1989年の開館以来、Bunkamuraシアターコクーンは日本の演劇シーンを絶えずリードしてきた。この劇場では、初代は串田和美氏、ついでは蜷川幸雄氏、現在は松尾スズキ氏が芸術監督を務め、第一線の現代劇の上演を続けてきた。だが、それだけとは限らない。現代劇に加え、歌舞伎や古代ギリシャ劇などを現代の眼差しで捉え直し、新しいスタイルで上演する試みにも積極的に取り組んできたことも特筆すべきだ。
そんなシアターコクーンに2016年秋、新しい方針が加わった。「DISCOVER WORLD THEATRE(ディスカバー・ワールド・シアター、以下DWT)」が始まったのだ。これは、シアターコクーンが海外のクリエイターたちと出会い、新たな視点で挑む演劇シリーズという主旨である。なお、この試みは、ギリシャ悲劇をはじめ多彩な翻訳戯曲に果敢に挑み、演劇で国境を越えようと奮闘した蜷川氏の意志を引き継ぐプログラムという一面もある。
プレイハウスとして完璧な劇場空間
このDWTの第1弾として上演されたのは、イギリスのジョナサン・マンビィ氏が演出を務めた『るつぼ』(作:アーサー・ミラー)である。以来、氏はたびたびDWTに参加。2024年9月から10月にかけて上演された『A Number―数』『What If If Only―もしも もしせめて』(東京・世田谷パブリックシアター、大阪・森ノ宮ピロティホール、福岡・キャナルシティ劇場)が、4度目の取り組みとなった。
©︎細野晋司
では、「Bunkamuraに来ると、ぼくはいつもバービカン・センターにやって来たような気持ちになるんです」と朗らかに語る氏の目にBunkamuraはどう映るのか。
「バービカンはロンドンの真ん中にあるアートセンター。とてもエキサイティングなところで、バービカンとBunkamuraには共通点を感じます。というのも、劇場だけではなく、美術館や映画館もあれば、コンサートホールもあるから。ふたつとも、ジャンルを超えてアートや文化を提供している。そして、多彩なジャンルのアートを扱っているのはもちろんのこと、どちらも念入りで素敵なキュレーションが魅力で、さらにいうと劇場空間が素晴らしいあたりも似てますね」
マンビィ氏はブリストル大学で古典戯曲を学び、ロイヤル・シェイクスピア・カンパニーなどを経て演出家として独立。そのような演出家の目から見た、シアターコクーンという劇場空間とは?
「コクーンはプレイハウスとして完璧。どこの座席からも舞台がよく見えますからね。出演者が少人数の緊密な作品でも、あるいはスケールが大きな作品でも、観客に素晴らしい観劇体験を提供できます。たとえば『るつぼ』では、裁判のシーンでほぼすべてのキャストが舞台に出られたし、一方で二人だけのシーンもしっかりと客席に届けられる。つまりコクーンは、この双方を実現できる稀有な劇場空間だということです」
さらに、シアターコクーンの変貌自在なところにもマンビィ氏は目を向ける。
「コクーンは上演される演目によって、がらりと姿を変える劇場。舞台と客席の形状を変えられる機構のおかげで、セットのデザイナーは自分がやりたい表現を思う存分にできます。そして観客は、扉を開けて中に入ったとたん、毎回、異なる空間に出合えて、ときめくような体験ができるはず」
なお、マンビィ氏は2021年にDWTで『ウェンディ&ピーターパン』を発表している。こちらが上演されたのは、Bunkamuraオーチャードホールだ。
「オーチャードホールはコクーンとはまったく違います。コンサートホールとして造られた場所で演劇を上演するのは、いわば挑戦。ですが、『ウェンディ&ピーターパン』のように壮大な場面がある作品は、オーチャードホールの空間だからこそ実現できたと思います」
©︎細野晋司
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続けて氏は、オーチャードホールの客席で演劇を見た体験について語った。
