駐車場に車を停めた途端、猫の鳴く声が聞こえてきた。まるで子猫が母親を呼ぶように、間を置きながら甘やかな声で鳴き続けている。
準備もそこそこに、慌てて外に出てみると、
待ちきれない様子の猫が1匹。
か細く高い声のわりに、体格は立派で、しかも雄猫だ。
猫は「さあさあこちらへ」とでも言うように、自ら先導して我々を境内に招き入れ、ほどなく、いつまで経っても黒い物体(つまりカメラ)を構えたまま動こうとしない撮影者に気がついて、不満げに足を止めた。
そして……、
あ、これはもしや……。
予想通りにぐいぐい近づいて、
あっという間にカメラに衝突寸前に。
これは大変、いや、楽しい時間になりそうだ。
和歌山県北部の岩出市に鎮座する上岩出(かみいわで)神社は、昔から「白山(はくさん)さん」の名で親しまれてきた氏神様。
明治43年(1910)に上岩出村の村社として現在の名に改称されるまで、白山神社が正式名称だったという。
もっとも、神社として創建される以前は、この場所が大阪と和歌山の府県境を東西に連なる和泉山脈の麓に位置することから、修験道との関わりが強かったようだ。伝承によれば、このお社は、大宝元年(701)に蔵王権現が祀られたのがはじまりとされている。
山に籠り、厳しい修行を行うことで悟りを得ることを目的とする、日本独特の信仰形態である修験道。なかでも前述の和泉山脈と、大阪と奈良の府県境を南北に連なる金剛葛城山脈の峰々は、修験道の開祖であり、奈良・吉野の金峯山(きんぷせん)で蔵王権現を感得したと伝わる役小角(えんのおづぬ)が、はじめて修行を積んだ地とされている。しかも、その修行の際に、法華経8巻28品(ほん=仏典における篇や章)を峰々に1品ずつ埋納したと伝わることから、今もその経塚や巨石、滝などの行場を巡る葛城修験が行われているという。
山の麓の森の中という環境は、猫にとっても過ごしやすいのだろう。この日も境内周辺の森の中を闊歩する、まさに修験者のような猫を見かけた。
さて、先ほどの猫である。何度もフレームアウト、その後スリスリを繰り返し、「かまって」モードを発動。
身に余る歓待ぶりにこちらも応えるべく、しばし撮影の手を止めて、しっかり猫と向き合った。おかげですっかり落ち着いたよう。
喉を潤し、一息つくと、
いそいそと爪を研ぎ、
「さあ、行きましょう」と言うように、再び先導して歩き始めた。
向かう先は、
宮司の村田実さんのそば。
そろそろ猫たちの朝ごはんの時間だという。
この神社の御祭神は、白山比咩神(しらやまひめのかみ)、つまり菊理媛命(くくりひめのみこと)と、イザナギノ命、イザナミノ命の3柱の神。加えて、村社となった前年の明治42年(1909)からは、明治期に進められた1町村1社とする神社合祀令に基づいて、近隣の33社が合祀され、新たに21柱の神々も祀られるようになった。
社伝によれば、白山比咩神が祀られるようになったのは長承2年(1133)。真言宗の僧、覚鑁上人(かくばんしょうにん)が新義真言宗の総本山、根来寺(ねごろじ)を開山するにあたり、「われを当山の巽(たつみ=東南)の方に奉祀せば根来の繁栄疑いなからん」との白山比咩神のご神託を受け、加賀国石川郡の白山比咩神社から御祭神を勧請し、根来寺の巽の宮として社領200石を奉納したのが、白山神社としてのはじまりという。
「当社の創祀に関する伝承には諸説ありますが、一説では、覚鑁さんが尊敬していた弘法大師が高野山を開くにあたり、まず狩場明神や丹生明神といった土地の神様を守護神としてお祀りされたことから、覚鑁さんもそれに倣って、根来寺創建の際に、まず守護神をお祀りされたのではないか、とも言われています」と村田宮司。
ご好意により、普段は入れない場所から木造檜皮葺(ひわだぶき)の本殿も見せていただいた。
本殿の建立は、安土・桃山時代の文禄3年(1594)。創祀当初の本殿は、天正13年(1585)の豊臣秀吉による根来寺焼き討ちの際に焼失したという。だが、焼け跡から御神鏡が見つかり、その後氏子たちの尽力によって再建された。鮮やかな彩色と優美な屋根の曲線が、当時の建築の特徴である華やかさを今に伝えている。
