第5回 ベルナルディーノ・テレジオ
(1509-88年)〈1〉――パドヴァ学派――
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テレジオはルネサンス末期、南イタリア生まれの出色な自然哲学者だが、管見によれば未だ彼を専門とする研究者は日本では現われていない。それは彼が北イタリアのパドヴァ大学に学んでおり、北イタリアの知と南イタリアの知の双方の把握者であるという事情もあろうか。
テレジオを事典で引くと、生没年、生地、学歴などの一般的な説明のあとに、これは事典の執筆者の意向にもよるだろうが、こう書いてある――「当時のアラビア風理解に影響されたアリストテレス解釈に幻滅してパドヴァを去った」*と。テレジオはギリシア語が堪能だったので、ギリシア語原典を読み解くことによって、本来のアリストテレス哲学に出会っていたのだろう。
*T.バーギン/J.スピーク 編 別宮貞徳 訳『ルネサンス百科事典』原書房,1995年
フィレンツェ大学にギリシア語の講座が設置されたのは1397年のことで、東ローマ帝国の言語学者マヌエル・クリュソロラス(1350?-1415年)を師として招いている。テレジオは生まれが南イタリア・カラブリア州のコゼンツァだったから、その地勢学的位置に鑑みてギリシア語の体得は北イタリアの諸賢より容易だったかもしれない。さらに上述の「アラビア風」とは「アヴェロエス主義に染まった」ことを意味している。
第1回の(1)で、「アヴェロエス思想の伝播」という図を載せておいた。そこには、アヴェロエスの生地・コルドバから赤線で、コルドバ―パリ―パドヴァ、といった流れと、青線で「世界霊魂」を受容した、コルドバ―パレルモ―コゼンツァ、という伝播の2点を挙げて置いたのを思い出していただきたい。いずれにも共通しているのは、終着地点がイタリアの、北のパドヴァと、南でテレジオの生地であるコゼンツァである、ということである。第1回の(2)でも触れたように、パドヴァは後年、『天球回転論』のコペルニクス(1473-1543年)、近代解剖学の祖ヴェサリウス(1514-64年)が学び、それにガリレオ・ガリレイ(1564-1642年)が数学科の教授として16世紀末期に教壇に立った、きわめて伝統のあるパドヴァ大学の所在地である。ガリレイが教授をしていたことで、近代科学の黎明を感じさせるが、話はそう簡単には進まない。
先述の赤線はパリを経由してくるが、結論からいうと、アリストテレスへのアヴェロエスの註解を主とした「ラテン・アヴェロエス主義」は、当時のパリ大学神学部教授で、信仰と理性の調和を唱えて正統「スコラ神学」を標榜していたトマス・アクィナス(1225?-74年)には受け容れてもらえず、教会から異端の刻印を押され(1270年)、パドヴァ大学へと向かった。
テレジオはパドヴァ大学で学び、上記のアラブ的アリストテレス解釈の最たるものである、アヴェロエス的註解を嫌ったと思われる。
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第1回でも記したが、パドヴァ学派の研究がいまだ試みられていないなか、イタリア人の研究者では、ブルーノ・ナルディ*
*La fine dell’ Averroismo, in”pens'ee humaniste et ’tradition chre’tienne aux XVeme et XVIeme sie’cle" 『15世紀と16世紀のキリスト教伝統における、アヴェロエス主義の終焉』, 1950
が部分的に参考になる。日本では、亡き清水純一京都大学名誉教授の論攷がある。今回はよくまとまっているこの恩師の論文を下敷きにして、パドヴァ学派を俯瞰してみたい。つまり、パドヴァ学派の説明が終わらないと、テレジオを解説するわけにはいかないのである。
さて、14~17世紀にかけての300年間、パドヴァ、ボローニャを中心とした北イタリアで活躍した自然思想家たち(ポンポナッツィ、ザバレッラ等)がいて、みなアリストテレスを、スコラ哲学とは異なって独自に解釈し続けていた。一般的に彼らはアヴェロエス主義者と呼ばれている。この一群の哲学者たちに反駁を加えたのが、かの桂冠詩人フランチェスコ・ぺトラルカ(1304-74年)であった。ペトラルカは北イタリアの自然思想家たちのアヴェロエス主義の考えに、自己の人文主義を対峙させ、彼らが人間研究という本質を忘却していて、さらにアリストテレス哲学にかぶれている、とまで難詰した。つまり、彼らの学問は饒舌すぎるとまでいってしまったのである。ペトラルカの自然思想論にも一理あるが、パドヴァのアリストテレス主義者を単なる話が冗長な哲学の徒として、アリストテレス哲学の末期的現象とみなすとすれば、それは明らかに歴史的事実の誤認に相当する。
但し、パドヴァのアリストテレス主義者の場合、その初期と15世紀以降の学者の間に、資料面での不具合があって、一括して扱うのには無理がある。考えてもみよ、もともと非ヨーロッパ的なアラブ文化に成育の根を持ち、中世キリスト教からは異端視されて弾圧を受けて来たこの思想の潮流を理解するためには、ヨーロッパ偏重の着想は排除すべきであろう。
第5回〈1〉、〈了〉
次回は、11月19日です。
参考文献
ブルーノ・ナルディ, La fine dell’averroismo, in”pens'ee humaniste et ’tradition chre’tienne aux XVeme et XVIeme sie’cle"
清水純一「パドヴァ学派論攷―アヴェロイズムの発展とポムポナッツィ」イタリア学会誌6巻、1957年。後年、清水純一著 近藤恒一編『ルネサンス 人と思想』平凡社,1994年
澤井繁男
1954年、札幌市に生まれる。京都大学大学院文学研究科博士課程修了。
作家・イタリアルネサンス文学・文化研究家。東京外国語大学論文博士(学術)。
元関西大学文学部教授。著者に、『ルネサンス文化と科学』(山川出版社)、『魔術と錬金術』(ちくま学芸文庫)、『自然魔術師たちの饗宴』(春秋社)、『カンパネッラの企て』(新曜社)など多数。訳書にカンパネッラ『哲学詩集』(水声社、日本翻訳家協会・特別賞受賞)などがある。