インタビュー・宇野亞喜良
変容しつづける冒険

ピックアップ|2024.5.7
文=金丸裕子/撮影=白石和弘/作品画像=©AQUIRAX

戦後の日本におけるグラフィックデザイン、イラストレーションの成立に大きく関わってきた宇野亞喜良。才能を開花させた1950年代から90歳を迎えた現在まで新作を発表しつづけ第一線で活躍する宇野に、1960年代、70年代のクリエイターたちとのエピソードを語ってもらおう。

日宣美でデビュー

東京オペラシティ アートギャラリーにて、宇野亞喜良のキャリアを網羅した過去最大規模の展覧会「宇野亞喜良展 AQUIRAX UNO」(4月11日から6月16日まで)が開催されている。宇野はこれまで時代を超え、世代も超えて人々を魅了する作品を発表しつづけてきた。会場では10代20代を含む幅広い世代が作品に熱い視線を投げかけていた。
室内装飾家の父から絵の手ほどきを受け、中学生の頃から家業を手伝っていたという宇野は、高校2年生のときに新聞で「壁画・彫塑なんでもアッパレ16歳の少年藝術家」と称賛された逸話をもつ。世に出るきっかけは、デザイナーの登竜門だった日本宣伝美術会(日宣美)での入選である。

宇野亞喜良のアトリエ。天使や巻貝などを合体させた手作りの鏡や、黒うさぎのぬいぐるみなど壁に飾ったお気に入りたち

印刷だからこそ実現できる表現

日宣美は、山名文夫、新井静一郎、河野鷹思、亀倉雄策、原弘、今泉武治、高橋錦吉が世話人となり1951年に発足した全国組織の広告美術家集団だった。まだグラフィックデザインやイラストレーションという領域が社会で認知されていなかった時代に、デザイナーの地位の向上を図る組織として、さらにはイラストレーター発掘の場としても機能していた。当時の宇野にとって、「日宣美の賞を獲得して会員になることが、ただひとつの夢」だったという。
「上京して、カルピス食品工業の宣伝部に配属されました。1956年に5点のB全ポスターで日宣美に応募して、そのうち1点が特選になりました。前年に日宣美賞をとったのが杉浦康平さんです。僕は杉浦さんを尊敬していて、杉浦さんの家へ行くようになりました。僕は印刷が好きなんです。印刷はイラストを確実に復元するものではなく、印刷だからこそ実現できる表現やメカニズムに関心がありました。そのことを勉強している時代に杉浦さんと出会って刺激を受けているんですね」

尊敬する先輩、杉浦康平と合作した「越路吹雪リサイタル」ポスター (1959年/アートディレクション:杉浦康平)

日本デザインセンターの下地づくり

1950年代の終わり、フリーランスになった宇野は、「21の会」で亀倉雄策や山城隆一といった巨匠と出会い知見を広げていく。
「21の会は、亀倉雄策さんと山城隆一さんがボス的な立場で、毎月21の日に六本木の国際文化会館に集まり、持ち寄った作品を批判し合ったりするんです。杉浦康平さんや粟津潔さんも参加されていました。われわれ若手も声をかけられました。建築家から理論を聞く会があり、清家清さんのお宅を見せてもらいました。日本のヌーヴェルヴァーグと呼ばれた何人かの映画監督と話をしたりしましたね。宇治の平等院や日光東照宮にも行きました。移動のバスの中ではマイクが回ってきて理論を述べ合うんです。1年後に日本デザインセンターが結成されて、僕たち若手はスカウトされたのですが、21の会は日本デザインセンターをつくる下地だったのかもしれません」

多彩なアイデアを投入して表現された「マックスファクター」の新聞広告(1965~68年)

人の目を惹きつけて、ぎょっとさせたい

1964年、宇野は日本デザインセンターを退職。同僚でもっとも仲が良かった横尾忠則、そして原田維夫とともに「スタジオ・イルフイル」を設立する。自分たちが描いたイラストをしゃれたデザインで構成して広告を制作するという理想を掲げていたが、広告の仕事はほとんどなく、1年後には解散した。
「僕にマックスファクターの新聞広告の依頼が入ったので、イルフイルを退会しちゃったんです。マックスファクターの広告では、写真家の藤井秀樹さんをはじめ、作詞家の安井かずみさん、ファッションデザイナーのコシノジュンコさんなどいろいろなクリエイターと組みました。藤井さんが撮った女の子の写真の目の下に涙の雫がダイヤモンドになっている絵を入れたり、ボッティチェルリの絵にスタジオで撮影したモデルの写真を貼り込んだり、毎回、誰もやっていないことを考えました。人の目を惹きつけて、ぎょっとさせたい。そして自分もぎょっとしたい。それは今も変わりません」

演劇実験室◎天井棧敷『毛皮のマリー』フランクフルト公演ポスター(1969年)

盗まれるほどのポスター

寺山修司との仕事が宇野を演劇へ導く。きっかけは寺山が手がけた叙情的なアンソロジー本「For Ladies」シリーズ。これは宇野が少女をイラストとして描いた最初だった。1960年代の終わり、寺山はアングラ劇団「天井棧敷」を結成。宇野の制作した天井棧敷のポスターは、貼っても剝がされてしまうほど一世を風靡する。これ以降、宇野は演劇にも手を広げ、これまでの広告や挿絵、装丁に加え、舞台のポスターのほか、舞台美術や芸術監督など幅広い仕事を手がけてきた。
「ジャンルによって意識的な変容っていうのはなくて、自分の作品の中に入り込んで、認められればその領域が増えるみたいなことでした」
自分が変容していくことを楽しみたいという冒険心が、進化する作品を生み出しつづけているのだろう。

宇野亞喜良

うの・あきら/1934年愛知県生まれ。カルピス食品工業、日本デザインセンター、スタジオ・イルフィルを経てフリーランス。日宣美展特選、講談社出版文化賞さしえ賞、日本絵本賞などを受賞。絵本作品に『白猫亭 追憶の多い料理店』『上海異人娼館』(原作:寺山修司)など。

展覧会概要 「宇野亞喜良展 AQUIRAX UNO」東京オペラシティ アートギャラリー

東京オペラシティ アートギャラリー
会期:2024年4月11日(木)〜6月16日(日)
開館時間:11:00〜19:00(入場は18:30まで)
休館日:月曜日
入場料:一般1,400円、大・高生800円、中学生以下無料
    障害者手帳提示者と付添者1名は無料
問い合わせ:050-5541-8600(ハローダイヤル)
公式サイト:https://www.operacity.jp/ag/exh273

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