本殿を前にして、話題は自ずと御祭神である菊理媛命へ。
「菊理媛命様は白山比咩神様と同一神とされていて、日本書紀では、正伝ではなく異伝(第十の一書)にのみ、1度だけ登場する神様なんです」
神話によれば、イザナミノ命は火の神を出産した際に火傷を負い、他界したとされている。悲しんだ夫のイザナギノ命は、妻に会うために死後の世界である黄泉国を訪問するが、その変わり果てた姿に逃げ出してしまい、この世とあの世の境である黄泉比良坂(よもつひらさか)で、後を追ってきた妻と口論になる。そのとき現れたのが菊理媛命で、その姫神の言葉によって夫妻は仲直りをし、夫はその場を去っていくという話である。
気がつくと、猫が再び不満げに視線を送っていた。
どうやら我々のせいで、朝ごはんの時間が遅れてしまったよう。ごめんごめん。
ご飯の合図は、村田宮司が鳴らすパンパンという柏手(かしわで)の音。すると……、
まず黒猫がやってきた。
続いて、先ほど見かけた修験者のような猫が、やはり森の中から現れて、
お腹を満たし、その後瞑想(?)。
再び川を渡り、森の中へ消えていった。
「この辺りは葛城修験のコースの1つとされていて、かつて紀ノ川から上がってきた修験者たちが、ここで身を清めて山へ入ったと言われています」
現在は地域の「氏神さん」として、近隣の人々が気軽にお参りできる身近な存在のよう。特に取材に訪れた日は休日で、散歩途中に立ち寄ったという家族や、たびたびお参りに来るという男性など、氏神参拝が日々の暮らしに根づいている様子がうかがえた。
なかには、40分かけて歩いてきたという小学生の女の子も。
村田宮司から渡されたちゅ〜るを手に、猫も人間も大満足。
聞けば、今日は七五三の神事も行われるという。参拝者の許可を得て、少し様子を見せていただいた。
神事は2組の家族それぞれが、時間を変えて別々に行われた。つまり、他の人と一緒ではなく、それぞれの家族の対象となる子どものためだけに、健やかな成長への感謝と祈りが捧げられるということだ。
最初の主役は5歳の男の子。
村田宮司が叩く太鼓の音を合図に神事が始まり、まずはお祓い、
それから神前にお供え物が捧げられ、祝詞の奏上が行われる。神事は粛々と進んでいき、家族それぞれが神前で玉串を奉納し、2礼2拍手1礼の参拝を行う場面も。
最後は、「魔除け」とも解釈されている鈴の音で祓い清められ、
慎ましくも厳かな神事が終了した。
自分のために心を込めて祝詞が奏上され、自らも玉串を奉納したり、2礼2拍手1礼の参拝をしたり。非日常の体験は、幼心にもしっかり刻まれたことだろう。
たとえ忘れてしまっても、いつかふとした瞬間に、この日のできごとが記憶の底から蘇るときが来るにちがいない。
日本の文化や風習は、この国の風土に根ざした、日々の、さらに折々のささやかな祈りと感謝の心の、気の遠くなるような積み重ねによって成り立っている、そう改めて感じた。
2組目の家族が帰る頃には、茂みのそばで寝ていた黒猫も登場。お祝いを言いに来たのかな?
和やかな時間は、猫にとっても心地いいのだろう。
夕飯どきには、それまで姿を見せなかった猫たちとも会えた。
土地の守り神である氏神様は、住民たちの心のよりどころ。都会では忘れ去られつつある「氏神さん」の存在やさまざまな風習の本来の姿が、細々ながらも続いていくことを切に願いつつ、お社を後にした。
上岩出神社
〒649-6219
和歌山県岩出市北大池396番地
TEL:0736-62-6821
堀内昭彦
写真家。ヨーロッパの風景から日本文化まで幅広く撮影。現在は祈りの場、祈りの道をテーマに撮影中。別冊太陽では『日本書紀』『弘法大師の世界』などの写真を担当。著書に『ショパンの世界へ』(世界文化社)、『おとなの奈良 絶景を旅する』(淡交社)など。写真集に『アイヌの祈り』(求龍堂)がある。
堀内みさ
文筆家。主に日本文化や音楽のジャンルで執筆。近年はさまざまな神社仏閣をめぐり、祭祀や法要、奉納される楽や舞などを取材中。愛猫と暮らす。著書に 『カムイの世界』(新潮社)、『おとなの奈良 心を澄ます旅』(淡交社)、『ショパン紀行』(東京書籍)、『ブラームス「音楽の森へ」』(世界文化社)など。