「ボテロ展 ふくよかな魔法」 Bunkamura ザ・ミュージアム

アート|2022.6.29
坂本裕子(アートライター)

ふくよかさが持つ、アイロニーをはらんだ
“しあわせ”の魅力

Bunkamura ザ・ミュージアムで開催中の「ボテロ展」。

 南米コロンビア出身の美術家、フェルナンド・ボテロ(1932~)は、一度作品を観たら、その名とともに忘れられない作家だろう。

彼の作品は、人物も動物も、果物も、楽器や本さえも、膨張しているのかと思えるほどに、ふくふくと「膨らんで」いる。
 その形態に対する驚きだけではなく、それらは、独特の官能性やユーモア、アイロニーや悲哀をはらんで、不思議な魅力をたたえている。
 まさに副題にある通り、「ふくよかな魔法」としか言いようのない、ボテロのマジック。

ボテロが世界的に認められたきっかけは、1963年、ニューヨークのメトロポリタン美術館でレオナルド・ダ・ヴィンチの《モナ・リザ》が展覧されたときに、ニューヨーク近代美術館(MoMA)のエントランス・ホールにボテロの《12歳のモナ・リザ》(本展への出品はなし)が展示されて話題となり、その後同館の買い上げとなったこと。
 以来、出身地の南米はもとより、ヨーロッパや北米、アジアでも大規模個展が開催され、現代を代表する美術家のひとりとなっている。

フェルナンド・ボテロ

今年は彼の生誕90年。いまだ旺盛に制作を続けるボテロが自ら監修し、初期から近年までの油彩、水彩・素描など全70点で構成される本展は、国内では26年ぶりの開催となる。

会場はゆるやかな編年を、作品のモチーフで分けた全6章で構成される。
 いずれも、「ドーン」とか、「どっしり」「ぽってり」「ころころ」、そして「福々」などのことばが浮かぶ、ボリューム感満載の作品たちは、鮮やかな色彩と堅固な構図の中で、楽しく、ユーモラス。しかし、山椒のアクセントのように、ピリリとアイロニーのまなざしを感じさせ、それがなお味わいを深くする。そしてなぜか観る者を“しあわせな”気分にしてくれる。

会場入り口風景

コロンビア、アンデス山中の都市メデジンに生まれたボテロは、4歳のときに父を亡くし、叔父を父親代わりに育ったようだ。
 奨学金を得てイエズス会の高等学校に進学し、その叔父の勧めで闘牛士養成学校に通うも、16歳の時には展覧会に参加、地元の有力紙の日曜版に記事と挿絵が掲載されており、すでに画家としての道を決めていたのだろう。

裸体デッサンの掲載やパブロ・ピカソについての論文などが原因で高校を放校処分になると、新聞挿絵などで学費を稼ぎながら、別の高校を卒業している。

会場では、17歳の時に描いた水彩画からスタートする。
 この頃の水彩画は現在多くが失われており、画家の初期作品を観られる貴重な機会。
 コロンビアにはまだ美術館も画廊もなかったという時代に、メデジンの画家グループに加わって、外国から入ってくる芸術の最新動向に関心を寄せていたという。
 そうした影響を感じさせながらも、すでにモノのボリュームに対するボテロの関心を読みとることができる。

フェルナンド・ボテロ《泣く女》 1949年 水彩/紙
ほとんど失われたボテロの初期の水彩画のなかで残されている貴重な一作からスタート。当時、画家を目指したボテロが参考にしたものとして、メキシコの壁画作家たちの作品や、雑誌や書籍を通して知ったパブロ・ピカソらのヨーロッパのアヴァンギャルドの動向が指摘されている。ピカソの青の時代を感じさせるような青とベージュの色彩が、泣く女のメランコリックな空気を伝えるが、その身体の表現には、画家が初期から人体のボリュームを重視していたことを感じさせる。

