高雄山寺(現在は神護寺)で始まった空海と最澄の交流は、空海が最澄に金剛界と胎蔵界の灌頂を授けた後、次第にギクシャクし始める。きっかけとなったのは、『理趣経』の注釈書である『理趣釈経』を借覧したいという最澄からの申し出を、空海が拒否したからとも言われている。
もっとも、「今の学界では、『理趣釈経』の貸し借りがきっかけではなかったという考え方が主流だと思います」と、神護寺ご住職の谷内さんは言う。ただし、「最澄さんが灌頂を受けた後、〈何年、高雄山寺に留まって修行をしたら、伝法灌頂(密教の奥義が伝授され、弟子を持つことが許される儀式)を受けられますか〉 と聞いたとき、空海さんが3年とどまれと言われたのは事実のようです」
すでに天台宗を開宗していた最澄は、密教においても、空海の帰国前とはいえ、桓武天皇の勅命で、高雄山寺において日本初の灌頂を南都の高僧たちに授けた指導者という立場にあった。それでも7歳年下の空海に密教の教えを乞うたのは、大日経のみを伝授された自分の不備な点を補い、総合仏教を目指す天台宗の大きな柱の一つである遮那業(しゃなごう)、つまり密教の修行法を充実させるためだった。できれば1日でも早く伝法灌頂を授かって弟子を育てたい。最澄にはそんな思いがあったのだろう。
だが、空海は「3年」という年月を提示した。その真意をどう解釈したらいいのだろう。
「空海さんは若いときに虚空蔵求聞持法(こくうぞうぐもんじほう)を実践し、密教の修法のすばらしさを体感しています。ただ、それ以後10年ほどは中国語を学ぶなど、唐へ渡る準備をしています。また唐へ渡ってからも、すぐには師となる恵果阿闍梨(けいかあじゃり)に会わず、真言を唱える上で大切なサンスクリット(梵語)を学ぶなど、相当な準備をしてから会っている。でも、最澄さんはそこまで時間をかけていないわけです。そこで空海さんは、自分の体験から考えて、最澄さんは優秀だから3年ぐらいで伝法灌頂を受けられるだろうと判断し、それまでは高雄山寺に留まって一緒にやっていきましょうと提案したと思うんです」
結局最澄は、密教の修学だけに3年はかけられないと思ったのだろう。自分の代わりに、弟子を高雄山寺に残して密教の修法を学ばせることにし、自身は比叡山に帰っていくのである。
もっとも、それ以後も、最澄は密教経典の借覧を空海に申し出ている。空海はそんな最澄に、密教に対する意識のずれを感じていたのではないか。
密教の伝授は、面授(師から弟子へ直接伝授すること)が正しい方法とされている。そもそも釈迦の教え自体が、究極の真理は言葉や文字では伝えられないとしているが、特に密教では、経典で示されている通りに梵語による真言を唱え、曼荼羅を飾り、法具を扱うなどの修法を通して、経典や注釈書を読むだけでは得られない真理に到達できると説いている。
「真言密教ではお次第があって、決められた順番に仏様をお迎えし、その仏様と一体となって修法をした後、またお帰りいただくという段取りがあるんです。つまり、こういう手順で、こういうふうにやりなさいということをきちっとこなしていれば、いずれ仏様との疎通ができるようになりますよというのを、お次第で教えてもらっているわけです。それができるかできないかは本人次第ですが、簡単にはできませんし、言葉では教えられない感覚的なことでもありますから、ある程度修行を積まないと、密教の深い部分は理解できないということでしょう」
たとえば、後日金堂で行われた法要で谷内さんが務めた導師という役は、まず浄水をそそいで自分の身と道場を清め、
そこに本尊となる尊格を迎えた後、
水や花、燈明などで供養し、讃嘆。それから瞑想し、本尊と一体となるという一連の次第がある。
「瞑想して本尊と一体となる」ことを、密教では「加持」と表現する。「加持」とは、仏と衆生が感応し合うこと。「加」は仏からの、「持」は衆生からの感応を指すという。密教の修法では、行者が手に印を結び(身)、仏を表す真言を唱え(口)、心を仏に深く集中させる(意)、身口意(しんくい)の三業(さんごう)を行うことで、仏の身口意、つまり三密と感応し合い、それが高まることで場の力が発動し、理路を超えた働きが可能になる。つまり、現世的な願いを叶えることができる。密教でいう「加持祈禱」は、言葉ではそのように説明される。
「たとえば宇宙のようなすごく広がりのある仏様が前におられて、その仏様と自分とが繋がって、まるでテレパシーのように心が行ったり来たりするような、言葉では表現しにくい感覚」──。「加持」の境地を、谷内さんはこう説明する。修法を続けることで、その境地に至る訓練をしているのだという。
密教とは経典を読み、書き写して学ぶだけでなく、修法という実践との両輪を通して深まっていくもの。そのことを、空海は最澄に伝えたかったに違いない。むろん最澄もそれをわかっていながら、天台宗の確立を最優先にせざるをえない状況と立場にあったのだろう。
特に理趣経は、「理解するにはそれなりの準備が必要だ」と谷内さんは言う。
密教の教主である大日如来が、他化自在天(たけじざいてん)という天界の王宮で、80億尊の仏たちに正しい真理や道理を17段階にわたって説いた経典、『理趣経』は、その初段で、男女の愛欲も含め、どんな欲望も欲望そのものは清浄だと説いている。つまり、密教の行者でない者にとっては誤解を招きやすい部分があるのだ。
