三代歌川豊国画「御好三階に天幕を見る図」文久元年(1861)筆者蔵

藤澤茜の浮世絵クローズ・アップ

「絵解き・江戸のサブカルチャー」
第7回 空飛ぶ狐と猫の物語

アート|2025.3.10
文・藤澤茜

歌舞伎における動物の演技

 犬や馬、ネズミなど、歌舞伎には、様々な動物が登場します。舞台上で役者が乗る馬の場合は、その着ぐるみの中に役者が入って演じますが、差金という棒の先に動物のぬいぐるみを付けて操る演出もあり、その表現は様々です。動物の登場は芝居のアクセントにもなり、観る側としても楽しい気持ちになります。
 今回は、歌舞伎を描いた役者絵を題材に、特に動物の表現について取り上げたいと思います。
 歌舞伎における動物の中でも特別な存在は、なんといっても狐です。稲荷神の使いとしても知られ、年を経ると人間に化ける能力を得るといわれる狐は、「義経千本桜」の狐忠信をはじめ、葛の葉狐、玉藻前(たまものまえ)など人気のキャラクターが複数確認できます。狐の本性を見せる演技として、「狐手(きつねで)」という表現があります(下図参照)。明治から昭和初期に活躍し、舞踊劇や怪談物を得意とした女方、六代目尾上梅幸の芸談『梅の下風(したかぜ)』には、「五本の指の爪をまず揃えて爪がピタリと平ったい所へつけるように致します。そうして掌を合わせるようにするのです」との記述があります。『梅の下風』には狐手の図解も掲載されているのですが、興味深いことに、そこには猫の手の図も挙げられています。狐手よりも少し丸みを持たせて握ると、化け猫を演じる際の手の使い方になるのです。実は、歌舞伎の中で役者が着ぐるみなどを着用せずに、動物の役を演じるのは、狐か化け猫のいずれかです。意外かもしれませんが、これらの動物にさらなる共通性があることが、浮世絵をみるとより実感できます。

三代歌川豊国画「源九郎狐」安政6年(1859)国立国会図書館蔵
初代中村福助演じる狐忠信(源九郎狐)を描く。安政6年7月江戸市村座上演「義経千本桜」に取材。源義経の家来、佐藤忠信に化けた様子であるが、狐手によってその本性がわかる。

玉藻前と九尾の狐

 ここからは、歌舞伎や現代のマンガなどでもお馴染みの九尾(きゅうび)の狐について紹介しましょう。狐や猫は、妖しい力を得ると尾が分かれるといわれますが、尾が九つにも別れた、強い妖力を持つこの狐は、唐(中国)、天竺(インド)、そして日本へとわたり、絶世の美女に化けて権力者の寵愛を受け天下掌握をたくらむという、壮大な物語の主人公として知られます。
 歌川国芳による「三国妖狐図会」というシリーズは、タイトルが示すように、唐、天竺、日本の三国での狐の物語を題材にしています。次に挙げる作品には、唐から天竺にわたり、班足王(はんそくおう)の寵愛を受ける華陽夫人(かようふじん)に化けた狐が、本性をあらわして空へと逃げていく場面を描いています。注目したいのは、狐の衣裳です。九つに分かれたプリーツ状の裳裾が、九尾を暗示しているのです。九尾の狐ははるか日本まで飛んでいくのですが、千年以上長生きをして妖力を持つに至った狐は「空狐」「天狐」などと称され、空を飛翔する能力を得るといわれます。現代ではあまりそのイメージはないと思いますが、「空飛ぶ狐」の演出は、歌舞伎にも確認できます。

歌川国芳画「三国妖狐図会 華陽夫人老狐の本形を顕し東天に飛去る」嘉永2年(1849) 東京都立中央図書館東京誌料文庫蔵
「三国妖狐図会」は、江戸時代の小説『絵本玉藻譚』(岡田玉山作・画)を参考に国芳が作画したシリーズ物で、全6図が確認される。華陽夫人の正体を知った班足王のもとから、すり抜けるように空へと飛翔する九尾の狐の様子が描かれる。

歌舞伎における玉藻前

 九尾の狐は、日本では絶世の美女、玉藻前に化けて鳥羽天皇の寵姫となりますが、陰陽師に本性を見破られ、逃げ延びた那須野で殺生石と化したとされています。その玉藻前を題材に、四世鶴屋南北が歌舞伎「玉藻前御園公服(たまものまえくもいのはれぎぬ)」(文政4年<1821>)を創りました。南北は、「東海道四谷怪談」など、幽霊や妖怪の芝居には定評のある作者です。本水(舞台で本物の水を使う演出)や宙乗りなど視覚的にも楽しめる演出が盛り込まれたこの芝居では、美男で知られた人気役者の三代目尾上菊五郎が、玉藻前と色男の玉屋新兵衛の二役を早替りで演じており、その場面の役者絵が残されています。
 八咫(やた)の鏡の威徳により陰陽師安倍泰親(あべのやすちか)に本性を見顕わされた玉藻前が那須野に飛び去り、早替わりで登場した新兵衛役の菊五郎(右)が恋人の三国小女郎とともにその姿を見上げるという場面です。脚本には、「金毛九尾の妖狐の姿にて、黒雲にうちのり顕われ出て、宙のりにて」「雲に乗たるまま」飛び行くという記述があり、玉藻前の演出が分かります。役者の体を綱などで吊り(現在はワイヤーを使用)、劇場内を移動する宙乗りは、空を飛ぶ狐の本性を見事に表現できる演出であるといえます。この絵には、十二単の裳裾が九つに分かれた、九尾を示す衣裳に加え、狐手をして見下ろすポーズや、狐の面をつけたような容貌にも、妖狐らしさが漂っています。玉藻前の宙乗りと早替わりは、神出鬼没の狐という存在を象徴的に表現できる演出だといえるでしょう。