1952年にコロンビアの芸術家展で受賞した賞金でヨーロッパに渡り、3年間そこで過去の名画や当時の理論家たちの著述に出会い、独学で自らの絵画へのスタンスを確認、論理化したようだ。それは、現在に至るまで、たゆまず探求され、創作の展開へと活かされていく。

フェルナンド・ボテロ《バリェーカスの少年(ベラスケスにならって)》 1959年 油彩/カンヴァス
1952年からヨーロッパを旅して、ベラスケスの「官能的な」タッチとその作品に魅せられたボテロが、偉大なスペインの画家の代表作のひとつをモチーフにしたもの。同時に1957年にはニューヨークで抽象表現主義とアクション・ペインティングにも出会っており、身体の動きが感じられる筆致と鮮やかな色彩で、後のデフォルメの作風を予告する自由な変形を試みている。

1956年にはメキシコに移住し、2年ほどを過ごす。
 ある夜、マンドリンを描いていた彼は、中央の穴(サウンドホール)をとても小さく描いてみると、マンドリンの輪郭がふくよかになり、極端に小さな穴との対比に、自身が求めていたボリュームとデフォルメの効果を見いだしたという。
 デフォルメが自然に感じられるようにすること、そしてそのために重要なのは様式であると確信した彼の作品は、モノや人を肥大化してその量感を獲得しつつ、色彩と構成の探求へと展開していく。

「太った人物画」で知られるボテロだが、実は、その画業を通じて多くの静物画を制作している。
 それは、上記の確信を定義し、展開していくための重要なテーマであった。
 特にスペイン絵画における、16、17世紀の画家たちが制作した「ボデゴン(厨房画)」とよばれる静物画を高く評価した彼は、果物や楽器など、身近な素材をテーマに量感とデフォルメとのバランス、配色と配置の、自身の様式を確立していく。
 それらの作品は、彼の優れた観察眼と描写力を感じさせ、そこからボリュームのある「ボテロ様式」への過程を追うことができる。

左:フェルナンド・ボテロ《楽器》 1998年 油彩/カンヴァス
右:「第2章 静物」展示風景から
スペイン絵画における「ボデゴン(厨房画)」とよばれる静物画を高く評価したボテロは、自らも多くの静物画を制作している。ボテロの作品は、宮廷の豪華な楽器やそれに付随する教養の背景などとは異なり、メデジンの伝統音楽でよく使用されるギターやマンドリン、太鼓などがモチーフとなる。ギターのサウンドホールは小さくなり、管楽器も管の部分は丸々として、人物同様にモノのボリュームとその構成に関心が向けられている。
フェルナンド・ボテロ《黄色の花》《青の花》《赤の花》( 3 点組) 2006年 油彩/カンヴァス
ボテロの静物画の特徴として、巨大なカンヴァスのサイズが挙げられる。西洋絵画史において、長らく格付けの下位に位置づけられてきた静物画は、庶民の邸宅に飾られるようになったことも相まって、小さなサイズのものが多い。こうした静物を巨大な絵画にすること、それ自体が絵画史におけるひとつの革命ともとらえられる。そのなかで、まるでポップアートのシルクスクリーンのシリーズのように黄、青、赤という三原色をそれぞれの基調とする3点組みの作品には、同じく西洋絵画におけるトリプティーク(三幅対)の伝統も踏まえているのだろう。空間を圧倒し、眩しいほどの輝きを持つ3点には、それぞれ500以上もの異なる花々が丁寧な筆致で描かれている。
フェルナンド・ボテロ《オレンジ》 2008年 油彩/カンヴァス
「自然の中で最も単純な形はオレンジだ。しかし最も描きづらいものでもある」と言うボテロのオレンジは、鮮烈ながらどこか目に心地よい暖色の階層の中にふくふくと存在し、形態と色彩のみごとなハーモニーに結実し、濃厚な香りまでを感じさせる不思議な魅力に満ちている。

