「名誉宮司に会いに」伊勢神社│ゆかし日本、猫めぐり#52

連載|2024.10.18
写真=堀内昭彦 文=堀内みさ

 岡山市の中心市街地の一角に、「伊勢」の名を冠するお社、伊勢神社がある。

 御祭神は天照皇大神(あまてらすすめおおかみ=天照大御神)。豊受大神(とようけのおおかみ)と栲幡千々姫命(たくはたちぢひめのみこと)も祀られている。
 豊受大神は、天照大御神のお食事を司どる御饌都神(みけつかみ)。伊勢神宮外宮の主祭神として知られている。一方、栲幡千々姫命は、天地開闢(かいびゃく)のときに高天原に現れた、造化三神と呼ばれる神々の中の高皇産霊神(たかみむすびのかみ)の娘で、天照大御神の長男、天忍穂耳命(あめのおしほみみのみこと)と結婚し、のちに高天原から地上世界に天降る瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)を産んだとされている。

 高天原を統括する天照大御神を中心に、その神とゆかりの深い神々がこの神社に祀られているのは、いわゆる元伊勢の伝承地であることに関係しているのだろう。

 天照大御神が理想の地を求め、奈良の笠縫邑(かさぬいむら)から各地を転々とされ、伊勢の地にお鎮まりになるまでの伝承を記した『倭姫命(やまとひめのみこと)世記』によれば、現在の岡山県を含む吉備国では、名方濱宮(なかたのはまのみや)に4年間御鎮座されたことになっている。伊勢神社は、その有力な伝承地だと考えられているのだ。

 今回、そんな由緒ある古社を訪ねたのは、名誉宮司にお目にかかるため。約束の時間に社務所に向かうと……。

「どーも」

 名誉宮司が迎えてくれた。脱力モード全開の姿に思わず笑みがこぼれ、肩の力がストンと抜ける。

「てん」ちゃんは2代目の名誉宮司。

 初代名誉宮司のあいちゃんが他界し、半年ほど経った頃にこのお社にやってきた。

 実は、2018年に発生した西日本豪雨で被災した家を解体した際、他の4匹の子猫とともに発見されたのがてんちゃんで、当時の体重は500gほど。それが今や9kgになり、外に出るときだけ付けるというハーネスも、一番大きいサイズがパンパンに。

 早速、朝の見回り(つまり散歩)に同行させていただくことになった。

 だが、「まずはこちらをご覧ください」……、

と言わんばかりに、すぐに案内板の前に座り込む。さすが、名誉宮司である。

 神社の略記によれば、天照大御神は、まず第10代崇神(すじん)天皇の皇女、豊鋤入姫命(とよすきいりひめのみこと)を、続いてその姪に当たる倭姫命を御杖代(みつえしろ=杖の代わりとなってご奉仕する者)として、89年間、諸国を御巡幸されたという。

「この地に御鎮座される前も、倭国(奈良県桜井市)以外に、丹波国の吉佐宮(よさのみや=京都府宮津市)に4年間、紀伊国の奈久佐濱宮(なぐさのはまのみや=和歌山市秋月)に3年間御鎮座されています」

 宮司の見垣(みがき)安邦さんはそう言って、御巡幸について、「私見ですが……」と前置きをし、補足説明をしてくれた。

「紀伊国の奈久佐濱宮からこの吉備国までは、おそらく船で瀬戸内海を通って来られたと思います。御巡幸の理由も、稲作を広めるためという説もありますが、私は大和朝廷を確立するために、諸国の豪族たちと話し合いなどによって、朝廷に従うという約束をさせていったのではないかと考えています」

 つまり、初代の御杖代である豊鋤入姫命は、天照大御神が御鎮座されるにふさわしい清々しい地を探しつつ、丹波国や紀伊国、吉備国を平定し、その後、倭姫命がその役目を引き継いで、近江国、美濃国、尾張国を平定。さらに、天照大御神が伊勢の地に御鎮座された後は、倭姫命の甥である日本武尊(やまとたけるのみこと)がその流れを引き継いで、関東を平定していったのではないか、と言うのである。
 たしかにそう考えると、歴史が大きな1つの流れとなって見えてくる。加えて、4年という年月を吉備国で要したのも、それだけ強力な豪族がこの地にいたと解釈できる。事実、吉備国には、全国的に見ても規模の大きな古墳がいくつか存在しているのである。

