#6 トラス橋からはじめる、春待つ白馬村の土木遺産めぐり│〈特濃日帰り〉ひとり土木探訪記。

カルチャー|2023.4.26
写真・文=牧村あきこ

 1998(平成10)年に開催された長野冬季オリンピックのスキー競技で、日本団体が金メダルを獲得したことをご記憶の方もいるだろう。その感動の舞台になったのは、白馬ジャンプ競技場。長野県北安曇郡の白馬村にある。

 今回はその白馬村にある、古い鋼製の橋「第一姫川橋梁」を訪ねる旅だ。途中駅ホームにあるレンガのモニュメントや、車窓の景色から見える廃橋など、歴史を感じる土木たちを紹介しつつ、最後は伝統的家屋や棚田のある集落へと足を延ばしていこう。(記事内の写真は、2022年4月に撮影したものです)。

旅のポイント

💡橋など土木対象を観察するなら春先がおすすめ
💡タクシーをうまく利用して、予約は旅の前に
💡撮影ポイントを事前に地図で確認
💡マナーを守って土木鑑賞

本日の旅程

7:00 新宿からあずさ1号に乗る
8:27 甲府駅でランプ小屋のモニュメントを観察
9:29 あずさ5号で甲府駅を出発
9:56頃 車窓から見る明治時代のトラス橋
11:42 白馬からタクシーに乗り白馬村の土木遺産へ
12:10 謎の円柱と移設されたトラス
12:30 日本の原風景「青鬼集落」
14:10 南小谷からどう帰る?

旅程の組み立て

 第一姫川橋梁の最寄り駅は、JR大糸線の信濃森上(しなのもりうえ)だ。しかし、特急あずさが停車しないので、一つ手前の白馬で下車する。白馬から事前に時間制で契約していたタクシーで要所を回り、最後は北上して南小谷(みなみおたり)から帰途につく計画だ。

7:00

新宿からあずさ1号に乗る

 あずさは、新宿と松本間の運行を基本とする特急列車だ。新宿~南小谷の区間は、1日1往復だけ運行されている(2023年4月1日現在)。
 その昔にヒットした、新宿を8時に出発する「あずさ2号」はもう存在しないが、春まだ浅い信濃路へ私も旅立つことにする。

8:27

甲府駅でランプ小屋のモニュメントを観察

 今回は一足飛びに白馬を目指すのではなく、まずは甲府まで行き途中下車する(map①)。この駅で見ておきたいお宝があるのだ。

 新宿寄りの下りホームに降り立つと、いわれのありそうなレンガ造りの一画が目に入る。その昔、この駅にあったレンガの小屋を解体して再構築したモニュメントだ。

ベンチや床も、解体されたときの古いレンガが使われている

 中央線が現在の甲府駅(山梨県甲府市)まで延伸したのは、1903(明治36)年のこと。甲府駅はこの時に開業している。

 当時の客車は木造で、客車内の照明には灯油ランプが使われていた。保線用のランプも含め、ランプと燃料を保管するために、耐火性に優れたレンガ造りのランプ小屋が、ホームに隣接して建てられていた。ランプ小屋では、ランプの灯油の補給や整備をする整灯手と呼ばれる職員が働いていた。

 以前にもえちごトキめき鉄道の市振(いちぶり)駅にあるランプ小屋を紹介したことがあるが、甲府駅にあるのはそれよりも前に造られたものだ。

 レンガのほかにも、いくつかの鉄道の歴史を感じるモノが展示されている。ぜひホームに降り立ち、「かふふ驛煉瓦ひろば」の展示物を味わっていただきたい。
(※開業当時は甲府の読みは「かふふ」と表記されていた)

※mapは記事の一番下にあります  

9:29

あずさ5号で甲府駅を出発

 甲府で1時間ほどのんびりした後、後続のあずさに乗り込み白馬に向かう。白馬まではおよそ2時間半の乗車だ。朝も早かったのでひと眠りしたいところだが、車窓からチェックしたい土木遺構があるのでそうもいっていられない。

9:56頃

車窓から見る明治時代のトラス橋

 次の停車駅である小淵沢を出発したら(map②)、進行方向の右側に意識を集中する。数分で、次のターゲットである鉄さび色の橋が見えてくるはずだ(map③)。

立場(たつば)川に架かる旧立場川橋梁(長野県諏訪郡富士見町)

 明治から昭和初期にかけて、日本の鉄道は大きな変革と技術的な進化を遂げた。当初は諸外国の技術支援を受け、鉄道敷設に欠かせない鉄道橋は海外からの輸入に頼っていた。

 そうした背景の中で「ボルチモアトラス」という独特の構造美を持つ橋が、福島・新潟・長野・山梨・京都の16か所に架設された記録が残っている。旧立場(たつば)川橋梁もその一つだ。

