Can」(ナラキャン)という異名で呼ばれていたという。
5 ロック喫茶「33 1/3」
弘前で高校生のときには地元のライブハウスに出入りしていた奈良は、高校3年生のときに先輩に誘われて、ロック喫茶の店舗づくりに参加した。手作業で建物の外装から内装まで仕上げ、DJブースに入ってレコードを選んでかけていた。そこに集まる人たちとの交流が始まり、小さな共同体となっていた。
「そこで僕は、はじめて好きなことが出来る仲間たちと出会いました。みんなでつくったロック喫茶が自分の出発点になっているんだなと」(奈良)
1980年に閉店して取り壊されたロック喫茶が、展示会場に忠実に再現されている。まさにタイムスリップして、ここに当時の奈良やその仲間たちがいるような感覚にひたれる。
壁面には奈良自身がコレクションしたアルバムがずらり。この世代にはキュンとくるはず。
奈良の「はじまりの場所」としてソウルを感じる展覧会。それは理不尽な常識から自由への追求をし続けた作家の態度表明であり、その一本の幹がここに通じていたのだと思われた。
また次回、雪の中を訪れて、真っ白いあおもり犬を眺めてみたい。
展覧会概要
「奈良美智 The Beginning Place ここから」
会場:青森県立美術館
会期:2023年10月14日(土)〜2024年2月25日(日)
休館:10/23(月)、11/13(月)、27(月)、12/11(月)、25(月)−2024.1/1(月・元日)、9(火)、22(月)、2/13(火)
時間:9:30-17:00 (入館は16:30)まで 10/21(土)、11/18(土)、12/9(土)、2024.1/20(土)、2/17(土)はナイトミュージアムにつき20:00まで開館(入館は19:30まで)
料金:一般1,500円、高大生1,000円、小中学生無料
青森県立美術館ホームページ www.aomori-museum.jp
写真:Artwork©Yoshitomo Nara Photo©Ryoichi Kawajiri