季節の有職植物
●ベニバナ
ベニバナ(紅花、学名:Carthamus tinctorius)の花の咲く季節です。ご存じのようにこの植物は紅染めに使う染料となりますが、「紅」は「くれない」とも読まれます。
『和名類聚抄』(源順/平安中期)
「紅藍 弁色立成云、紅藍〈久礼乃阿井〉。呉藍〈同上〉。本朝式云、紅花〈俗用之〉。」
ベニバナはエチオピア原産で地中海から中国を経て、5~6世紀に日本に到来したと言われます。「くれない」の語源は「呉の藍」で、古代日本では「あい」は染料全般を示す言葉であり、中国(呉)から来たアイなので「くれのあい」と呼び、「くれない」に転じたようです。
また『源氏物語』に登場する「末摘花」はベニバナのこと。鼻先が赤いことをベニバナにたとえたわけですが、紅花の花は、つぼみのような球形部分の末(先端)に花が咲き、ここを摘んで染料とするので「末摘花」なのです。
『藻塩草』(宗碩/江戸前期)
「紅 末つむ花〈すゑをつむゆへ也〉。」
日本では公式な衣類の「赤」はアカネ(茜、学名:Rubia argyi)で染めていました。日本原産の植物だからでしょうか。ベニバナによる「紅」は、どちらかというと私的なお洒落着によく用いられました。
『延喜式』(縫殿)
「韓紅花
綾一疋。紅花大十斤・酢一斗・麩一斗・藁三囲・薪一百八十斤。
帛一疋。紅花大六斤・酢六升・麩六升・藁二囲・薪一百廿斤。」
しかし贅沢品であるため、紅染めはたびたび禁令が出ています。いわゆる「禁色」です。しかし絹1疋を紅花1斤で染める淡い紅色は使用を許可されました。これを「ゆるし色」と呼びます。
『日本紀略』
「延喜十八年(918)三月十九日、壬辰。仰検非違使自来月一日可制止火色之由。但以紅花大一斤為染絹一匹之色。給本様。又仰弾正台。」
韓紅が紅花10斤で染めるところを1斤ですから、淡い色です。これを「一斤染(いっこんぞめ)」と呼びました。
●オウチ(センダン)
5月になると「楝(おうち)」が美しく咲きます。「楝」という漢字を見たこともなければ、「おうち」なんていう単語も聞いたことがない、という方が多いのではないでしょうか。この「楝」は、センダン(学名: Melia azedarach)の古名なのです。センダンは「栴檀は双葉より芳し」のことわざで知られますが、その中国の「栴檀」は白檀(ビャクダン)のことで、このセンダンではありません。
古典食物には植物名称の混同がよくあります。インドから中国に来る間、中国から日本に来る間に、イメージの似た別の植物に名前が置き換わってしまったためです。センダンも多少芳香がありますので、いつの頃にか「たぶん同じ」と、栴檀(白檀)の名前をくっつけてしまったのでしょう。あるいは、たくさんなる実が玉のようなので「千玉(せんだま)」から来たという説もあります。
そのセンダンを、古くは「楝(おうち)」と呼んでいたのです。これなら栴檀(白檀)と混同しないで良いと思います。葉の緑と、花の紫・白の組み合わせが平安貴族の好みに合致し、重ね色目「楝重(おうちがさね)」も愛用されました。表が「薄色(薄紫のこと)」、裏が「青(グリーン)」の重ねです。
右:楝の重ね色目「楝。面薄色・裏青。四月五月着之。」(『雁衣鈔』)
●カキツバタ
池に生えるカキツバタ(燕子花、杜若、学名:Iris laevigata)です。「いずれアヤメかカキツバタ」などと言われ、ここにハナショウブが加わりますと、もう何がなにやら……というところですが、誤解を恐れず大ざっぱに言えば、
・乾いた地面から生えているのがアヤメ(Iris sanguinea)
・湿った地面から生えているのがハナショウブ(Iris ensata var. ensata)
・水の中から生えているのがカキツバタ(Iris laevigata)
と言えるでしょう。カキツバタだけが完全なる水生植物です。
