「紫式部図」伝谷文晁筆 ColBase (https://colbase.nich.go.jp/)

『源氏物語』を読む前に知っておきたい、 平安時代の常識と教養を学べる絶好の書!

ピックアップ|2024.1.29
エディター・竹内清乃

昨年1月から12月まで毎月1回連載しておりました「有職故実で見る源氏物語」が、大幅な書き下ろしを加えて「詳解『源氏物語』文物図典 −有職故実で見る王朝の世界−」という書籍になりました。1月26日より全国書店で発売中です。

今まさにNHK大河ドラマ「光る君へ」も始まり、紫式部と『源氏物語』のブーム到来です!
本書の著者で、有職故実研究者の八條忠基先生に番外編として、『源氏物語』のユニークな豆知識や本書で伝えたかった思いを語っていただきました。

『源氏物語』は、執筆当初は大衆小説だった?

大河ドラマ「光る君へ」が始まりましたが、細部まで良い考証がなされています。随所に『源氏物語』のネタなども挟まっていて、見どころ満載ですね。私としても以前から、平安時代の「雅」の文化を多くの人に知ってもらいたいと思ってまいりましたので、ドラマもさらに盛り上がっていただきたいですね。
さて、『源氏物語』は紫式部が書いていた当初から大人気でした。すでに鎌倉時代から解説書も生まれて900年以上にわたり、研究され続けてきたものです。そうした膨大な研究があるので屋上屋を重ねるようではありますが、本書「詳解『源氏物語』文物図典 −有職故実で見る王朝の世界−」は、有職故実研究の観点、文学研究とは別の観点からから見てみようかという試みをしたものです。
『源氏物語』を描き始めた頃の紫式部の記述は正確ではないとされます。まだ出仕していない頃ですので、宮中の実際は詳しく知らなかったのです。大河ドラマでいうと、町中をサンダル履き(笑)で走り回っている状態です。
紫式部は『源氏物語』が評判になってから道長に呼ばれて宮中に行ったのですが、それはたぶん「澪標」の帖のあたりから出仕したと思われます。そのあたりから上流階級の生活の記述が正確になっています。
初期の方で紫式部が書いていたのは、いわゆる笑いあり涙ありの大衆小説だったのです。それが読者に育てられ、だんだんと精神性が高まっていったといえます。一大巨編的なマンガと似たようなケースです。

末摘花には実在のモデルがいた

では、別の観点から読み解く例をあげてみましょう。
『源氏物語』の登場人物の「末摘花」は、不美人の象徴と言われ続けてきましたが、じつは末摘花には実在のモデルがいました。
重明親王(906-954)の子供の源邦正(生没年不詳)という人ですが、その容貌は背が高くてやせていて、鼻が高く、青白い顔をしていたと「今昔物語集」に出ています。「青侍従」と呼ばれていて、日本人離れした容貌で表現されています。
ちなみに「落窪物語」にも「面白の駒」という不細工な男の人が出てきますが、やはり色が白くて馬面という似たような容貌です。そうした源邦正のような容貌表現が、当時の醜男の共通認識だったのでしょう。
重明親王は北方交易と関係のある人物らしく、黒貂の毛皮の逸話が有名です。渤海(ぼっかい)の使節が一枚の黒貂の毛皮を自慢げに見せびらかそうとすると、重明親王は黒貂の毛皮を八枚も着てきたので、使節は恥入ったという話です。
これをふまえますと、末摘花が亡くなった父の常陸宮が持っていた黒貂の毛皮を譲り受けたというのですから、どう考えても末摘花のモデルは源邦正です。
そして、北方交易でコーカソイド(白人系)のソグド人も日本に来ていたとすると、白人の血をひくハーフが生まれることもあったと考えられます。源邦正は、もしかすると重明親王と白人のハーフの子なのかもしれない。当時はかなり目を引いたでしょう。
今の観点から見れば、末摘花はハーフタレントのような背の高い美人だった可能性もあります。平安時代の常識や背景を知ると、これまでとは見方がいろいろ違ってきます。

登場人物の名称について

本書の特徴として、一般的に使われている人物名をあえて使っていません。
たとえば室町時代から、源氏の一人息子は「夕霧」としていますけれど、原文ではまったく出ていなくて、「夕霧」の帖の主人公なので夕霧と呼ばれているのですが、それは本当はおかしいのです。
当時は相手のことを官職名で呼ぶのが常識だったのです。実名つまり諱(いみな)を呼ばない。諱を呼んでいいのは、自分より目下の人間です。源氏が「これ、惟光」と家来を呼ぶと、一人称で「はい、惟光」と答えるのです。諱を呼ばれるのは相手から支配されているということですから。
「葵の上」も原文ではそういう名前では出てきませんから、本書では「源氏の正妻」と記しております。読者の方にはちょっとわかりにくかと思いますが、やはり有職故実の考え方でいうとそうなります。「近江の君」などは本文にも出てくる名前なので使っておりますが、それ以外の通称はあえて使っておりません。
『源氏物語』では光源氏のことも「源氏」と呼んでいます。源氏がつく人はいっぱいいるのですが、本書でも主人公は「源氏」としています。
人間関係が複雑ですから、左大臣家や右大臣家など、どちら側なのかわからなくなってしまいますね。系図を付しているので見ていただければと思います。

