光と影。「吉原」が生んだ江戸庶民文化を再考する
江戸時代を通じておよそ250年存続した遊廓・吉原。
芝居小屋とならび「二大悪所」とされた一画は、幕府公認の公界として、他の遊廓とは一線を画した格式と独自の美意識を醸成しながら、江戸の名所のひとつとなっていく。
季節ごとに町をあげて開催される華やかな催事、美しく着飾った花魁や豪華な室礼、独特のルールのなかで毎夜繰り広げられる男女の駆け引き。きらびやかな虚構の世界は、多くの浮世絵や版本などに残されて、わたしたちをも魅了する。それらは、書に和歌俳諧、舞踊に音曲、生け花や茶の湯など、遊女たちの広い教養や極められた芸を思わせ、知識人たちの集いの場としてのあり方を伝え、着物や調度品には高度な技術が見いだせる。何よりも江戸の出版の高い水準や、それらを楽しむ庶民の知識の深さを示してくれる。
吉原は、遊興の場であるとともに、江戸庶民文化の一大センターでもあったのだ。現在世界で評価される日本の版画芸術としての浮世絵の数々も、江戸時代に生まれた豊かな庶民文化も吉原の存在なくしては語れない。
江戸っ子はもとより地方から江戸に来る人びとに憧れをもって享受されたこの世界を支えていたのは、しかし、借金や生活苦のために売られ、返済がすまなければ、ここから出ることも許されなかった女たちの苦しみと涙だ。女性を「商品」と扱うことで成り立っていた事実は忘れてはならないし、人権と社会通念からも許してはならない。
強烈な光と影。この存在が生んだ文化と芸術に正面から向かい合うことを試みた展覧会が、東京藝術大学大学美術館で開催中だ。
きっかけは、同館に所蔵される高橋由一の油彩画《花魁》。初めて本格的に油彩を学んだ由一が「写実」に基づいて描いた高級遊女の肖像は、明治期に衰退していく吉原の文化を惜しんだ妓楼主が、記録として残すことを求めたことから描かれたという。
近代日本美術の原点に位置づけられる本作が持つ意味を求め、吉原遊廓に生まれ、育まれながら、近代が切り捨てて、閉ざしてきた「江戸の美意識」に迫る。
同館は、火災により移転した「新吉原」があった台東区にあり、江戸から明治へ、激動の近代に、多くの新しい表現者たちを輩出した東京美術学校を前身とし、現代にもその役割を担っている。だからこそ、この美術館での開催の意義があると、本展企画者の古田亮は語る。
会場は「入門編」「歴史編」「体験編」の三部で構成。
アメリカのワズワース・アテネウム美術館や大英博物館からの里帰り作品を含め、吉原をテーマとした風俗画や美人画は時代を通じて名品が集められた。作品の美とともに描かれたものに、吉原の歴史や独自のしきたりや行事、遊女の教養やファッション、遊女たちの日々などを読み取っていく。絵画作品や版本にとどまらず、工芸品や人形、模型なども、工夫された展示空間に配されて、吉原のイメージをより喚起してくれる。
プロローグには、本展のために制作された福田美蘭の新作が提示される。
さまざまな過去の美術作品を読み解き、いまに生きる感覚を活かして自らの作品に援用する福田の作品は、失われた吉原の息吹を現代へとつなぐ、「わたしたちの眼」を象徴するだろう。
本展のために制作された新作。福田は、吉原の華やかな文化を発信した浮世絵の絵柄を借用し、「濃密で過剰な夢のある世界」を表現したいと考えた。その過程で、チラシのヴィジュアルとして提案した蛍光ピンクの文字のデザインに触発され、敢えて引用した浮世絵の彩色を捨て、展覧会ロゴを再構成したという。動きのあるピンクの文字の断片は、その読み取りも相まって、かつての吉原の活気を現代へと接続する。
「入門編」では、厳選された浮世絵作品とそれらに描かれているものを解説した映像で、吉原とはどういうところか、そこが持つ独特のしきたりや、遊女をはじめ、この町の住人たちの生活を伝える。
まずは吉原の様子を描いた浮世絵やそれらを拡大した映像などで、雰囲気を体感しよう。
指名を受けた花魁が仲之町の茶屋に客を迎えにきた対面のシーン。この、呼び出しに応じて新造や禿(かむろ)を連れて茶屋までを行くのが花魁道中だ。左端に植えられた桜が描かれ、春の夜であることがわかる。美人画で知られた勝川春章門下の俊英による、貴重な肉筆画は嬉しい来日。
