「国立新美術館開館15周年記念 李禹煥」 国立新美術館

アート|2022.10.14
坂本裕子(アートライター)

静寂の緊張に「在る」ことを確認する空間

 東京・六本木の国立新美術館は開館15周年を迎えた。これを記念した展覧会「国立新美術館開館15周年記念 李禹煥(リ・ウファン)」が開催中だ。

 李禹煥(1936-)は、日本とフランスを拠点に活動する現代美術家である。
 韓国に生まれ、ソウル大学校美術大学に入学後の1956年に来日、日本大学で哲学を学び、1960年代後半から現代美術の制作を始める。
 東洋と西洋のさまざまな思想や文学を吸収した李は、この時期に興っていた「もの派」を牽引した作家として知られている。

李禹煥、フランス、アルル、アリスカンにて、2021年
© StudioLeeUfan, photo: Claire Dorn

 1960年代後半は「反芸術」の概念のもと、世界各地で、制作すること、見ること、作品そのものに対する見直しや懐疑から、新たな表現の開拓が求められた時期であり、日本でも自然や人工の素材そのものを意識し、提示する「もの派」と呼ばれる動向が生まれる。
 明確なグループとして活動したわけではないが、それぞれが「もの」をできるだけそのままの状態で空間に置くことで、ものとものとの関係、置かれた空間との関係、見る者とものとの関係性を問う創作をおこなった。
 関根伸夫による、地面を円柱形に掘り、その土を同形の円柱の立体物として並置した《位相―大地》(1968)を嚆矢とし、菅木志雄、榎倉康二、高松次郎などが知られるが、なかでも文才に長けた李は、「もの派」の論理的な支柱として機能する。

 近年「もの派」の独自の活動は、1960年から70年代の美術動向の見直しを機に世界的にも注目されており、李もグッゲンハイム美術館(アメリカ、2011年)、ヴェルサイユ宮殿(フランス、2014年)、ポンピドゥー・センター・メッス(フランス、2019年)など各地で個展が開催され、ますます活動の幅を拡げている。
 国内では、2010年に香川県直島町に李禹煥美術館が開館している。瀬戸内国際芸術祭を機に訪れた方も多いだろう。

《関係項―ヴェルサイユのアーチ》2014年 作家蔵
Photo: Archives kamel mennour, Courtesy the artist, kamel mennour, Paris, Pace, New York
《関係項ー鏡の道》 2021年 作家蔵
展示風景:「李禹煥 レクイエム」展、アリスカン、アルル、フランス、2021年
© Claire Dorn, Courtesy Lee Ufan and Lisson Gallery

 視覚の不確かさを乗り越えようとしていた李は、芸術をイメージやテーマ、意味という表象の役割から解放し、“そのもの”として存在することと、そのものとの関係性を一貫して問うてきた。

 本展では、「もの派」としての活動前の初期作品から、彫刻、絵画、そしてより深まった環境との共鳴が感じられる近作まで、代表作が一堂に会する。
 国内では、2005年の横浜美術館における個展以来、なんと17年ぶり。しかも意外なことに東京でははじめての大規模個展である。

 展示構成は李自ら考案したという。文筆家でも知られる彼のことばも各所に示されて、これまでの李の活動を網羅的にとらえられるのみならず、現在の李の立ち位置や未来へのまなざしまでが感じられる充実の空間が現前している。

 会場は彫刻作品と絵画作品のふたつのセクションに大きく分けられ、それぞれの展開の過程を追うことができる。それは同時に李の思考をたどることになるだろう。

 冒頭に示されるのは、ヴィヴィッドなピンク系の蛍光塗料が画面を覆う三連画。
 《風景Ⅰ,Ⅱ,Ⅲ》と名づけられた3作は、1968年に東京国立近代美術館で開催された「韓国現代絵画展」に出品された初期作品である。
 塗料の発光は、チカチカと網膜上でハレーションを起こす。よく見れば、ピンクからオレンジと3作は微妙に色が異なっている。また、四隅にはほのかに余白が残されており、その色が「塗られた」ことも感じさせる。画面にはなんら“風景”が浮かび上がることはなく、ものとしてそこに存在しているのだが、部屋の空気をも赤く染めたその中央に立った時、自身が風景になっているような不思議な感覚になる。