ちなみに、5月5日にお風呂に入れるショウブ(菖蒲、学名:Acorus calamus)はアヤメ科ではなくショウブ科(旧サトイモ科)で、アヤメのような花は咲かない、まったく別の植物です。開花時期も異なり、カキツバタが5月中旬、アヤメが5月中旬~下旬、ハナショウブが5月下旬~6月下旬となります。
カキツバタといえば、まず思い出すのが在原業平の八橋の逸話でしょう。
『伊勢物語』
「水ゆく河のくもでなれば、橋を八つ渡せるによりてなむ、八つ橋とは言ひける。そのさはのほとりの木の陰におりゐて、かれ飯食ひけり。そのさはに杜若いと面白く咲きたり。それを見て、ある人のいはく。『かきつはた』と言ふ五文字を句の上に据へて、旅の心を詠め、と言ひければ詠める。
から衣
きつゝなれにし
つましあれば
はるばるきぬる
たびをしぞ思ふ
と詠めりければ、みな人、かれ飯の上に涙落としてほとびにけり。」
のちの世にもその名所は残っていたようです。
『海道記』(不詳・1223年)
「かくて三河の国に至りぬ。雉鯉鮒(ちりふ)が馬場をすぎて数里の野原を分くれば、一両の橋を名づけて八橋といふ。砂に睡る鴛鴦(えんおう)は夏を辞して去り、水に立てる杜若は時を迎へて開きたり。花は昔の花、色も変らず咲きぬらし、橋も同じ橋なれども、いくたび造りかへつらむ。」
やはり水生植物カキツバタ。「水に立てる」とあります。この八橋は現在の知立市八橋町。いまでは内陸の住宅地ですが、カキツバタ園があって人々の目を楽しませてくれます。「花は昔の花、色も変らず咲きぬらし」、人の世がいかにあろうと、花はいつでも昔のままでございます。
●タチバナ
五月の薫風にタチバナ(橘、学名:Citrus tachibana)の香りが漂います。白い花が咲く時期になっても黄金色の果実がなっています。これを平安の人々が愛しました。
『源氏物語』(若菜下)
「五月待つ花橘、花も実も具しておし折れる薫りおぼゆ。」
まさに「花も実も具して」の風情。清少納言もその姿を愛しました。
『枕草子』
「四月のつごもり、五月のついたちのころほひ、橘の葉の濃く青きに、花のいと白う咲きたるが、雨うち降りたるつとめてなどは、世になう心あるさまにをかし。花の中よりこがねの玉かと見えて、いみじうあざやかに見えたるなど、朝露にぬれたるあさぼらけの桜に劣らず。」
やはり「花の中から黄金の玉のような果実が鮮やかに見える」、とあります。実物のタチバナを見ますと、まさにその通り。千年前の清少納言や紫式部と同じものを見て、同じような感動をしている自分が、なぜか嬉しくなります。……さて、重ね色目ではどうなっていたでしょう。
『後照念院装束抄』(鷹司冬平/鎌倉後期)
「染装束事(中略)花橘四五月、面朽葉裏青色。已上下襲也。」
『胡曹抄』(一條兼良・室町中期)
「衣色事(中略)花橘〈表朽葉裏青〉、五月。」
その他の文献を読んでもほぼ同じで、「表朽葉(オレンジ)/裏青(グリーン)」です。しかしこれですと、葉と果実だけで、肝心の「花」が表現されていません。より「花も実も具して」の風情を表したのが女子装束の重ね色目。
『満佐須計装束抄』(源雅亮/平安末期)
「女房の装束の色。四月薄衣に着る色。花橘。山吹濃き薄き二・白き一・青き濃き薄き。白単・青単。」
これぞまさしく葉と花と果実の色です。
次回の配信日は、6月13日の予定です。
右:花橘の重ね色目「山吹濃き薄き二・白き一・青き濃き薄き。白単。」
八條忠基
綺陽装束研究所主宰。古典文献の読解研究に努めるとともに、敷居が高いと思われがちな「有職故実」の知識を広め、ひろく現代人の生活に活用するための研究・普及活動を続けている。全国の大学・図書館・神社等での講演多数。主な著書に『素晴らしい装束の世界』『有職装束大全』『有職文様図鑑』『宮廷のデザイン』、監修に『和装の描き方』など。日本風俗史学会会員。