かこさとしの絵本がもつ普遍性
「だるまちゃん」シリーズ、『からすのパンやさん』、『どろぼうがっこう』……。
いまなお愛読書としている人、子どもと一緒に楽しんでいる人、「ああ、読んだなあ」と懐かしく思い出す人、時代を問わず、世代を超えて愛されている絵本たち。
見慣れた存在が擬人化された愛らしいキャラクターたちが動き出す独創的な世界が伝えるのは、自然の姿であったり、昔話として残る日本の伝承だったり、わたしたちの生活を支えるさまざまな職業のあり方だったり、はたまた科学の謎や倫理だったり。
楽しさのなかに多彩な「学び」や「発見」が込められて、それが絵の魅力と相まって、長く、広く読み継がれている所以なのだろう。
これらを生み出したのは、絵本作家・かこさとし(加古里子)。
2018年、92歳で亡くなるまでに、なんと600冊を超える作品を残した彼の大回顧展が東京のBunkamura ザ・ミュージアムで開催されている。
若き日に描いた油彩画をはじめ、のちの創作の原点となったボランティア活動における紙芝居から、初公開となる絵本の原画、最晩年に構想していた未完の図譜まで、およそ150点の貴重な作品、資料が集結。かこがその生涯において何を見つめ、何を感じ、そして何を伝え、残したかったのかを作品に読みとる空間になっている。
かこさとし(本名、中島哲:なかじまさとし)が生まれたのは1926年。
生地福井県から東京へと転居した小学校2年の時、上京する道中で父から受けた絵の手ほどきが描くことにめざめたきっかけだったそうだ。
しかし、彼の青春時代は、日本が戦争への道を進み始めていた時。
自らを「ヒコー少年」だったというかこは航空士官を目指すも、近視のために体格検査すら受けることが叶わず高校に進学。勤労動員で働くようになった2年の時に繰り上げ卒業して大学に進む。飛行士になれないならば技術者となって世の中の役に立とうと、科学者の道を選んだが、その春には東京空襲に遭い自宅は焼失、終戦を疎開先で迎えたという。
同級生たちが従軍して戦死していくなかで、そうした多くの青年が感じた「死にのこり」となってしまったという罪悪感に加え、価値観が変転した戦後、かこは、軍国主義に与した慚愧(ざんき)とともに、これからできることを模索する。
復興を目指す日本で、研究者として働きながらも、職場では絵の会を主宰し、展覧会を開催したり、自身でもアンデパンダン展に出品したりするなど、絵画制作を続けていく。
また、大学時代から始めていた子どもたちのための活動は、東京大学を中心に始められていたボランティアである「セツルメント活動」へと展開し、休日には子ども会で紙芝居を上演したり、絵を教えたりするなど、社会、文化両面で精力的に動いていたようだ。
ここには、自身を省みてこそ思い至った、次代を担う子どもたちが誤った判断をしないように、賢く健やかに育つように、という願いが込められていた。
「第1章 絵を描く科学者 青年期に見つめたもの」と「第2章 子どもたちから教わったこと セツルメントでの活動」では、絵本作家「かこさとし」が生まれる土壌となった若き日の作品で、彼が育った環境と当時の興味や目指したものを追う。
激しく歪み、蒼ざめた自画像からは、戦後の青年らしい苦悩を読みとれるかもしれない。
社会人になってから制作された労働する人びとを描いた油彩画には、1950年代、社会運動が盛んだった日本の世相の反映をみることができるだろう。
そして、20年にわたって制作、研究が重ねられた紙芝居や幻灯の作品には、子どもたちの反応から学びながら、「想い」を楽しく、分かりやすく伝える、絵本作家へと拓いていく彼の道が見出せるはずだ。
かこは、中学生のころに上野で開催された博覧会で「ダ=ビンチ」の自画像に強い印象を受けたそうだ。
「芸術や科学のすばらしさに魅せられた」というかこが選んだ、画家(絵本作家)と技術者という道には、このきっかけが大きく、「ダ=ビンチ」は折に触れて彼のモチーフとなっていくこともここで提示されている。
右:モナリザとダ・ヴィンチ(かこによる) 1992年(ともに展示から)
こうした経験を経て、子どもたちのために“日本らしい”絵本を作りたい、という想いから1967年に生まれたのが、日本の伝統民芸品である“だるま”を主人公にした『だるまちゃんとてんぐちゃん』だ。
以後、かみなりちゃん、とらのこちゃん、だいこくちゃんなどを相手役にシリーズとして展開され、2018年のキジムナちゃんまで、全11話が刊行された。
1973年に出版された『からすのパンやさん』は、さかのぼること22年前、1951年に大学の先輩の結婚祝いのために制作した手づくり絵本「カア吉とカア子」を元に、育児とパン屋経営に奮闘するからすの夫婦と4羽の子どもたちを描いた物語。
「第3章 だるまちゃんとからすのパンやさん 名作に込めた想い」では、日本にとどまらず世界中で読まれている、かこのふたつの代表作を原画で追う。
日本の伝承や信仰にまつわるテーマを楽しく案内してきただるまちゃんの姿は、2018年の3作では、東日本大震災の被災に対する慰霊や、原発事故への警鐘、そして沖縄へのまなざしとともに現代につながっていく。
活き活きとしたからすの親子、おいしそうでかわいらしいパンが魅力的な「からすのパンやさん」は、続編を望む声が多く、40年を経た2013年に4羽の子どもたちが主役の4作が出版された。おかしやさん、やおやさん、てんぷらやさん、そばやさんへと成長した子がらすたちの姿を描く。それぞれに、自立、商品が市場に出るまでのさまざまな要素と仕組み、調理の科学や助け合いの心、お米が十分に食べられなかった時代に思いを馳せることなど、多様な「メッセージ」が込められている。
