写真家・北井一夫が写真家を語る

写真の入口で出会った写真家 ロバート・キャパ

カルチャー|2025.8.29
語り=北井一夫 構成=金丸裕子

 ロバート・キャパといえば、世界でもっとも有名な写真家のひとりだ。今さらここで取り上げる必要があるのか、という声が聞こえてきそうだ。だが、私にとってキャパは、写真の入口で出会った親しみやすい写真家だ。そして、キャパの視線について目を向けることは、写真を真剣に撮ろうとしている人間に不可欠なものだと考える。
 実は、私が初めて手に入れた写真集は、キャパの『IMAGES OF WAR(戦争 そのイメージ)』だった。日本大学芸術学部写真学科に入ったものの、授業は退屈でのめり込めない。日本の写真家にも興味を持てなくて、よく銀座の洋書専門店イエナに行って海外の写真集を見るようになっていた。そこで出会ったのがこの写真集だったのだ。

 写真評論家の重森弘淹が書いた『現代の写真』(1962年、社会思想社)には、国内外の写真家が網羅的に紹介されていて、なかでも気になったのが、ロバート・キャパとウジェーヌ・アジェだった。そのことも影響してキャパの『IMAGES OF WAR』を買ったのだろう。キャパやアジェの写真を眺めているうちに、写真でこういうことができるのか、とぼんやりだけれどつかめてきた。私は入りたくて写真の学校を選んだのではなくて、絵の学校に行けなかったから入ったのだけれど、写真は案外おもしろいかもしれない、という感じになっていった。

写真1枚で動きを感じさせる

 『IMAGES OF WAR』の最初のページに載っているのは、1931年、コペンハーゲンの国際反戦会議で演説しているトロツキーだ。これはキャパのデビュー作で、キャパはこの時、まだ18歳。被写体の間近に立って、ほぼ正面から撮っていて、ものすごく臨場感がある。『IMAGES OF WAR』に掲載されている《演説するトロツキー》は、後にプリントされたもので、キズだらけのうえに、粒子が荒れたり、汚れたりしている。ネガの保存が悪くて偶然にこうなったそうだが、これがかえって写真に存在感を与えている。

 ロバート・キャパがハンガリー生まれで、5つの戦争(スペイン内戦、日中戦争、第二次世界大戦のうちヨーロッパ戦線、第一次中東戦争 、および 第一次インドシナ戦争)を取材したことは、もちろん知っている。でもそれ以前のキャパはどんな青年だったのだろう──。本名は、アンドレ・フリードマン。知的で芸術的な市民が多いブタペストという街で、ファッション・サロンを営むユダヤ人の中産階級の家で育った。ジャーナリスト志望の青年となったキャパは、共産主義者の嫌疑をかけられて10代で祖国を追われる。ベルリンへ脱出するも家からの仕送りが途絶え、写真通信社「デフォト」の暗室助手の仕事を得る。快活で聡明な青年だったキャパは、しばらくしてライカを与えられ、簡単な仕事に送り出されるようになった。デフォトの先輩写真家たちは彼を可愛がり、ルポルタージュを撮るための基礎を叩き込んだという。そしてある日、大仕事を任される。それが上記のトロツキーの撮影だったのだ。
 だが、ベルリンではナチスが台頭。キャパはパリへと向かった。そこでは彼の運命を決定づける出会いが待っていた。キャパより少し年上のゲルダ・タローと恋に落ちる。キャパはタローにカメラの扱いを教え、タローとキャパは、1936年頃から架空の有名アメリカ人写真家ロバート・キャパの名前で作品を発表。
 そのロバート・キャパを有名にしたのが、《崩れ落ちる兵士》だった。1936年9月初頭、スペイン内戦で共和国兵軍の兵士が撃たれた瞬間をとらえたこの作品については、いろいろ物議が交わされている。撮影したのはキャパではなく、ゲルダだという説があったり、そもそも「やらせ」だったのではないかと論じられたり。でも私は、そういう議論よりも、この写真のもつ力のほうに引き寄せられる。

 《崩れ落ちる兵士》という動きのある戦争写真を見て、当時の人々はかなり驚いたはずだ。キャパとゲルダにはライカとローライフレックスの2台のカメラがあった。主にキャパがライカを使い、ゲルダがローライフレックスを使っていた。いずれにしてもハンディな手持ちのカメラで、フィルム感度もかなり良くなっていたから、兵士たちの中に入り込んで動きのある写真を撮れたのだ。それまでは、戦場でさえ三脚に乗せた大きな看板写真機が使われていた。動きのある写真なんて、どう転んでも撮れない。だからこの写真は相当な衝撃を与えたと思う。
 写真はただ1枚の平面で構成されるものだけれど、撮り方によっては、奥行きが出てきたり、動きが出てきたりする。実際には動いていないのだけれど、動きを感じさせてくれるのだ。

写真を撮る時の立ち位置を示唆

 キャパのもう1枚の代表作、第二次世界大戦中の1944年6月6日ノルマンディー上陸作戦の写真もすさまじい。ドイツ軍のありとあらゆる鉄火を浴びながら果敢に前進するアメリカ兵士たちの、恐怖感や鼓動がそのまま伝わってくる。
 キャパが第二次世界大戦の従軍を中心に、恋や死を語った手記『ちょっとピンぼけ』は、人間味たっぷりのキャパの人となりや、写真について知るのにもってこいの本だ。ノルマンディー上陸作戦のDデイについても、前夜から後日譚までの事象と心情がつぶさに描かれている。キャパは、進攻するアメリカ歩兵部隊の第1陣と終始行動を共にしていた。午前3時、供された贅沢な朝食にはほとんど口をつけることができず、舟底で立ったまま陽が昇るのを待つ。前進の指揮が出された瞬間、緊張のあまり嘔吐する兵士たち。そしてキャパは、歩兵部隊と一緒に冷たい海水につかり、敵が浜辺のあちこちに据えた対戦車障害物の脇を超え、砲火をあび、地獄のようななか、あがきながら前進する兵士を2台のコンタックスに収めた。こうしてDデイの劇的な様子を伝える写真を残したのだ。