「準備ができている人には教えるけれど、できていない人には教えられない。それが密教の行者としてのスタンスです。空海さんは、最澄さんが理趣経を理解するだけの準備ができていないと見抜いたのでしょう。逆に恵果阿闍梨は、空海さんを見てびっくりした。外国人なのに、密教の必須条件である瞑想ができ、自分が仏様と一体となる感覚をすでに備えているということが、会った瞬間にわかった。空海さんの素質を見抜いたのでしょう」
思えば密教とは秘密の教え、つまり秘密仏教の略称である。この秘密について、空海はここ高雄山寺で書いた著書『弁顕密二経論(べんけんみつにきょうろん)』の中で、「二つの意味がある」としている。つまり「衆生(生命のあるものすべて)の秘密」と「如来の秘密」である。
「最澄さんのように、準備ができていないから読んでも理解できないという受け手側、つまり衆生の理解度によって生じる秘密と、空海さんや恵果阿闍梨のように、教える側が、君はお茶碗一杯分の容量しかないのに、どんぶり分のご飯を詰めてもこぼれるでしょ? だから最初からお茶碗一杯分のことだけを教えるよと、如来の立場で隠す秘密と2種類あるということです。伝授の仕方も人によって変わります。つまり師資相承(ししそうしょう=師から弟子へ法を伝えていくこと)なんです」
受け手側の理解度によっては最初から教えない、つまり秘密にするのが密教であり、だからこそ空海は最澄からの理趣釈経の借覧の申し出を拒否し、逆に恵果阿闍梨は、自分が体得したすべてを空海に教えたのだろう。
そもそも密教は、インドで7世紀ごろに成立したとされている。密教の根本経典である『金剛頂経』という智慧の世界を表す経典と、『大日経』という慈悲の世界を表す経典は、異なる経路を辿って別々に中国に伝わった。その二つの経典を、唯一ともに継承したのが恵果阿闍梨で、彼によって、『金剛頂経』にもとづく密教と『大日経』にもとづく密教は一つに統合され、金剛界と胎蔵界という二つの世界を持つ「両部不二(りょうぶふに)」の密教として体系化された。空海はそのすべてを伝授され、日本に持ち帰ったのである。
帰国後の空海は、多くの弟子を育てる一方、恵果阿闍梨から受け継いだ教えを自分なりに咀嚼し、当時の日本人にとって未知の教えだった密教に一つの道筋をつけるべく、さまざまな著作に取り組んだ。
「空海さんは文学的な素養がすごくあったので、文章で密教とはこういうものだということを残せたのだと思います」
たとえば前述の『弁顕密二教論』では、顕教、つまり密教以外の一般仏教と密教を比較し、両者の違いを明らかにしている。また『秘密曼荼羅十住心論(ひみつまんだらじゅうじゅうしんろん)』では、人間の心の発達を10段階に分け、各段階に儒教や他の仏教各派をあてて密教を最高位の10段目に置き、すべての教えは密教に含まれると論じている。さらに、密教の大きな特徴である即身成仏を教義としてまとめた『即身成仏義』や、『十住心論』の要旨をわかりやすくまとめた『秘蔵宝鑰(ひぞうほうやく)』など、言葉にしにくい密教の世界を文章で表現し、真言密教という思想として発展させている。
なかでも『即身成仏義』には、
「顕教では、仏になるにはどれだけ苦労しても膨大な時間がかかり、生きている間にはとても無理だということが説かれていますが、即身成仏は、この身このままでも仏になれる可能性があると説いています。仏の世界は全部繋がっていて、我々人間も、その世界と繋がっているという感覚を持てば、仏になる可能性があるというようなことが書かれているんです」
知れば知るほど奥深い世界観を感じさせる密教の教え。一般人の我々は、その教えから、今この時代に何を学んだらいいのだろう。
「密教の世界観は曼荼羅に表現されています。自分自身も仏と繋がっているけれど、その他の周りの人も仏に繋がっている。生き物すべてが仏であるということです。そういう見方をすると、戦争のない平和な世の中に変わっていけるはずなんですが、今はそれが生かされてないということなのでしょう」
右/蓮華虚空蔵菩薩。身は赤で、蓮華を持つ。
最後に、空海が遺した著作の中から、今いちばん伝えたい言葉は何かを聞いてみた。
「『仏法ははるかにあらず。心中にして即ち近し』でしょうか。一般の人にとって、仏教や仏様はすごく遠い存在に感じられると思いますが、実はそうではないことを知ってほしいですね」
右/宝光虚空蔵菩薩。身は青で、如意宝珠を持っている。
だが、何をきっかけとしたらいいのだろう。
「日常生活での切り替えは難しいですから、最初の一歩として、たとえば神護寺に来ていただいて、実際にその場所に辿り着いたときに感じたものをちょっと大切にして、今までの自分と違う一歩が踏み出せたら、それでいいのではないでしょうか」
堀内昭彦
写真家。ヨーロッパの風景から日本文化まで幅広く撮影。現在は祈りの場、祈りの道をテーマに撮影中。別冊太陽では『日本書紀』『弘法大師の世界』などの写真を担当。著書に『ショパンの世界へ』(世界文化社)、『おとなの奈良 絶景を旅する』(淡交社)など。写真集に『アイヌの祈り』(求龍堂)がある。
堀内みさ
文筆家。主に日本文化や音楽のジャンルで執筆。近年はさまざまな神社仏閣をめぐり、祭祀や法要、奉納される楽や舞などを取材中。愛猫と暮らす。著書に 『カムイの世界』(新潮社)、『おとなの奈良 心を澄ます旅』(淡交社)、『ショパン紀行』(東京書籍)、『ブラームス「音楽の森へ」』(世界文化社)など。