こうしたボテロの作品に選ばれるテーマには、彼の青年時代の記憶や経験が何らかの形で結びついているという。
 ラテンアメリカに生まれ、その社会、文化で育った彼の感性、ヨーロッパで出会った多くの巨匠の作品と西洋絵画の歴史の知識をふまえ、対象とする世界の形、色、衣装や場、それらからあふれる詩的なエッセンスやノスタルジーをいかに造形として表すか。その探求のなかで生み出された作品を、「信仰」「ラテンアメリカ」「サーカス」のテーマで追っていく。

16世紀以降、ヨーロッパの植民地政策によりキリスト教を取り入れ、熱心なカトリック教の文化が花開く南米は、同時に土着の魔術的な世界をも併せ持つ。
 ボテロは自身のルーツ、環境、そしてメデジンで過ごした幼年期の記憶を創作のテーマとしていくにあたり、西洋美術の伝統と、情熱的でときに幻想性すら持つラテンアメリカでの経験とを融合させた。それは、彼の絵画様式と相まって、日常でありながら非日常的な不思議な空気をはらむ独特の画面へと展開する。

「信仰の世界」では、デフォルメされた聖職者や聖人の姿に、コロンビア社会のひとつの権力構造やその存在へのアイロニカルな笑いを感じることができるだろう。

フェルナンド・ボテロ《コロンビアの聖母》 1992年 油彩/カンヴァス
現代風のワンピースドレスに身を包み、大きな宝冠を戴いた「ボテロの聖母」は、ハラハラとそのふくよかな頬に涙を流す。同じく現代的な服装のイエスは、小さな小さな国旗をその指に掲げる。コロンビアにおいて生まれたときからあたり前であるキリスト教という文化的遺産を使い、自国の対立や暴力につながる社会的な混乱をほのめかしているのだという。
左:フェルナンド・ボテロ《守護天使》 2015年 油彩/カンヴァス
右:「第3章 信仰の世界」展示風景から
目に飛び込んでくるのは、“軽やか”とは言いがたい豊かな肉体の裸婦として描かれた守護天使。ベッドで眠るのは、画家本人。それは椅子や床に置かれたパレットや筆が示している。つまりはかなり風変わりな自画像ともとれる一作だ。天使の到来にはつきものの聖なる光は、スイッチひとつで点灯も消灯も可能な電球に変えられ、こちらを見る天使には、どこか悪さをしているところを見つかった者のような微妙な表情が浮かぶ。堅固な色彩と構図の中に含まれる、シニカルなユーモアが光る。

「ラテンアメリカの世界」では、メキシコの芸術家たちとの出会いが、彼の画業の重要なターニングポイントとなったことが挙げられる。自身のルーツへと向けたまなざしが、あらゆる階層の人びとをも含み、ローカルなものを描き出すことで普遍性を獲得していくさまを観ることができるだろう。

左:フェルナンド・ボテロ《バルコニーから落ちる女》 1994年 パステル/紙
右:「第4-1章 ラテンアメリカの世界」展示風景から
遠近感も人物と家との関係性も整合性のない画面に、下着も露わにバルコニーから落下する女性は、その表情に驚きや恐怖は見えない。どこか夢みるような表情のない人物は、特定の物語に収まることを逃れて、誰もが自身の想像力のなかでシーンを享受することを可能にする。 屋根の茶色と女性が身につけた衣装の緑、ちらりとのぞく下着の赤の、色の対比がみごと。 隣に並ぶ《夜》(右)には、人々が寝静まった夜の空を自由に飛び回る悪魔たちが描かれる。キリストとともに闇の存在も濃厚にとらえる南米らしいダークファンタジーの世界もまた、《バルコニーから落ちる女》と通じるものを感じさせて興味深い展示になっている。
左:「第4-1章 ラテンアメリカの世界」展示風景から
右:フェルナンド・ボテロ《通り》 2000年 油彩/カンヴァス
《通り》には、ありえないパースペクティヴの中にひしめくボリューミーで多様な人種、階層、年齢の人びとが描かれる。 しかし、手前の建物の鮮やかな色彩、遠景の境界の柔らかい彩色、人物の配置、その目線の方向まで、細やかで慎重な配色、構図により、画面はほのかな不穏さをはらみつつ、みごとな調和を獲得している。
フェルナンド・ボテロ《バーレッスン中のバレリーナ》 2001年 油彩/カンヴァス
たいへんにふくよかな踊り子が、白いチュチュに薔薇の花のコサージュとお揃いの色の耳飾りとトゥシューズでこともなげに爪先立って片足を高く上げ、ポーズを決めている。現実ではあり得ないだろうこの画面が持つ皮肉も、なぜか楽しく好ましいものとして受け取れるところに、ボテロの魔法がある。
フェルナンド・ボテロ《踊る人たち》 2002年 パステル/紙
コロンビアの伝統であるカーニヴァルや祭りの情景は、ボテロにとっては、自身の記憶の再生とともに、大衆性と、西洋や南米で古くから表されてきた図像を示唆することがひとつになる重要なモチーフであったという。こちらはパステルで描かれた貴重な一作。ぜひ近寄って、油彩との違いを感じて。