 橋を構成する三角形の骨組みをトラスというが、トラスにはさまざまな構造形式がある。ボルチモアトラスは、構造の一部を小さな三角形に分割し、補助材を入れて長い斜材を減らすことで軽量化した構造が特徴だ。
 次の写真では、実際の橋にボルチモアトラスの構造図を重ねてみた。なんともいえない機能美を感じないだろうか。

旧立場川橋梁は1904(明治37)年、中央本線の延伸により架設された

 1980(昭和55)年に中央本線が複線化されたことで、立場川橋梁は廃橋となった。架設からおよそ120年、今も使われている他の4か所の橋とともに、今もその姿を私たちに見せてくれている。

11:42

白馬からタクシーに乗り白馬村の土木遺産へ

 白馬であずさを降り、ここからはタクシーで移動する(map④)。白馬は観光駅なのでタクシーが駅前にいないことはないだろうが、事前に想定時間で貸し切り予約し、おおまかなルートも伝えておくと何かとスムーズだ。

 最初に向かうのは姫川第二ダムを上流から眺められる場所(map⑤)。これも事前に地図などで、車が駐車できそうな場所も含めて撮影場所の見当をつけておく。地図でわからない場合は、地元の運転手さんにお話を伺うのもありかもしれない。

赤丸が姫川第二ダム。黄矢印は大糸線で、赤矢印は青鬼(あおに)集落に通じる道

 タクシーで、姫川第二ダムの上流側の撮影ポイントに移動する。ダムの上流側といえば、川の水が堰き止められて豊かなダム湖が広がるといったイメージだが、少し様相が違う。

 姫川第二ダムも建設当初は、もっと広い範囲まで湖面が広がるダム湖だったが、北アルプス周辺の山々から運ばれてくる膨大な量の土砂が堆積し、ダム湖のすぐ隣に陸地ができた状態になってしまった。

春まだ遅い白馬村の桜は2分咲きだった

 上の写真、ダムの左上の木立の陰に白い橋が見える。これが、今回の旅の主役「第一姫川橋梁」、100年越えの古い橋である。こうした土木は、豊かな緑の生い茂る場所にあることも多く、対象物がよく見えないことがある。

 冬が終わり春の兆しが見えてくる頃は、それほど寒くもなく、まだ樹木は葉を茂らせていないので、土木を鑑賞するにはうってつけの時期なのだ(同じ理由で落葉したころの晩秋もいい)。

ダムの下流側には水神社が祭られた社がある

 続いて、ダムの近くまでやってきた(map⑥)。ダムの下流側には至近距離に朱色の通橋(かようばし)が架かり、橋からダムの姿を観察できる。

 通橋の右隣には、黒ずんだコンクリートの塔がある。おそらく以前の橋は吊り橋で、その主塔だけが残っているのだろう

 姫川第二ダムが完成したのは、1935(昭和10)年。重力式コンクリートの発電目的のダムだ。
※高さが15mに届かないので分類的には堰堤(えんてい)だが、ここでは「ダム」と呼ぶ。

左側の青いラジアルゲートは閉まっているが、放水穴からは勢いよく水が流れ出ている
ラジアルゲートの上にあるのは監査廊

 姫川は、長野県北安曇郡から新潟県糸魚川市を通りぬけ、日本海に流れ下る一級河川だ。河川の源流といえば深い山の中といったイメージがあるが、姫川は白馬村の親海(およみ)湿原近くに源流があり、すぐそばを国道148号や大糸線が通っているので、比較的容易に訪問することができる。

ラジアルゲートは3門。この日は真ん中のゲートのみ放水していた

 ダムから流れ出た水は、減勢工に落ち、その勢いを弱めて下流へと流れていく。ゲートは1門しか開いていなかったが、水量は豊かで川面は美しい翡翠色をしている。

通橋から撮影した第一姫川橋梁。手前にある平たい場所が減勢工だ

12:10

謎の円柱と移設されたトラス

 白いトラスの第一姫川橋梁は、ダムが完成した時期と同じ頃に架設された。その当時の橋はすでになく、橋脚(橋を支える柱)のみが今も残っている。先がすぼまった円筒形の橋脚が2本、側面はだいぶ劣化しているがしっかりと立っている。