「蜷川幸雄さんが演出した音楽劇『靑い種子は太陽のなかにある』(2015年、作:寺山修司/音楽:松任谷正隆)を見ました。もう、びっくりですよ。スケールの大きいダイナミックな演出が、あの会場に見事にハマってましたね」
キャリル・チャーチルの戯曲を
プレミアムな二本立てで上演
そろそろ今回上演された『A Number―数』『What If If Only―もしも もしせめて』について話題を移そう。この二作は、いずれもイギリスの劇作家キャリル・チャーチル氏による戯曲。前者は2002年に発表され、2010年にはマンビィ氏も演出を手がけた。一方、後者はチャーチル氏の最新作にして日本初演となる。この二つの戯曲を上演することの背景や経緯について、マンビィ氏はこう語る。
©︎細野晋司
「まず、ぼく自身がキャリル・チャーチルの戯曲の大ファンで。現存するイギリスの戯曲家の中では、彼女が最高に優れていると思う。光栄なことに、これまで何度か仕事をご一緒できて、それはぼくの人生の中でとても重要な経験でした。
最新作と二十数年前の戯曲を同時に演出できることはとてもエキサイティング。ただ、 二十数年前の戯曲とはいえ、いま読んでも新しい発見に満ちている。優れた戯曲は、いまの我々は何者なのか、いまの世界はどんなところかを映し出しますから。
彼女は『A Number―数』と他の戯曲をダブルビル(二本立て)で上演することをこれまで決して許可しませんでした。ですから今回、ダブルビルを打診した際、とてもドキドキしましたね。でも彼女は“Yes”と答えてくれました。ぼくの考えでは、この二作のテーマはリンクしていて、互いに呼応する。どちらも悲しみとか喪失、後悔について探究した作品です。たぶん彼女も、ぼくと同じ考えなのだと思います」
©︎細野晋司
キャストはどのように決まったのか、マンビィ氏は振り返る。
「キャスティングに関しては、日本で演出するときはいつもプロデューサーとのやり取りを重視します。というのも、ぼくは日本の俳優についてほとんど知りませんし、プロデューサーはぼくが俳優に何を求めているのかきちんと理解してくれていますから。
堤真一さんとはこれまでDWTで毎回ご一緒していて、機会があればこれからもご一緒したい俳優。瀬戸康史さんはかつてぼくのワークショップに参加してくれたことがあって、舞台でもぜひご一緒したいと願っていました。
大東駿介さんと浅野和之さんも『What If If Only』の戯曲を観客に届けるために完璧な二人です。というのも、彼らは二人とも、イギリス人演出家の舞台に出演した経験があって、西洋的なアプローチや視点で舞台に取り組む術をわかっているからです」
文化の垣根を越え、作品の核心に迫る表現を。
今回の上演にあたって、リハーサルに入る前からマンビィ氏が取り組んだことがある。それは翻訳の広田敦郎氏と綿密にコミュニケーションを取ることだ。
「何時間も何時間もディスカッションを繰り返して、戯曲の1行1行について語り合いました。書かれていることだけではなく、書かれていないことについても議論しました。英語をどう日本語に置き換えるのかといったやり取り以上に、双方の文化の垣根を越えてどう表現するかに関して、広田さんと二人でずいぶん時間を費やして話し合いましたね」
この、文化の垣根を越えて演劇に取り組むという姿勢は、シアターコクーンのDWTの方針と確実に重なり合う。
マンビィ氏に今後シアターコクーンが劇場として再開した時も、DWTへの参加を望むのか聞いてみると、即座に「もちろん!」と力強い言葉が返ってきた。
「ぜひともまたコクーンで発表したい。DWTで日本の観客に紹介したい演目や、ぼくが演出したい戯曲はたくさんありますから。日本のスタッフはきちんと細やかに準備をして、熱心かつ全力で作品に向き合ってくれて、頭が下がります。だから日本で演出するのは大好き。何度でも戻ってきたいと思っています」