ここでは、彼の創作において重要な位置づけにあるドローイングから、2019年から始められた、紙ではなく大型のカンヴァスの裏面を使用して描かれる水彩画も紹介される。
 確立した地位にとどまることなく、自身の画を新たな手法で模索し、超えていく画家の驚くべき探求心が、みごとなシリーズに結実している。

左:フェルナンド・ボテロ《踊る人たち》 2019年 鉛筆、水彩/カンヴァス
右:「第4-2章 ドローイングと水彩」展示風景から
ボテロにとってのドローイングは、単なる下絵やデッサンとは異なり、主要な制作のひとつであった。2019年に始められた水彩のシリーズでは、紙ではなく、カンヴァスの裏面を使用して、青鉛筆で線描を描くという、新しい手法を試みている。よく取りあげられた踊る人々も、かわらぬ重量感のある人体表現ながら、柔らかい線と淡い彩色で、軽やかな洗練を獲得している。

「サーカス」では、毎年1ヶ月の制作期間を過ごすメキシコの漁村・シワタネホで2006年にサーカスの一団に出会い、そのつましく、真正な生きざまやラテンの香り、内に秘めた哀しみのようなものに魅せられて生み出された秀作が紹介される。
 そこには同時に、パブロ・ピカソやアンリ・マティス、トゥールーズ=ロートレックやフェルナン・レジェ、ジョルジュ・スーラ、マルク・シャガールなど、先行する巨匠たちが連綿と描いてきたテーマへの大きな可能性も意識していたのだろう。
 ボテロの作品のなかでは、より強く詩的哀愁が感じられるシリーズといえる。

左:「第5章 サーカス」展示風景から
右:フェルナンド・ボテロ《空中ブランコ乗り》 2007年 油彩/カンヴァス
強い色彩のコントラストの中に描かれた、アクロバティックな空中ブランコのシーン(右)だが、ふと止まった瞬間を描いたかのような静謐な空気がただよう。ボテロの特徴である演者の無表情が、派手な色彩と対比されたとき、そこには空虚や悲哀が垣間見えてくる。
フェルナンド・ボテロ《象》 2007年 油彩/カンヴァス
象ほど、ボテロの形態の持つ重量感を表すのにぴったりな対象はないだろう、と思わずうなずいてしまうほどに、堂々と画面いっぱいに象が描かれた一作。人物は極端に小さく、観客に至っては小さな点描になっている。しかし、糸のような鞭を持つ人物の指示で片足を上げる象の姿は、愛らしさとともに哀しさもはらんでいる。

そして最後に、彼を「世界のボテロ」たらしめた、過去の巨匠の名画をデフォルメして自身の様式で描き出すオマージュのシリーズが紹介される。
 彼がことに敬愛したディエゴ・ベラスケス、ピエロ・デラ・フランチェスカ、ヤン・ファン・エイク、ジャン=オーギュスト=ドミニク・アングル、ピーテル・パウル・ルーベンスなどの世界的名画が、「ボテロ流」に変容する。