橋脚の上部には、割れ目に根を伸ばした植物が育っていた

 現在の橋は、1954(昭和29)年に架設されたものなのだが、アイボリーのトラスは実は別の場所から移設されている。

 もともとはアメリカン・ブリッジ社の200フィートのトラス橋で、羽越本線の第二最上川橋梁(山形県庄内町)に架けられていたものだ。この時代の橋は、複数の部材を丸い留め具のようなもので束ねる「ピン結合」という方法が採用されていた。輸入時もそうであったように、いったん分解して移送し、また組み立て、再設置をしたのだろう。

 トラス橋は日本中のあちこちで見かけるが、こうしたピン結合の橋というのは、非常にレアな存在だ。

トラスの分類は曲弦プラットトラス。アイボリーに再塗装される以前は明るい青だった

12:40

日本の原風景「青鬼集落」

 次に向かうのは最後の目的地、青鬼集落だ(map⑦)。「青鬼」と書いて「あおに」と読む。第一姫川橋梁からは東に2kmほど、車なら10分ほどで行くことができる。

 昔ながらの独特の風情を残す集落と、集落に近接した棚田、そして江戸時代の末期に開削された用水路の青鬼堰など多くの土木的な見どころがある。なにより、棚田と集落越しに見える白馬連峰の景観は、一幅の絵画のような美しさだ。

 青鬼地区に立ち入ることはできるが、白馬村青鬼は文化庁により伝統的建造物群保存地区に指定されているため、見学者は定められたルールとマナーをもって行動することが求められる。

青鬼地区の入口。景観保存のための協力金はここで支払う

 地区の入口横に駐車場があるので、ここで車を降り徒歩で地区内を散策する。

 青鬼地区は東西に細長い形で集落を形成している。それぞれの家屋は南側の屋根が少し切り取られた形になっていて、1階はもちろん、2階への採光や通風を確保したつくりになっている。

瓦葺の屋根は、保存のため鋼板で被覆(ひふく)されている

 集落内には14戸の家屋と8棟の土蔵がある。実際に生活を営んでいる地区なので内部見学はできないが、空き家になっている旧降籏家の家屋が「お善鬼(ぜんき)の館」として公開されている。

1908(明治41)年に建てられた旧降籏家の1階内部

 集落の東側には石垣で整備された約200枚の棚田が広がっている。棚田の北側と南側には江戸時代に開削された用水路(青鬼堰)があり、現在もしっかりとその役割を果たしている。

農林水産省の日本の棚田百選に選ばれている
集落のあちこちに石仏がある

 季節外れの今は人影もほとんどない静かな集落だが、かつては善光寺や戸隠神社に参拝する人々の往来がにぎやかだったと聞く。塩の道でも知られる日本海側と信州をつなぐ千国(ちくに)街道から、間道に入り柄山(からやま)峠を越えるルートの途中に青鬼集落は位置していたのだ。

 田植え後のみずみずしい早苗田と集落越しに見える白馬連峰の絶景は、写真映えするスポットとして静かな人気がある。が、田植えには早いひっそりとした棚田で、春を告げる鳥のさえずりに耳を傾けるのも、侘び寂びな風情がある。

残雪の残る白馬連峰。春の訪れはまだまだ先だ

14:10

南小谷からどう帰る?

 今回の旅もそろそろ終わりに近づいている。南小谷までタクシーで行き、あとは列車に乗るだけだ。行きと同じ路線で、15時に南小谷を出発する新宿行きのあずさがある。1日1本だけの運行だ。それに乗ってもよいのだが、大糸線で糸魚川まで行き上越新幹線で帰るという時計回りのルートもある。

 大糸線の南小谷より北は閑散路線で、しばしば廃線の危機が話題にのぼる。美しい姫川の流れを眺めつつ、線路沿いの発電所を愛でる旅もありだなと、心が揺れる。

 こんな、突然ルート変更もアリなのが一人旅のお気楽なところなのだ。

*掲載情報は探訪時のものです。列車の時刻などはダイヤ改正などにより変更されている場合があります。

牧村あきこ

高度経済成長期のさなか、東京都大田区に生まれる。フォトライター。千葉大学薬学部卒。ソフト開発を経てIT系ライターとして活動し、日経BP社IT系雑誌の連載ほか書籍執筆多数。2008年より新たなステージへ舵を切り、現在は古いインフラ系の土木撮影を中心に情報発信をしている。ビジネス系webメディアのJBpressに不定期で寄稿するほか、webサイト「Discover Doboku日本の土木再発見」に土木ウォッチャーとして第2・4土曜日に記事を配信。ひとり旅にフォーカスしたサイト「探検ウォークしてみない?」を運営中。https://soloppo.com/

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