時代や客層の変化により対応も変わっていくが、武士は刀を座敷に持ち込めず、高級遊女との付き合いでは複数の見世の掛け持ちは不可など、吉原ではもめ事を事前に防止し、町の治安と見世の格を守るさまざまな規定や作法が定められ、理解しない振る舞いは「野暮」としてさげすまれた。
大英博物館から来日中の歌川国貞の《青楼二階之図》は必見。店での禁止事項も細やかに、見世の様子が生き生きと伝わってくる。
また、揃物全点が紹介される喜多川歌麿の《青楼十二時》の12点は、遊女の日常が追えるだけではなく、束の間のおしゃべり、装いの準備や座敷へ出る際の気概、客を送った後の疲れ、次の座敷までの放心など、細やかな表情にその心情まで感じられて、切なくなる。
5枚続の画面いっぱいに、妓楼の2階の様子が描かれる。吹き抜けの中庭が見える部屋では粋な美男が花魁と過ごし、その裏手の部屋では屏風に仕切られた空間で妓女がうたた寝。廊下を隔てた部屋では持病の癪(しゃく)が起こったか、男衆(おとこし)に抱えられる妓女も。お使いに走る禿、料理を運ぶ下男、いま登ってきたらしい客、酔いが回ったか乱れた装いで両側から妓女に支えられる男など、賑わいとさまざまな交渉が聞こえてきそうだ。壁に貼られた紙には、店における禁止事項も読み取れる。見ごたえたっぷりの本作も大英博物館からの里帰り。
喜多川歌麿《青楼十二時》 寛政6年(1794)頃大 英博物館蔵ほか
吉原の遊女の24時間を2時間ごとの推移で描いた揃物は、歌麿の代表作のひとつ。本展では前後期展示替えによる一部パネル展示を含めて、12枚の図像を追える。遊女たちの表舞台では見られない日常が、最小限の要素と彼女たちのしぐさや表情にあざやかに浮かび上がる。
「歴史編」では、江戸の前・後期と近代に大別し、各時代に生み出された文物から吉原の約250年の変遷と変容をたどる。
そこには、武家から豪商・文化人、そして庶民へと、拡大しつつ変わっていく客層や、そうした動きをいち早くとらえ、同時に扇動していった蔦屋重三郎に代表される版元の存在、彼らが抱え、育てた狂歌連の世界、創意工夫を凝らし、人びとを魅了した美人画の精華が見いだせるだろう。
手前:伝 古山師重《吉原風俗図屛風》 江戸時代(17-18世紀)奈良県立美術館蔵 展示期間:3月26日(火)~4月17日(日)
菱川師宣に学んだとされる絵師による吉原の情景。遊女たちの髪型は元禄時代を感じさせ、当時の遊客も武士たちが主流であったことを伝える。
寛政期に刊行された蔦屋重三郎(出版)『吉原細見』(下:寛政元年 [1789]、上:寛政4年 [1792]) いずれも台東区立中央図書館蔵 展示期間:3月26日(火)~4月17日(日))と北尾重政・勝川春章 画『青楼美人合姿鏡』(安永5年〔1776〕)、東京藝術大学附属図書館蔵
蔦屋重三郎が刊行した『吉原細見』は、ページ中央を通りとして茶屋や妓楼を上下で向かい合わせにするかつてのレイアウトを復活し丁数を半減させて、見やすく、懐に入れやすいハンディタイプにしたことで評判になる。『青楼美人合姿鏡』は、『吉原細見』に先駆けて蔦重が刊行した絵本。
右:「2-3 錦絵美人画」前期展示風景から
歌麿をデビューさせた新興の蔦屋重三郎の一方で、主に西村屋与八ら老舗版元から刊行されたのが鳥文斎栄之の美人画だった。妖艶な歌麿美人に対し、上品で清廉な美人で拮抗した。
六歌仙を遊女にやつしたシリーズの一枚。上部にあるカルタから百人一首でも知られる喜撰法師のやつしとわかる。手に持つ貝合わせの貝には、和歌の“宇治山”にちなみ、『源氏物語』「橋姫」の場面と思われる絵が描かれる。読み取りに高い知識が求められる図は、描かれた遊女の教養をも暗示する。歌麿に拮抗する人気を得ていたという栄之の珍しい大首絵の一作。
新潟の豪商が江戸へ旅した際に実際に歌麿に依頼して描かれた伝来を持つ肉筆画。唐風の水盤の前で涼をとる妓女。くつろいだ様子は、薄衣から透ける襦袢の赤や素足の白い肌が艶めかしい色香を立ち昇らせる。その心情までを描き出す、歌麿最盛期の画力が感じられる佳品。
そして近代、江戸時代の文化を否定する風潮のなか、日本の文化としてとらえた外国人の眼を通した吉原の風景や遊女たちの写真は、同時に日本人にも虚構ではない「個」としての女性の存在を意識させ、国際社会での立ち位置や人権の視点からも、吉原解体へと進んでいく。それは同時に失われゆく文化を惜しむまなざしをも含んで記録として残された。
