猫を通して日本を知る、「ゆかし日本、猫めぐり」。
第34回は、猫を愛する者なら共感せざるを得ない、きゅんとくる瞬間を浮世絵師月岡芳年の言葉とともに。
「猫にメロメロ」
猫と人間では、モノの使い道が違うらしい。
喉が渇けば、どこでも水飲み会場になり、
気に入れば、どこでも休憩場所になる。
人間の都合も何のその。
歩きたいところを自由に歩き、
自分の「見立て」でモノを扱う。
もっとも、先住者(?)には気を遣うらしい。
これこれ。
内心ヒヤヒヤしながらも、
強くたしなめられないのは、
何を言っても効き目がないことを、
猫好きは知っているから。
たとえ仕事の邪魔をされても、
「いけないねえ。でも、まあいいか」。
こんなに小さな生き物なのに、
人をメロメロにしてしまう。
猫って、ホントに不思議。
「タマちゃん、いけないねえ」
――月岡芳年 (参考:別冊太陽 日本のこころ 196『月岡芳年』)
幕末から明治中期にかけて、浮世絵師として活躍した月岡芳年(よしとし)。大胆で迫力ある構図と躍動感あふれる筆力で、歌舞伎や講談の残虐シーンや、戊辰戦争を題材にした錦絵(多色摺りの木版画)を手がけ、名を上げた芳年だけに、なにかと凄惨で血みどろのシーンを描いた作品ばかりが注目されがち。だが、その作品は多種多様。歌舞伎役者を描いた役者絵をはじめ、歴史上の武将を題材にした武者絵や、歴史的事件を取り上げた歴史絵、さらに妖しい幻想の世界をイメージ化した妖怪画や風俗画、美人画など、54年の生涯で幅広いジャンルの作品を世に残した。
10代初めの嘉永3年(1850)に、人気浮世絵師の歌川国芳(くによし)に入門。当初は武者絵の第一人者だった師の画風を踏襲し、芳年も武者絵や役者絵を数多く手がけたが、20代後半に、鮮血の描写が強調された作品を立て続けに発表したことから、「血まみれ芳年」と呼ばれるほどに。
時代は幕末維新の動乱期。元号は明治となり、江戸も東京に改称され、世相は刻一刻と移り変わっていた。美術の世界でも洋画に対する関心が高まり、油絵の展覧会が開かれるなど、欧化の波が押し寄せる一方、日本の伝統的な美術を守ろうとする動きも出始めていた。芳年はそんな激動の時代のなか、伝統的な浮世絵の画法を大切にしながらも、油絵の明暗の描写など、絵画のさまざまな技法を研究し、積極的に取り入れていく。人物を描くにあたっても、写生を重視。人間の情念にも深い関心を寄せ、晩年の美人画では、従来の浮世絵の型から脱した、表情と仕草だけで女性たちの内面描写を試みている。その一方、躍動感ある動きの瞬間を、ストップモーションのように止めて見せる技法にも挑戦。鍛錬を重ねた筆力により、伝統的な歌舞伎のシーンを描く際も、リアリティを追求した描写がなされ、幽玄で雅な日本画風の浮世絵という、独自のスタイルを切り拓いていった。
そんな芳年の知名度をいっそう高めたのが、新聞の存在。明治時代は写真や活版印刷の登場で浮世絵界が翳りを見せ、代わりに新聞の挿絵が浮世絵師たちの活躍の場になっていた。芳年はそんな時流をうまくつかみ、新聞という不特定多数の読者を持つ新しい情報メディアで、二葉亭四迷の連載小説『浮雲』や、西洋の翻訳小説などの挿絵を数多く手がけ、人気絵師となった。
一方で、猫好きでもあったらしい。初期には猫と鼠の戦いを、武者合戦仕立てにした作品を手がけている。飼い猫、タマの可愛がりようも尋常ではなかったようで、ちょっとでも姿が見えなくなると、弟子に探しに行かせ、タマが暴れて自分の絵を破いてしまったときも、けっして怒らず、「タマちゃん、いけないねえ」と言うくらいで済んだという。
猫にメロメロな人間は、ここにもいる。そう思うと、嬉しくなる。
今週もお疲れさまでした。
おまけの1枚。
(ホントはあたし、かわいいの)
堀内昭彦
写真家。ヨーロッパの風景から日本文化まで幅広く撮影。現在は祈りの場、祈りの道をテーマに撮影中。別冊太陽では『日本書紀』『弘法大師の世界』などの写真を担当。著書に『ショパンの世界へ』(世界文化社)、『おとなの奈良 絶景を旅する』(淡交社)など。写真集に『アイヌの祈り』(求龍堂)がある。
堀内みさ
文筆家。主に日本文化や音楽のジャンルで執筆。近年はさまざまな神社仏閣をめぐり、祭祀や法要、奉納される楽や舞などを取材中。愛猫と暮らす。著書に 『カムイの世界』(新潮社)、『おとなの奈良 心を澄ます旅』(淡交社)、『ショパン紀行』(東京書籍)、『ブラームス「音楽の森へ」』(世界文化社)など。