からすには、少年のころから敬愛していた宮沢賢治の詩「烏百態」への想いがあったともいわれている。
現代では敬遠されがちなこの鳥をかこはこよなく愛し、本作以外にもあちこちに登場させている。
会場では本シリーズ5点以外のカラスの姿も紹介される。
かこの絵本作家としてのデビューは、1959年の『だむのおじさんたち』である。
科学者、技術者としての知見を活かしたこの本が好評を博し、以後、多くの依頼がくるようになる。
47歳までは会社員との二足の草鞋で活動し、その後絵本作家として、約60年の活動期間に600冊以上もの作品を生み出した。
それらの特徴として挙げられるのが、幅広いジャンルにわたっていることだ。
子どもの好奇心を満たすためには、あらゆる領域の絵本を創ること、そして子どもたちを飽きさせない工夫と展開を考える。かこの絵本にはその精神が貫かれている。
「第4章 子どもたちに知ってほしい さまざまなこと」では、「建設」「自然科学」「身体」「昔話」「童話」「ことば・文化・遊び」「美術・芸術」などのテーマから、多様な分野を描き出したかこの作品にアプローチ。その拡がりと思想を感じる。
科学者・技術者としての眼と、画家・作家としての感性、ふたつがいかんなく発揮された作品の世界は、おおらかに、かつ細やかに展開しているのを実感できる。
そのまなざしは、現在SDGsやLGBTsなどで提唱される理念をすでに先取りしていることも読みとれるだろう。子どもたちの自由で自発的で健やかな成長のためには「あたりまえ」の理念であることを改めて教えてくれる。
かこの作品のなかで、もうひとつ特筆されるのが、その知見を活かした「科学絵本」のシリーズだ。
最終章「第5章 いのちの成り立ちを考えたい 生命図譜に込めたメッセージ」では、 「この世界はどんなふうに出来ているのか、そして人々はそこでどうやって生きているのか。その理解を手助けするために、先に生まれて、失敗などしてきた先験者として僕なりにまとめた見取図を手渡してやること」を、絵本を通して子どもたちに伝えたいと願った彼がひそかに制作を続けていた「宇宙進化地球生命変遷放散総合図譜」(通称:生命図譜)と、「科学絵本」に、未来へとつなぐべきメッセージを受け止める。
『海』(1969年)にはじまった科学絵本は、『地球』(1975年)、『宇宙』(1978年)そして『人間』(1995年)へと描き継がれた。
壮大なテーマながら、日常的に目にする身近なものとの比較からはじまるそれらは、少なくとも20年の間その内容が正しいものであるように、と心を砕いたという。
その集大成であり、彼の絶筆ともなった「生命図譜」は、およそ1.5m×1mのトレーシングペーパーを5枚つなげた画面いっぱいに、宇宙のはじまりから、生物の誕生、進化の過程を描きこんだ未完の大作。
何年もかけて描き足されてきた本画は、繊細な紙質で移動や展示が困難なため、本展では精緻な複製が展示されている。
ミクロからマクロまで、ささやかな生命の息吹から壮大な星の営みまで、過去から未来へ、決して自らの人間という存在から離れることなく、真摯に、しかし大きな可能性を込めた、かこの想いに満ちたエンディングだ。
子どもたちに伝えたかったこと。
それは、あらゆる時代の「子ども」を意味し、その普遍性は、これまでも、いまも、そしてこれからも、温かく、大切なメッセージとして生き続けていくだろう。
会場を出ると、『からすのパンやさん』に登場するキャラクターやさまざまな形に焼かれたパンが3Dとなって並ぶフォトスポットが。
絵本のなかに入り込んだように、かわいらしく夢のある心にくい演出だ。
ショップのグッズも充実。何を買おうか迷ってしまうかも。
また、1階エントランスウォールでは、デジタル本棚「かこさとし 表紙絵の世界」の展示も楽しめる(無料)。
インタラクティブな反応をする表紙絵に、楽しく学ぶ経験をふたたび、あるいは未読の作品を改めて探してみて。
展覧会概要
『かこさとし展 子どもたちに伝えたかったこと』 Bunkamura ザ・ミュージアム
会期中のすべての土日祝および8/29~9/4は一部オンラインによる入場日時予約が必要です。
新型コロナウイルス感染症の状況により会期、開館時間等が
変更になる場合がありますので、必ず事前に展覧会ホームページでご確認ください。
会 期:開催中~9月4日(日)
開館時間:10:00‐18:00 金・土曜日は21:00まで
(入館は閉館の30分前まで)
休 館 日:会期中無休
入 館 料:一般1,400円、大学生800円、高校生・中学生500円、
小学生以下無料
障がい者手帳の提示で本人と付添者1名は半額
問 合 せ:050-5541-8600(ハローダイヤル)
展覧会サイト https://www.bunkamura.co.jp/museum/exhibition/22_kako/
おすすめ書籍
『かこさとし 子どもたちに伝えたかったこと』
かこさとし・鈴木万里・鈴木愛一郎著 平凡社刊 定価1650円(税込)
展覧会公式図録として貴重な未公開作品を多数掲載。
かこさとしのことばも各所に引用され、その生涯と理念、制作された作品が詰まったハンディでリーズナブルな一冊。これからのガイドに、展覧会の記念に。
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