 すっかり話し込んでしまった我々をよそに、てんちゃんは、見垣宮司の娘で権禰宜(ごんねぎ)でもある佳子さんに見守られ、マイペースで過ごしている。
 気に入った場所で日向ぼっこをし、

気持ち良くなると、ゴロン。

 神域にいるとは思えないほどのリラックスぶりだ。

 もちろん、名誉宮司として決めるときは決め、

参拝者にも、頃合いを見計らってご挨拶。

 その後ようやく歩き出し、本殿へ向かった。

 伊勢神社は、平安時代に編纂された『延喜式神名帳』にもその名が記載されている式内社。社領も1万5千坪あったという。だが、安土桃山時代に岡山城主だった宇喜多秀家が、城下町の建設に着手したことから、社領は次第に減少。

 その一方、神社としては江戸時代の藩主、池田家の崇敬社となり、寛永年間(1624〜1644)から明治維新まで、備前藩の寺社領としては最高の300石を賜っていたという。また代々神職を務める見垣家も、池田家から備前神職総頭という職務を拝命し、同家の祭事一切にご奉仕するという慣習が今なお続けられている。

 てんちゃんも、その長い系譜に連なる1人、いや1匹。
 すごいぞ!

 最後は幣殿へ移動し、見垣家の家族の肖像を撮らせていただいた。
 もっとも、室内だからとハーネスを付けてこなかったため、予想外の展開に。てんちゃんがすばやい動きで、幣殿の奥に引きこもってしまったのだ。

 外からは、地域の小学校の社会科見学なのか、子どもたちのにぎやかな声も聞こえている。てんちゃんは子どもがちょっと苦手。ようやく連れ出しても、落ち着かない様子で周囲の様子をうかがっていた。

 それでもなんとか抱き上げて、はい、パチリ。

 その後はようやく落ち着いた。

 伊勢神社では、毎年10月16日に秋祭り、翌17日に例祭が行われ、両日ともに、拝殿で備前獅子舞が奉納されるという。見垣宮司が、その獅子舞で用いる獅子頭を特別に見せてくださった。

「神道は同じことを繰り返しているから続いているのだと思います。普通の商いでは、1000年以上続くなんてないことです。やはり営利目的でないからずっと残っているのでしょう。お祭りでも、2000年もの間、同じことを繰り返す、それが大事だと思うんです。今度はこうしてみようなど変な欲を出すと、文句が出て、徐々に寂れていくのではないでしょうか」

 続く、ということの背景や重みを、改めて考える取材となった。

 最後の最後に、てんちゃんにお別れの挨拶を……、

 と思ったが、そっとしておこう。

 ありがとう、名誉宮司さん。これからも頑張ってね。


伊勢神社
〒700-0811
岡山市北区番町2-11-20
TEL:086-222-5018

堀内昭彦
写真家。ヨーロッパの風景から日本文化まで幅広く撮影。現在は祈りの場、祈りの道をテーマに撮影中。別冊太陽では『日本書紀』『弘法大師の世界』などの写真を担当。著書に『ショパンの世界へ』(世界文化社)、『おとなの奈良 絶景を旅する』(淡交社)など。写真集に『アイヌの祈り』(求龍堂)がある。

堀内みさ
文筆家。主に日本文化や音楽のジャンルで執筆。近年はさまざまな神社仏閣をめぐり、祭祀や法要、奉納される楽や舞などを取材中。愛猫と暮らす。著書に 『カムイの世界』(新潮社)、『おとなの奈良 心を澄ます旅』(淡交社)、『ショパン紀行』(東京書籍)、『ブラームス「音楽の森へ」』(世界文化社)など。

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