人の心の「わからなさ」を見つめ続けた、臨床心理学者・河合隼雄。いま、改めて、出会うこと。

別冊太陽|2023.10.30
文=内海陽子(編集者)

7月の刊行以降、大きな反響をいただき、早々に3刷となった別冊太陽『河合隼雄――たましいに向き合う』(監修=河合俊雄)。数百冊に及ぶ著作、悩めるこころに寄り添う数々の言葉。稀代の臨床心理学者・河合隼雄という存在は、今なお、数多くの人びとのこころに強い影響を与え続けています。心理療法という領域を日本に切り拓いた第一人者、そして西洋のユング心理学から出発しながら、日本人の心の深層を探り、個々の悩みに寄り添う方法を独自に模索し続けた臨床心理学者。河合隼雄とは、いったい何者なのか? そして、いま河合隼雄を読むこととは? そんな思いから、河合隼雄の世界に迫った本誌の読みどころをご紹介します。

「河合隼雄」を生きる

 河合隼雄は、1928年、男7人兄弟の5男として、自然豊かな兵庫県・篠山盆地に生まれました。4歳の頃、すぐ下の弟を亡くしたことから「死」を意識しはじめ、同時に、「善悪の判断」や「悪」について考えたり悩んだりする子どもだったと回顧しています。また、本を読むのが好きで、「物語」の世界に心を遊ばせました。戦時下の暗い時代に育ち、懐疑心や批判精神の強い隼雄少年でしたが、「それを打開するために、無茶苦茶おもろい子に変わっていくんです。(中略)皮肉屋が全部ユーモアに変えていってくれて」と、3歳年上の兄・河合迪雄氏が回想する貴重な証言も、掲載されています(本書P31)

 やがて「思いがけない」出会いの連続で、臨床心理学者への道を歩むことになった隼雄。高校の数学教師となり、向上心のため心理学を学んだことで、アメリカへ、そしてスイスのユング研究所へと、何かに導かれるように進んでいく半生を、『河合隼雄自伝 未来への記憶』(『未来への記憶 自伝の試み 上・下』 2001年)の聞き手役であった、元担当編集者・大塚信一氏が、その軌跡を順に辿っていきます。

臨床心理学者としての思索

 スイスのユング研究所で学び、1965年に日本人として初めてユング派分析家資格を取得。まだ心理療法というもの自体が一般に知られていなかった日本で、隼雄はユング心理学の伝達と心理療法の実施、さらなる研究の発展に励みます。箱庭療法によってクライエントの心に寄り添い、その独自の方法を日本全国へ、世界へと広めていきます。ユング心理学や心理療法についての専門書はもちろん、昔話や神話に日本人の心の深層を探り、児童文学に「たましい」の表現を見出し、『夢記』を記した鎌倉時代の高僧・明恵上人を師と仰ぎ、華厳経、仏教へと研究範囲を広げた思索の日々。単著だけで、300冊を超える著作を残しました。

 本誌では、隼雄の長男で臨床心理学者の河合俊雄氏が、『ユング心理学入門』(1967年)から『神話と日本人の心』(2003年)まで、主著を選び出し、丁寧に解説していきます。思索の軌跡を辿ることで見えてきたのは、隼雄が「あくまで個別の心理療法から出発しつつも、それを深めるからこそ、そこから普遍に到ろうとする姿勢」であり、「個人を超えた無意識である集合的(普遍的)無意識を重視するユング心理学の立場も関連し」、その結果として「日本における母性の問題、よい意味でも悪い意味でも中空構造、美意識などが見出されてきたと思われる。その際にキーワードとなったのが、『物語』である」とし、以下のように結びます。
 「心理療法自体が、クライエントが物語を作り、語っていくことである。またわれわれが生きていく背景には物語があり、それは古から連綿と続くものである。個人の物語を考えていくなかで、神話や物語などの古からの物語が重要になり、それを研究し、深めていき、現代を生きるわれわれにとっての意味を考えていったところがある」(本書P124)

これからにつなぐ、河合隼雄

 河合隼雄の著作には、ミリオンセラーとなった『こころの処方箋』をはじめとするエッセイや、対談本も数多くあります。村上春樹、よしもとばなな、鷲田清一、白洲正子、遠藤周作、立花隆、鶴見俊輔、安野光雅、多田富雄、武満徹……世代も分野も超えて「語り合う」ことを大切にしました。
 本誌では、谷川俊太郎、中沢新一、横尾忠則、小川洋子、梨木香歩、若松英輔、工藤直子、佐渡裕、森田真生、鏡リュウジ、坂本美雨など、生前の河合と交流のあった方々から、没後、著作を通して影響を受けた世代まで、幅広いジャンルの識者からのエッセイ、コメントを掲載しています。

 この度、本誌を編むにあたって、監修者の河合俊雄氏は、その現代的な可能性をこう語っています。
「河合隼雄が倒れて活動を休止してから17年経ったことで、多少の距離ができ、個人的なものや写真もオープンにできるようになったタイミングだったと思います。現在のような社会状況の中、河合隼雄という存在を新しい世代に繋げていきたいという思いもありました。河合隼雄はその平易な語り口のために、存命中から多くの読者に受け入れられていましたが、それは臨床経験に基づき、魂の深いところからくみ上げられたものだったからです。だから時代の課題や生き方が多少変化しても、その深みから出てくることばはまったく古びていないだけでなく、新しい視点で理解でき、きっと新しい世代にもキャッチされ生かされると思います。たとえば宇宙にまで広がるこころと今のエコロジーの問題、平安時代に書かれた男女の性が入れ替わる『とりかへばや物語』を取り上げた著作と今のLGBTに関する問題、日本の中空構造とリーダーシップなど、様々な切り口があるのではないでしょうか」

別冊太陽
河合隼雄 たましいに向き合う
「こころの問題」を考え続けた臨床心理学者・河合隼雄(1928-2007)。
魂とは何か? 物語とは何か? 日本文学、絵本、神話、昔話、音楽など、
多領域にわたるその仕事と生涯を辿る。
定価 :2640円(10%税込)
詳細はこちら

RELATED ARTICLE