Bunkamuraに流れるフランスの文化を辿る特集の第3回。開業当時から色褪せることのないBunkamuraの建築をテーマに、建築家ジャン=ミシェル・ヴィルモットの言葉と、当時を知る関係者へのインタビューを通して、その魅力を繙く。
異なる分野を調和させる空間づくり
いまでこそ、複合文化施設は東京をはじめさまざまな都市に存在し、それぞれの個性を発揮している。だが、1989年のBunkamura開館当時はまだその数は少なく、さまざまな分野を横断する大型複合文化施設としてBunkamuraは先駆け的な存在のひとつだった。
そして、その先見性は建築にも見て取れる。「芸術と人々の出会い」「東洋と西洋の交流」をコンセプトに“船”をイメージしてデザインされ、仕掛けが随所に施された独特で画期的な建物は、何度訪れても新鮮な発見に満ちている。たとえば、手すりひとつとっても、目を凝らすと、クルーザーのデッキをイメージして作られているとわかる。また、館内に設置されている彫刻家・小田襄の作品「夢のCOMPASS」も、夢を探しに行く羅針盤というコンセプトがあり、船を連想させる。

そんなBunkamuraの建築デザインを担当したのは1948年生まれのフランス人建築家、ジャン=ミシェル・ヴィルモットである。今では世界的に注目される彼だが、1980年代には、フランソワ・ミッテラン大統領夫妻からエリゼ宮にある私邸の改装を依頼されるなど、内装や家具のデザインの分野で頭角を現した後、オルセー美術館の改修や南仏ニーム市の再開発といったプロジェクトに携わって間もない、新進気鋭の存在だった。
「パリのオルセーが鉄道の駅舎から美術館に生まれ変わったのは1986年。その改修を担当したヴィルモット氏は、Bunkamuraの開業を陣頭指揮した清水嘉弘とともに私がパリを訪れた折、休館日の誰もいないオルセー美術館の中を案内してくれたことが、今でも深く印象に残っています」
彼からは多くのことを学んだと懐かしそうに語るのは、清水のもとでBunkamuraプロジェクトに取り組んだ村岡健である。
「ヴィルモット氏を起用できたことで、ファサードから内装、椅子に至るまで、モダンなデザインやテイストの統一が図られました」
冒頭で触れたとおり、Bunkamuraには異なる分野の文化施設が同居している。コンサートホールに劇場、映画館、美術館、ギャラリー、そしてカフェ。そこで求められたのは、すべてを調和させるトータルな空間づくりである。全体をつなぐエントランスを筆頭に、どのようなパブリックスペースを設けるのがふさわしいのか、清水や村岡たちは、石本建築事務所の設計チームとともにヴィルモットと話し合いを重ねた。
「空間を大切にすべきだと考え、1階にロビーフロアを設けました。ヴィルモット氏からは、『絶対に色を氾濫させないほうがいい。シンプルで、時を経ても生き続けるものにすべき』と助言されました。空間に来場者が足を踏み入れることで彩りがもたらされるという考え方です」
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館内の随所にシンメトリー(左右対称)のデザインを取り入れているのも、Bunkamuraの建築空間の特色のひとつ。村岡がこう振り返る。
「ヴィルモット氏は来日するたびに、寺や神社に出かけてスケッチをするんです。どちらもシンメトリーのデザインが多いので、時間を見つけては京都や奈良にスケッチブックを抱えて足を運び、デザインの感覚を磨いていましたね」
さらに、ヴィルモットがこだわったのは、曲線や曲面が生む柔和で洗練された空間づくりだった。
「スパイン上部のラインも、当初は角があったのを、ヴィルモット氏の説得でアールをつける(角を取って丸みをもたせる)形に設計変更がなされたんです。設計チームは苦労したことと思いますが、Bunkamuraの吹き抜けに立って空を見上げるたび、この選択は正しかったと感じます」