 この時の写真は、ブレていたり、ピンが甘かったりする。だがそれが痛烈な動きを生み出し、死を間近に戦う現実を伝えることになっている。「ライフ」での発表時、「その瞬間の激しい興奮が、写真家キャパのカメラを震わせ、写真にブレをもたらすことになった」というキャプションがつけられていた。でも実際は違う。あの日、キャパが2台のコンタックスで撮った106枚の写真は、「ライフ」のロンドン支局へ届けられた。時間を急ぐあまりに、現像担当が乾燥キャビネットを高温にしてネガを入れ、扉を閉めたままにしておいたため、空気の循環が遮断されてフィルムの感光乳剤がとけてしまったのである。無事だったのは、8枚だけだった。その8枚にもブレやアレは生じていたのだ。
 このノルマンディーの写真にしても、トロツキーの写真にしても、失敗が生んだ産物。千載一遇の出来事が、写真をより劇的にしているのがおもしろい。写真はただきれいなのがいいわけではない。ウィリアム・クラインやロバート・フランクが、ブレやボケで写真に革命を起こしたと言われているけれど、それより以前にロバート・キャパは、ブレやボケの効果を体験していたのだ。

 夥しい数の兵士が死んでいく中で写真を撮り、さらに生き残る。優秀な写真家は、修羅場になればなるほど落ち着いて、周囲がよく見えてくるということがあると思う。おそらくキャパは並外れた直感力を持っていたのだろう。そして、自分も生きるかどうかのギリギリのところで撮るにあたって、勇気や覚悟を固めていたのはもちろん、どちらの側に立つのか、ということも定まっていたはずだ。私がキャパの写真を通して最初に感じ入ったのは、写真を撮るときの視点、つまり立ち位置が明確だということ。キャパは戦場で写真を撮る時には必ず、ファシストと戦う兵士と同じ側に立っている。敵と味方をあいまいにするようなことはない。
 そのことについて私自身腑に落ちたのは、1964年11月7日だとはっきり記憶している。なぜかというと、その日私は、アメリカ軍原子力潜水艦が初めて日本に寄港するのを前にして、横須賀寄港に反対した全学連の闘争を撮影したからだ。全学連の新聞に載せるため、彼らに頼まれたのだが、私にとっては初めてのデモの撮影だった。
 デモの中に入った時、自分はどちらの味方なのかはっきりした立ち位置で撮らないと、曖昧な写真になってしまうことはすぐにわかった。そして迷わず、闘争する学生の中に身を置いた。その後30歳まで私は過激派の学生運動と三里塚闘争の中にいて写真を撮り続けた。どんな時も学生側で撮った。一方、無意識にデモを撮影した人は、機動隊の後ろ、もしくは中間から撮影するので、学生を敵視するような写真になってしまう。とりわけドキュメンタリー写真を撮る際には、自分の立ち位置をよく考えた上で撮影するという方向性をキャパは示唆してくれたように思う。

滲み出るヒューマニズム

 『IMAGES OF WAR』の中でいいなぁと思うのが、仲間の列から離れたイタリア兵が、恋人らしき女性と並んで歩く後ろ姿をとらえた一枚。女性が自転車を押しながら歩いていて、映画のワンシーンのよう。ジープで移動中のアメリカ兵にフランス人の農家のおじさんがリンゴ酒を手渡している写真もいい。くつろぐ兵士の姿や、市民の様子もたくさんとらえている。それらの写真は、戦時下なのにどこか気楽で、人間くささが全面に押し出されている。悲惨な戦いの場面だけではなくて、こうした日常の姿をとらえた写真家は、キャパ以外にはいないと思う。なぜなら、戦いの場では、黙っていても劇的なシャッターチャンスが提供されるのだから。こうした状況で写真を撮りながら、作品の中に被写体との関係性や、撮影者自身の人間性を感じさせることは、とても稀なこと。キャパの中には強いヒューマニズムがあったのだろう。

 人間の内面を浮き彫りにするキャパの眼は、著名人である友人・知人にも向けられている。スペイン戦争で知り合った友人ヘミング・ウェイ、恋人だったイングリッド・バーグマン、共にロシアを旅したジョン・スタインベック、そして、パブロ・ピカソやアンリ・マチスなど。キャパが撮った彼らの写真を見れば、キャパと彼らの関係性がよくわかる。才気とユーモアにあふれ、軽妙洒脱で人間性豊かなキャパだからこそ、彼らとの友情が可能だったのだろう。
 写真のおもしろさは、自分と対象との関係性の表現にある。とりわけドキュメンタリーは、自分と対象との関係の記録なのだ。相手が人間でも、自然や物であったとしても。キャパの写真1枚1枚が、はっきりとそのことを感じさせる。だからキャパの写真は、どれだけ時代を経ようとも、心が動かされるのだ。

北井一夫(きたい・かずお)
1944年、中国鞍山生まれ。日本大学芸術学部写真学科中退。『三里塚』『村へ』『いつか見た風景』『フナバシストーリー』『1990年代北京』などドキュメンタリー写真を発表してきた。1972年、第22回日本写真協会新人賞。1976年、第1回木村伊兵衛写真賞。2013年、日本写真協会作家賞を受賞。出版物は膨大。2020年10月に平凡社より『過激派の時代』も発刊。個展も多数開催。大阪のG&S根雨にて2025年通年企画「北井一夫という写真家」(年間で6期展示替え)を開催中。

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