《風景I, II, III》1968/2015年 個人蔵(群馬県立近代美術館寄託)
Photo: Nobutada Omote

 こうした初期の錯視効果を強く感じさせる制作では、よりトリッキーさが顕著になった《第四の構成A》と《第四の構成B》が、《関係項》と呼応しつつ、彫刻作品への導入となる。

展示風景から
左:《第四の構成A》1968年、《第四の構成B》1968/2022年 作家蔵
《関係項》1968/2019年 森美術館、東京
右:《風景I, II, III》1968/2015年 個人蔵(群馬県立近代美術館)

 〈関係項〉は、1968年頃から制作された立体作品のシリーズだ。
 石と鉄、ガラスを主として組み合わせるが、それらの素材はほとんど手を加えられず、ただ置かれる。
 そのものが表す意味やイメージはない。李は、異なる質感を持つそれぞれの素材の、それが置かれた場所との、そして見る者との関係性に着目する。
 わたしたちはそこで、石の、鉄の、ガラスの、物体としての存在と向き合うことになる。
 それは同時に、自らのいる空間を意識させ、ひいては自身の存在へと還ってくる。
 身体、もの、空間、それぞれの関係を改めて見直すとき、見る者はそれぞれの経験、記憶、感覚で作品と対峙することになるのだ。

展示風景から
左:《関係項(於いてある場所)Ⅰ 改題 関係項》
《関係項(於いてある場所)Ⅱ 改題 関係項》
右:《関係項(於いてある場所)Ⅱ 改題 関係項》
ともに1970/2022年 作家蔵
展示風景から
左:《現象と知覚B 改題 関係項》1968/2022年 作家蔵
《物と言葉 改題 関係項》1969/2022年 作家蔵
右:《現象と知覚B 改題 関係項》1968/2022年 作家蔵
展示風景から
《関係項―星の影》2014/2022年 作家蔵

 このシリーズは、ときに拡大されたメジャーと石や、鉄と綿のような触覚の対照的な素材が組み合わされたりして、認識の“あたりまえ”を揺さぶってもくる。視覚と記憶の裏切りは新たな感覚への回路を拓いてくれるだろう。

展示風景 左から
《現象と知覚A 改題 関係項》1969/2022年 作家蔵
《項》1984年 神奈川県立近代美術館
《構造A 改題 関係項》1969/2022年 作家蔵
展示風景から
手前:《関係項―彼と彼女》2005/2022年 作家蔵
奥:《関係項―不協和音》2004/2022年 作家蔵

 割れた石を敷き詰めた部屋で、その石を踏みながら進む空間《関係項―棲拠(B)》では、素材の感触を実感しながら、賽の河原のように積み上がったり、小さな洞窟のように組まれたりした石板の情景に、どこか異空間にいるような体験ができるかもしれない。
 1990年代以降、ものの力学や環境への意識を強めたという李の創作の拡張を見ることができる。

展示風景から
《関係項―棲処(B)》2017/2022年 作家蔵
展示風景から
《関係項―プラスチックボックス》2021/2022年 作家蔵
水、土、空気の三大元素が、三原色の照明の元に配置される。床のアクリル板の下にも注目。

 フランスで話題となった作品も本展で再制作されている。
 2021年にアルルの屋外に設置されたステンレスでできた鏡の道の両脇に石を置く《関係項―鏡の道》は、本展でも実際にその上を歩くことができる。
 自身や周囲の風景が移動とともに移り変わるさまに、時間や天候によって移り変わる屋外での情景を想像してみてほしい。

展示風景から
《関係項―鏡の道》2021/2022年 作家蔵

 野外展示場には、2014年にヴェルサイユ宮殿に設営された野外彫刻のシリーズが、新作として発表されている。
 巨大なステンレスのアーチは両端を支えるように石が配される。
 風景の中に現れたアーチの威容を楽しんだら、そこをくぐってみよう。これまで見慣れていた街が、新しい印象をもたらしてくれるはずだ。

展示風景から
《関係項―アーチ》2014/2022年 作家蔵

 1971年にニューヨーク近代美術館で、抽象表現主義やカラーフィールド・ペインティングの代表的な作家であるバーネット・ニューマンの個展に刺激を受けたという李は、絵画制作も始めるようになる。
 そこには、幼年期に学んだ書道の記憶とともに、絵画という固定された画面に「時」をどう表すか、という関心が通底している。