左:フェルナンド・ボテロ 《マリー=アントワネット(ヴィジェ・ルブランにならって)》 2005年 油彩/カンヴァス
右:オマージュされた元の作品(会場パネル展示から)
ボテロが印象を強く持った、過去の名画へのオマージュの1点。
マリー・アントワネットが寵愛し、何点も肖像画を依頼した女流画家、エリザベート=ルイーズ・ヴィジェ・ルブランの原作を、彼は反転させた上に、ドレスの色を変え、背景も屋内から屋外へと大きく変容させている。それでもこの作品を目にした時に、ルブランの作品が想起されるから不思議だ。
左:フェルナンド・ボテロ《アルノルフィーニ夫妻(ファン・エイクにならって)》 2006年 油彩/カンヴァス
右:「第6章 変容する名画」展示風景から
こちらも美術史上名高いフランドル美術の傑作で、ボテロが敬愛するヤン・ファン・エイクによるものが元になっている。原画は図像学的にもさまざまな隠喩や象徴、暗示が込められた作品で、ボテロもおおいにインスピレーションを刺激されたのか、いくつかのヴァージョンを制作しているそうだ。原画のシャープな緊張感は、ぽってりとした人体でコミカルさに変容しているが、構図、色彩、細部に込められた要素は踏襲されている。1点だけ、ボテロが意図的に省いたものがある。ぜひ会場で探してみて!
フェルナンド・ボテロ《モナ・リザの横顔》 2020年 油彩/カンヴァス
《12歳のモナ・リザ》が1961年にMoMAに購入されたことが、ボテロの世界的成功のきっかけとなったが、そこには、美術史上の名作に対する単なるオマージュにとどまらない、批判的考察が込められていた。同じ精神でその後も《モナ・リザ》の「バージョン」を制作している。こちらはその最新作。まるで3D映像から写し取ったように、背景ともに横向きの肖像画になっている。その福々しさが、茶目っ気のある皮肉となり楽しいのがボテロの魅力であることを改めて感じさせる。

限りない崇敬とともに、作品の美術史上の位置づけを含む批判的な考察を込めたピリッとした隠し味が「クスリ」とさせる空間は、芸術への愛にあふれ、ほんわかとしあわせな気持ちで送り出してくれるだろう。

東京展はまもなく終了するが、このあと愛知と京都に巡回予定。
 ぜひどこかで「しあわせの魔法」にかかってみて。

フェルナンド・ボテロ《小さな鳥》 1988年 ブロンズ 広島市現代美術館蔵
広島から本展のために特別出張!
美術館を出たテラスにいる丸々とした鳥には、“小さな”のタイトルが。ここにもボテロのユーモアが生きていて、ふたたびしあわせな気持ちになる。
フェルナンド・ボテロ

展覧会概要

「ボテロ展 ふくよかな魔法」
Bunkamura ザ・ミュージアム

会期中すべての渡日祝日は「オンラインによる入館日予約」が必要です。
会期、開館時間等が変更になる場合がありますので、必ず事前に展覧会ホームページでご確認ください。

会  期:2022年4月29日(金・祝)〜2022年7月3日(日)
開館時間:10:00〜18:00(入館は17:30まで)
     毎週金・土は21:00まで(入館は20:30まで)
     ※状況により、会期・入館方法等が変更になる場合があります。
入 館 料:一般1,800円、大学生・高校生1,100円
    中学生・小学生800円、未就学児無料
   *障がい者手帳提示者と付添者1名は半額。
問 合 せ:050-5541-8600(ハローダイヤル)

WEBサイト  https://www.ntv.co.jp/botero2022/#top

巡  回:名古屋市美術館 2022年7月16日(土)~9月25日(日)
     京都市京セラ美術館 2022年10月8日(土)~12月11日(日)

RELATED ARTICLE