由一の《花魁》は、その引き裂かれた意識を象徴する一作であり、こうして消えた「江戸的なるもの」に限りない哀惜と郷愁を持っていた鏑木清方が昭和時代に描いた『たけくらべ』の世界に、その残滓を感じさせる構成はみごとだ。
浮世絵に描かれていた遊女たちは、近代に入り、写真に記録されていくことで、個としての女性の存在を際立たせていくようになる。
当時全盛の花魁・稲本楼の四代小稲(こいな)を描いた肖像画は、失われゆく遊里の結髪やその姿を残したいという依頼で描かれた。その意を汲み、徹底した観察と描写で、着物や簪(かんざし)の質感までを捉えた一作は、モデルの花魁からは「こんな顔じゃない」と泣いて抗議されたそうだ。吉原の文化を残すという目的と同時に、理想と夢の存在であった「花魁」が、一個の人間(女性)であることを浮かび上がらせ、近代の眼と意識がそのヴェールを剥ぎとった作品ともいえる。修復を終えての初公開。血色のよくなった肌や着物のあざやかさも楽しんで。
「体験編」は、文字通り空間とともに楽しみたい。
まずは、吉原に入るまで。
隅田川の対岸に約10万㎡の広大な敷地を囲っていた吉原へは、もちろん橋を渡って徒歩でも行けたが、通(つう)は猪牙舟(ちょきぶね、屋根のない細い船体の舟)や屋根船で隅田川を渡ったという。こうした訪いの情景も、図巻や浮世絵版画に描かれた。それらに自身を託し、模型の船に気持ちを乗せて、大門(おおもん)から中央の通りを見渡す吉原五丁町が展示空間に広がっている。
吉原へは隅田川を舟で渡っていくのが粋とされた。そのイメージからはじまり、大門から五丁町を模した通りに沿って、吉原の年中行事をたどりながら、客としての作法や遊女たちのファッション、芸者たちの芸能などについて学べる造りになっている。
それぞれの区画では、吉原独自の年中行事を巡りつつ、「大見世」「茶屋・妓楼」「大文字屋サロン」「玉菊燈籠(たまきくどうろう)」「吉原芸者、花魁の教養」「遊女のよそおい、切り見世」「仮宅」などのテーマから、工芸品や楽器、模型も交えた作品と資料で吉原の姿を追う。
Wadsworth Atheneum Museum of Art, Hartford. The Ella Gallup Sumner and Mary Catlin Sumner Collection Fund
右:部分
栃木の豪商の注文で描かれたとされる、《深川の雪》(岡田美術館蔵)、《品川の月》(フリーア美術館蔵)と併せて歌麿肉筆三部作として知られる一作。大画面に仲之町に植えられた桜を愛でる引手茶屋の様子を、美人たちで表したやつし絵だ。架空の情景でありながら、それぞれの表情も豊かに繰り広げられる春の宴は、生き生きとした臨場感を持っている。
左手前は歌川国貞 《桜下吉原仲之町賑之図》川崎・砂子の里資料館蔵
右:「3-3 揚屋町 茶屋から妓楼へ」前期展示風景から
毎年桜の木を運び込んで通りに植える吉原の豪気な花見は浮世絵にも多く描かれる。右手前は、葛飾北斎による《吉原妓楼の図》(山口県立萩美術館・浦上記念館蔵、3月26日(火)~4月21日(日)展示)。遠近法を援用して立体的に描かれているのが北斎らしい。
右:展示風景(「3-4 京町一丁目 大文字屋サロン」から)
京町一丁目の大見世大文字屋の妓楼主は、「かぼちゃ」と揶揄された頭の形を逆手にとって自身を見世の宣伝に用いる洒落の持ち主。その意気とあだ名を引き継いだ二代目「かぼちゃ市兵衛」は、吉原狂歌連の総帥として文化サロンでも活躍した。狂歌名は「加保茶元成」。抱一はこのサロンに深く関わっており、大田南畝の『仮名世説』に西村重長が描いた初代妓楼主の挿絵を絹本に写した。抱一の意外な一面を伝えるとともに、吉原が支えた文化の一端を示してくれる。
吉原五丁町の奥では、人間国宝の人形師・辻村寿三郎の遊女人形が妓楼の精巧な立体模型のなかで息づく「江戸風俗人形」の展示が360度からみられる。
美しくもどこか妖しい人形たちは、金糸銀糸の織り込まれた衣装や飾りはおろか、それぞれの表情や化粧まで細やかに描きわけられて、遊女たちの日常を立体的にみせてくれる。
さらなる驚嘆は室内の調度。屏風や掛軸はもちろん、宴席の小皿の料理まで精緻に再現されていて、小さくなって人形たちと一緒に内部を歩きたくなってくる。撮影OKなので、ぜひこだわりの細部までお気に入りのショットを!