 こうして立体作品と並行して制作されたのが〈点より〉と〈線より〉のシリーズである。
 筆に絵具をつけて、ひたすら点や線を規則的に置いて(ここでも描くというより置く、がふさわしい)いくと、絵具はかすれ、その濃さが次第に淡くなり、画面にはグラデーションのパターンが刻まれていく。

 それは、画家の行為の痕跡としての動きの中に「時」をはらみつつ、単色の濃淡の点や線で構成された画面には、詩のような、音楽のようなリズムが生まれ、「音のない音楽」ともいえそうな静謐で美しい余韻を放つ作品に昇華している。

 描いている姿を想像すると、苦行のようにも、祈りのようにも思えるシリーズは、「描く」とはどういうことか、「絵画」とは何か、をも問いかけてくるだろう。

《点より》 1975年 国立国際美術館
《点より》 1977年 東京国立近代美術館
展示風景から
《点より》1977年 作家蔵
《線より》 1977年 東京国立近代美術館
〈点より〉と〈線より〉 展示風景から

 1980年代前半には、このシステマティックな制作に身体が悲鳴を上げたのか、一時描けなくなったそうだ。
 整然と並んだ筆あとは、不規則に荒々しいものになっていく。
 〈風より〉と〈風と共に〉のシリーズは、まさにタイトルの如く、「時」に「風」という自然の要素が加わって、画面は動きとともに、平面を飛び出して、空間性を獲得している。

〈点より〉〈風より〉と〈風と共に〉 展示風景から

 そのなかで李が見出したのが、描いたものと描かれていない「空白」との関係性だった。
 80年代の後半になると、李の絵画作品は、描く行為が最小限になり、空白が占めるようになる。
 圧倒的な「余白」と、わずかなストロークによる「画」とがはらむ緊張と呼応。
 〈照応〉や〈対話〉のシリーズは、平面のなかに感覚としての空間を持ち込んだ。

《風と共に》 1990年 東京国立近代美術館
〈対話〉と〈応答〉 展示風景から
《応答》2021年 作家蔵
Photo: Shu Nakagawa

    一瞬の出会い 余白の響き 無限の拡がり

 壁に記された言葉とともに、会場の最後には、美術館の壁にポツンと描かれたペインティング《対話―ウォールペインティング》の部屋と、大きな石と描かれていないキャンバスの作品《応答》が置かれた部屋が対置される。

 ウォールペインティングは、壁にひとつの色面が浮かぶ。ひとつとはいいながら、そこにはさまざまな色が重ねられている。
 余白との関係を確認したら、ぜひ近寄って繊細なその重なりを確認してみよう。

 そして《応答》の真っ白なキャンバスは、ウォールペインティングの残像(視覚的記憶)とも響き合いながら、そこに表現の可能性を提示し、石は展覧会のはじまりへと円環する。静寂とともに。

展示風景から
《対話―ウォールペインティング》2022年 作家蔵
展示風景から
《関係項―サイレンス》2006/石:2014年、カンヴァス:2022年

 ものと空間の関係性を問い、そこに時間や自然をおり込んで、さらには、空間は無限へと拓かれていく……。

  李がその創作の中で追求し、見出したものを作品でたどる空間は、彼の思考の跡を追うのみならず、自身の肉体としての身体の存在を、空間に、ひいては環境に、そして過去、現在、未来という、大きな流れのなかに改めて意識する契機となる。

 作品が持つ違和、あわい、痕跡や余白の余韻が交差したところに生まれる、静かだけれども豊穣な感覚を体感してほしい。

展覧会概要

「国立新美術館開館15周年記念 李禹煥」 国立新美術館 企画展示室1E

新型コロナウイルス感染症の状況により会期、開館時間等が
変更になる場合がありますので、必ず事前に展覧会ホームページで確認ください。

会  期:2022年8月10日(水)~11月7日(月)
開館時間:10:00‐18:00 毎週金・土曜日は20:00まで
    (入場は閉館の30分前まで)
休 館 日:火曜
入 館 料:一般1,700円、大学生1,200円、高校生800円
     中学生以下は無料
     障がい者手帳持参者と介護者1名は無料
問 合 せ:050-5541-8600(ハローダイヤル)

【巡回】
兵庫県立美術館 2022年12月13日(火)~2023年2月12日(日)
 ※各会場で一部展示作品が異なります

展覧会サイト https://LeeUFan.exhibit.jp/

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