都落ちの位置関係

「須磨」の帖で、源氏は自ら選んで都落ちをして行きます。なぜ須磨だったのか。一つには在原業平のお兄さんの行平が何かトラブルを起こして須磨に行き、隠居をしたという故事があるからです。もう一つの大きな理由としては、須磨は山の麓までが摂津国で畿内なのです。当時、一定以上の位の人とは許可なく畿内から出てはいけない決まりがあったので、須磨までは自由移住が可能だったのです。
しかし源氏は須磨で暴風雨に遭って、明石の入道に従って船で明石へ行きます。これは完全に都落ちになるし、心理的抵抗もきつかったと思います。
今ですと須磨は兵庫県ですし明石まで電車で10分くらいです。実際に行ってみると須磨と明石の境に鉢伏山があり、海のギリギリまで山が迫っています。この山を越えると山陽道は播磨国・明石という、当時の人にとっては相当な精神的負担を感じさせる場所だったのでしょう。
不思議なのは大津の石山寺です。近江国は東山道、畿内ではないので、公卿たちは気軽に石山寺へは行けないはずです。でも源氏は「関屋」の帖で石山寺に参詣しています。当時の源氏はそれだけ自由に動ける立場、権力を持っていたということでしょうか。

須磨海岸から国境の鉢伏山を望む

何気ない記述にも深い事実がある

『源氏物語』はフィクションですから、いくつか破綻しているところもあるのです。
紫式部は「いづれの御時にか‥」と書き出していますが、時代としては書いた時から50~60年くらい前の、村上天皇の御代あたりを基準にしているといわれます。
ですが紫式部はつい筆がすべったのか、現実世界で見たことをそのまま書いてしまっているところがあります。
たとえば「一位」や「二位」の高位の身分の人が着る「位袍(いほう)」は、物語に描かれる時代では紫であるはずですが、「若菜下」の帖で「黒き袍」と書いてしまっています。これは逆に言えば、紫式部の執筆当時、もう紫ではなく黒い袍を着ていたという証明にもなるわけです。
われわれでも50~60年前の終戦直後のことは実際に見ていなくてわからなくても、聞いた話で書いていることがありますね。そして紫式部は過去の事実をうまくフィクションの中に入れているところがあります。それが読者の「あるある」感を刺激して、受け入れられたのでしょう。末摘花の容貌描写や黒貂ばなしも、源邦正のことを知っている読者ならば、「ああ、あれね」とすんなりと受け入れたことでしょう。
また「若菜下」の帖で、源氏は明石の御方を「五月待つ花橘」に例えています。タチバナは初夏に花が咲く頃になっても前年の秋に実った果実がついています。原文で「花も実も具して」と表現されているところに注目しましょう。つまり明石の御方は源氏にとって大切な娘を生んでくれた女性なのです。源氏をとりまく女性たちの中でも特筆すべき存在でしょう。それが「花も実も具して」なのです。
その部分を読んだ平安時代の読者たちには、タチバナといえば共通認識でわかる事柄ですが、本書「詳解『源氏物語』文物図典 −有職故実で見る王朝の世界−」では、そういう事実を補いたいのです。

花も実も具したタチバナ

より深く『源氏物語』を味わうために

『源氏物語』はフィクションとはいえ、今の感覚では不思議なことも、よく読めばわかることがあります。
源氏は最後まで女性たちと華やかな関係を持ちながら、さして悪い評判は立ちません。それは源氏が女性たちを絶対に経済的に見離さないからです。藤壺の中宮へ忍ぶときには侍女が手引きをしています。こうした例は他にもありますが、侍女たちにとって源氏につけば経済的に安泰だから主人である姫君に手引きするのです。そして当時は女系家族で、女性が産んだ子はその家の子供になりますので、今と違って通い婚でも女性側のリスクは少なかったのでしょう。
物語を通して、平安時代に生きた人にも喜怒哀楽があって、派手なことをしたい人がいれば地味な人もいて、普通に日々の生活をしていたことが描かれています。
『源氏物語』が有名になると、今度は現実世界の方が『源氏物語』に合わせるようになってきます。「源氏物語に書いてあるから」という理由で現実の方を変えていったりします。ですから有職故実も『源氏物語』を勉強しなければならない部分も出てきます。そういう意味で本書は、有職故実から『源氏物語』を見ると同時に、『源氏物語』から有職故実を見るという、両方の側面を持っている本といえます。
本書では原文中の事柄に触れ、それを解説で詳解するという形式をとっております。ですから、本書を読んでから『源氏物語』を読んでいただくといいかもしれませんね。描かれた時代の暮らしや事情がわかり、本来の意味にも通じると、より深く物語を味わえると思います。基本的知識を身につけた上で、当時の読者のように「ああ、あれね」と源氏物語を読んでいただくことが、著者の本当の狙いなのですよ(笑)。 

詳解『源氏物語』文物図典 −有職故実で見る王朝の世界−
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