文化・文政期の妓楼を想定して創られた圧倒の模型は、360度から鑑賞できる。それぞれに豪華な衣裳を身につけたジュサブロー人形23体が建物内に配される。簪などの装飾品もみごとだが、それぞれの表情もお見逃しなく。花魁道中の毅然とした顔、窓辺で物思いにふける表情、そして当時流行していた下唇に緑色を入れる笹紅(ささべに)まで再現している。さらに室内調度の豪華さ、細やかさ、精密さは必見だ。
吉原で催される年中行事は、いずれも大規模で、かける金額も内容のこだわりもけた違い。それらは、普段はお大尽たちしか楽しめない遊女や芸者たちの姿や芸を、そして吉原という町の豪華さを、庶民も楽しめる貴重な機会だった。男性に限らず、江戸っ子に限らず、あらゆる人々が集ったことが、残された作品からも伝わってくる。女性たちにとっては、憧れのファッションや髪型、化粧などを実際にみられる心おどる時間であったろう。
俄(にわか)とは廓内にある九郎助稲荷の祭礼に合わせて開催された吉原芸者衆の余興で、即興的な茶番狂言や舞踊、所作事(舞踊劇)などが演ぜられた。吉原芸者は毎年かなり力を入れて準備していたようだ。普段は座敷で限られた客だけに披露される一流の芸をこの時期は吉原に入るだけでみられるということで、老若男女問わず、多くの観衆が詰めかけたという。
江戸のファッションリーダーとしてモードを牽引していた人気花魁。文化・文政期には裾袘(すそふき)にたっぷりの綿を入れたボリューム感のある打掛に大きな帯を垂らす装いが流行した。全体のバランスを取るために結髪も髪飾りも履物も大ぶりになっていく。さらに清朝の龍袍(皇帝の礼服)の意匠が流行し、本作のような、歩くのも大変そうながら勇ましく豪華な装いが浮世絵に残されている。
ここは、彼ら江戸の人びとが吉原を巡ったように、自由に散策してほしい。まずは季節を巡ってみるもよし。次いで、吉原に展開した教養や知識を追ってみるもよし。気になったら「江戸風俗人形」に戻り、ふたたびファッションからたどってみても。そして、下級遊女がいる「切り見世」、火災によって焼け出されてなお、生きるために営業していた「仮宅」や客を送り出す「後朝(きぬぎぬ)の別れ」に、吉原の虚実の哀しみや闇を見いだすこともできるだろう。
文化・文政期の花魁ファッションは、溪斎英泉の画に象徴的だ。北斎にインスピレーションを与えたともいわれる「藍摺」も英泉が始めたものだ(左)。
左:歌川国貞 《北国五色墨》文化12年(1815)静嘉堂文庫美術館蔵 3月26日(火)~4月21日(日)展示
「北国」は、江戸の北側に位置した吉原の俗称。花魁から見世の女主人、下級遊女、芸者まで、吉原の異なる職分の女性たちを描き分けている。
右:雪の吉原の情景を描いた浮世絵
まさに「大吉原」の名にふさわしい内容は、光も闇も飲み込んで、豊かな文化を育み、享受した江戸庶民の姿を浮かび上がらせる。女たちの苦しみと悲しみの制度のなかで、すぐれた美や知が生まれたことも事実なのだ。それは歴史をたどる真摯なまなざしに根ざした文化の検証となっている。
「人権」の概念がなく、売買春が許されざるものであるという認識も低かった江戸時代。それは同時に「美術」という概念もなく、浮世絵版画が残されるべきものであるという認識もなかった時代なのだ。
近代を経て、「人権」や「美術」という視点を持ったわたしたちが「吉原」を考えることの意義や意味を改めて思いながら巡りたい。それは、決してふたたび現れてはならない空間だが、確実に存在し、江戸時代を彩った文化遺産でもあるのだから。
展覧会概要
「大吉原展」
東京藝術大学大学美術館
会 期: 2024年3月26日(火)~5月19日(日)
※会期中一部展示替えあり。後期展示:4月23日~
開場時間:10:00‐17:00 ※入館は閉館の30分前まで
休 館 日:月曜(ただし4/29と5/6は開館)、5/7
観 覧 料:一般2,000円、高校・大学生1,200円
中学生以下および障がい者手帳持参者とその付添者1名は無料
問 合 せ:050-5541-8600(ハローダイヤル)
公式ホームページ https://daiyoshiwara2024.jp/