新国立劇場『ナターシャ』~細川俊夫×多和田葉子 理想のコラボで、多言語オペラを世界初演!

カルチャー|2025.8.26
文=池田卓夫(音楽ジャーナリスト@いけたく本舗®︎)|撮影=堀田力丸 提供:新国立劇場

 日本とドイツ。2つの国に活動の軸を置いてきた細川俊夫、多和田葉子のコラボレーションによる新国立劇場委嘱の新作オペラ、『ナターシャ』は目まぐるしい映像(クレメンス・ヴァルター)やサラウンド的に響く電子音響(有馬純寿)といったテクノロジーを駆使した最先端のパフォーマンスであるにもかかわらず、私たちのごく身近なところで響く不思議な音楽だった。同劇場オペラ芸術監督で創作にも深くかかわった大野和士の指揮が作品の真価を余すところなく伝えた。

「細川俊夫の音楽は海から生じている」

 「細川俊夫の音楽は海から生じている」と、ドイツ美学研究者の柿木伸之氏が公演プログラムに記した通り、物語は恐らく「ドイツ語を話すウクライナ人」のナターシャ(ソプラノ)、日本から来たらしいアラト(メゾソプラノが男性を歌う「ズボン役」)という2人の若い難民が始原の海に辿り着くところから始まる。ナターシャは海の声を言葉に翻訳できるシャーマン。そこにゲーテの『ファウスト』に現れるメフィストの「孫」を名乗る男が現れ、2人を「7つの現代の地獄巡り」に導く。この設定はモーツァルト『魔笛』のパミーナ、タミーノに与えられた試練のパロディーのように思える。

7つの地獄を巡る、魂の旅

 「海」と「デュエット」の2部構成の序章を経て、1)森林、2)快楽、3)洪水、4)ビジネス、5)沼、6)炎上、7)旱魃の7つの地獄が次々に展開する。時代も場所も曖昧ながら、20世紀後半から21世紀初頭を生きてきた私たちの脳裏に残る視覚の既視感を巧みに刺激する画像、セリフ、衣装、音響が手を替え品を替え現れる。言語はドイツ語、日本語を中心に20種類以上が飛び交う。かつて武満徹が目指したが、その死によって幻に終わった「ポリヴァーバル(多言語)のオペラ」のアイデアが成就した。

贅沢なキャスティング、擬態語の面白さも生きる

 快楽地獄では大量消費がもたらす環境破壊(プラスチックによる海の汚染)も示唆される。2人のポップ歌手に森谷真理、冨平安希子と2021年の東京二期会『ルル』(ベルク)の題名役をダブルで務めた2人を起用、エレキギター奏者の山田岳、サクソフォーン奏者の大石将紀とピットのソリスト2人も舞台に上げるなど、贅沢なキャスティング。

 さらにビジネス地獄でも屈原の漢詩を叫ぶビジネスマンAが中国人バス歌手のタン・ジュンボ、シェイクスピア『十二夜』の一節を叫ぶホームレス風の同Bが日本在住の文芸評論家ティモシー・ハリスと、すごい“無駄づかい”だ。チャップリンの『モダン・タイムス』やブレヒト&ワイルの『マハゴニー市の興亡』を思わせる“タコ部屋”の労働者が発する「ヘトヘト」などの擬態語がそのまま歌になっていく面白さを、新国立劇場合唱団が極限まで表現していた。ビジネス地獄の結末は2001年9月11日のニューヨーク、航空機テロによる世界貿易センタービル崩壊と、その跡地であるグラウンドゼロの光景が重なる。

「人間は青い地球で唯一の化け物」~美しい嘆きのアリアに陶然

 炎上地獄の大詰めに現れるナターシャの長大な嘆きのアリアは、細川がこれまでに書いた中で最も美しいメロディーだろう。「人間は青い地球で唯一の化け物」の言葉が重く突き刺さる。

 最後の旱魃で、地獄は底辺に至る。すべての希望が消えかけた時、水面に逆さまに映った「バベルの塔」が現れ、世界を洗う清らかな水の音が聴こえてくる。再生への希望を託した二重唱とともにアラトとナターシャが去ると、メフィストの孫も含めた群衆が舞台後方の「穴」から差し込む一筋の光明に吸い寄せられるように集まって、静かに幕が下りる。ナターシャのイルゼ・エーレンス、アラトの山下裕賀、メフィストの孫のクリスティアン・ミードルはそろって好演、言葉もはっきりと聴き取れた。

静かに再生・循環していく海。魂の救済

 何より感心したのは多和田が言葉を書き連ね過ぎず、音楽に語らせるべき場面は音楽に委ねる節度(モデスティー)を堅持し、細川の作曲と理想的なコラボレーションを実現した点だ。クリスティアン・レートの演出はわかりやすさを絶えず念頭に置き、あえて通俗のフレーバーをまぶし、映像と音響を多用したことで作品の間口が広がり、敷居も低くなった。狭義のオペラ劇場の枠外にいる映画やミュージカル、演劇のファンにも体感してほしい新作である。(2025年8月13日 新国立劇場オペラパレス)

新国立劇場『ナターシャ』
台本=多和田葉子、作曲=細川俊夫、指揮=大野和士、演出=クリスティアン・レート、管弦楽=東京フィルハーモニー交響楽団(コンサートマスター=坪井夏美)、合唱=新国立劇場合唱団(合唱指揮=冨平恭平)、電子音響=有馬純寿、サクソフォーン奏者=大石将紀、エレキギター奏者=山田岳
ナターシャ=イルゼ・エーレンス(ソプラノ)、アラト=山下裕賀(メゾソプラノ)、メフィストの孫=クリスティアン・ミードル(バリトン)、ポップ歌手A=森谷真理(ソプラノ)、ポップ歌手B=冨平安希子(ソプラノ)、ビジネスマンA=タン・ジュンボ(バス)、ビジネスマンB=ティモシー・ハリス

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