Bunkamuraの前衛的野望とその使命感に動かされた
そしてヴィルモット当人は、Bunkamuraが開業する直前に次のように語っている。
「Bunkamuraはシンプルで気品のあるデザイン・コンセプトに忠実であることに気を配り、威厳のある空間そのものがもつ"美しさ"を前面に出すことに徹しました」
さらに、ヴィルモットによる次の発言は、文化施設に関する当時の時代背景もうかがえて興味深い。
「巨大な商業空間に世界にも稀な複合文化施設が現れるのは、ある前兆といえます。それは、消費社会の時代から次の時代へ移ろうとしていることのしるしです。人々の求めるものが"物の豊かさ"から"心の豊かさ"へ変わりつつあるのです。そのような時代に先駆けて、一民間企業がジャンルの違った芸術をトータルに受け入れ、それを人々に提供することのできる複合文化施設をつくるという前衛的野望とその使命感に、私は感動しました」

ヴィルモットにとってBunkamuraは、自分が手掛けたなかでも納得のいく仕事のひとつだったようだ。開館後のある日、当時のパリ市長、ジャック・シラク氏がBunkamuraを訪れた。懇意にしていたヴィルモットから、日本へ行ったら是非、自分の作品を見てほしいと言われての私的訪問で、村岡が案内役を務めている。
強い絆があったからこそ遂行できたプロジェクト
完璧主義のヴィルモットはBunkamuraのさまざまなデザインを手がけた。外壁は「音を織りなす」をテーマとして、織物にイメージを求め、モザイクタイルによる斜模様貼りに。そのほかにも金属や石、ガラス、木材などといったさまざまな素材の特性を活かした意匠が随所で見られる。家具デザイナーとしてのヴィルモット作品もある。「ドゥ マゴ パリ」のテラスで使用されていた椅子は、彼が1986年にパリのパレ・ロワイヤル庭園のために制作したもの(Chaise Palais-Royal)。ポンピドゥー・センターにある国立近代美術館のデザイン部門のコレクションにもなっている名品だ。
サイン計画も自身が手を動かした。さらりとした手書き風のBunkamuraのシンボルマークまで、ヴィルモットがデザインしている。村岡によれば「移動中の飛行機の中で思いついたもの」。
赤い四角に、緑の丸、黄色の三角、青の菱形の図形は、それぞれ順にオーチャードホール、シアターコクーン、ザ・ミュージアム、ル・シネマの4つの施設をシンプルに視覚化。色も違えば形も異なるそれぞれの施設が一体化したBunkamuraの特色をさりげなく表現している。さらには、17世紀フランスの音楽家クープランが残した“世界最古の楽譜”やカンディンスキーの絵画を参照したという。

その後もフランス内外の建築プロジェクト、都市計画や、2009〜11年のオルセー美術館改修、ルーヴル美術館改修など歴史的な建物のリノベーションを手掛け、フランス国内だけでなく、イタリアや韓国などにも事務所を構え、今なお第一線で活躍しているジャン=ミシェル・ヴィルモット。今回、多忙な中、本人がコメントを寄せてくれた。
「Bunkamuraプロジェクトの一番の思い出は、村岡さんとその上司である清水さんと一緒に仕事ができたことです。オファーから実現まで、互いをリスペクトし合い大変強い絆で結ばれました。常に敬意を払って私の話を聞いてくれたのが印象に残っています。特に清水さんはあたたかくサポートしてくれ、そのおかげで設計チームとのやりとりも非常にスムーズにでき、アイデアを活かすことができました。信頼できるプロジェクトチームと仕事ができて本当に良かったです」
クリエイティヴへの情熱とリスペクトを常に持ったチームだからこそ生まれた建築。Bunkamuraが創る次の時代を見てみたい。
※Bunkamuraは現在オーチャードホールを除いて、休館中です。また、2027年1月4日から全館休館となります。休館期間中には、経年使用による各施設の改修や設備の更新に加え、「Shibuya Upper West Project」(2029年度竣工予定)においてザ・ミュージアムが移転する新施設との一体化に向けた大規模改修工事を実施する予定です。休館の間も、Bunkamuraがプロデュースする文化・芸術の発信はさまざまな場で続いていきます。
https://www.bunkamura.co.jp/topics/10505.html