初代歌川国貞画「玉藻の前 玉や新兵衛 尾上菊五郎・三国小女郎 市川門之助」文政4年(1821) 東京都立中央図書館東京誌料文庫蔵
文政4年7月江戸河原崎座上演「玉藻前御園公服」に取材。雷雨のなか、黒雲に乗り飛び去る玉藻前と見上げる三代目尾上菊五郎。厳密にいえば同時には存在しないはずの二役を同時に描くこの構図は、異時同図法と呼ばれるもの。菊五郎のそばには「玉藻の前 玉屋新兵衛 早がわり」と記載されている。新兵衛と恋人の小女郎(二代目市川門之助)は、お揃いの着物で描かれている。
黒雲に乗る玉藻前の拡大図

十二単姿で空を飛ぶキャラクター

 この玉藻前の図と類似した構図の役者絵を紹介しましょう。
 三代歌川豊国による三枚続の役者絵にも、画面左方向に飛び去ろうとしている十二単姿の怪しいものが描かれています。玉藻前によく似ていますが、細部に注目すると、狐手ではなく鋭い爪のある獣の手が描かれており、裳裾の様子も異なっていることが分かります。これは狐ではなく、実は化け猫なのです。
 猫もまた、狐と同じく年を経ると人に化けるといわれます。鶴屋南北が手掛けた人気作「獨道中五十三驛(ひとりたびごじゅうさんつぎ)」(文政10年<1827>初演)には、化け猫が活躍する人気の場面があります。東海道の宿場を舞台にしたこの芝居では、岡崎の場面で十二単姿の化け猫が宙乗りをして去るという演出が盛り込まれています。南北の芝居は後の演目にも影響を与えており、20年以上経って上演された「東駅いろは日記(とうかいどういろはにっき)」(文久元年<1861>)でも同様の演出がとられました。その際の役者絵がこの一図で、雲に乗り、人々を見下ろしながら飛び去る姿が玉藻前と酷似しています。また、同じ芝居を描いた一枚絵にも、よく見ると上部に化け猫が描かれており、恐ろしさよりは可愛らしい様子が目をひきます。

三代歌川豊国画「辰世実猫石ノ怪 市村羽左衛門」「須破数右衛門 中村芝翫」「辰世妹おきく 市村竹松」文久元年(1861) 筆者蔵
文久元年7月江戸市村座上演「東駅いろは日記」に取材。京都から江戸までの東海道の宿場をたどる物語のうち、岡崎の場面。荒廃した建物から十二単姿の化け猫が飛び去る様子。狐手と異なる、鋭い爪を持つ猫足と、大きな耳が印象的である。なお、歌舞伎の上演パンフレットである絵本番付にも同様の描写が認められる。
三代歌川豊国画「東駅いろは日記 岡崎 不破数右衛門 中村芝翫」文久元年(1861)筆者蔵
前掲の図と同じく、文久元年7月江戸市村座上演「東駅いろは日記」における岡崎の場面を題材にしている。上部に配された化け猫は、役者似顔絵ではなく、けわしい表情をした猫の様子であるのもおもしろい。

 化け猫が空を飛ぶというのは、意外に思う方も多いのではないでしょうか。狐と猫はまったく異なる種類の動物ですが、なぜ、このように似通った描写がなされるのでしょうか。
 実は、この二つの動物は深い関わりを持つとされていました。これまでに触れたように、両者ともに年を経ると人に化ける能力を授かるとされ、また化け猫が「猫また」とも称されるように、猫も妖力を持つと尾が分かれるという共通項があります。それだけでなく、狐と猫は「陰」の動物とされていることは、注目されます。中国を中心に発達した陰陽思想では、世界のすべてのものは陰と陽に二分され、日や昼、男など積極的性質を持つものを陽、月や夜、女など消極的性質を有するものを陰とする考え方があります。津村正恭著の随筆『譚海』(寛政7年<1795>)には、縁の下にいた狐と飼い猫が友達になる話があり、「元来同じ陰獣なれば、同気相和して怪しまず」との記述があります。人を化かす動物といえば、狐と狸がすぐに連想されますが、狸は実は陽の動物といわれます。そのため、同じ陰のグループの狐と猫は、類似性をもって捉えられたのでしょう。狐や猫は、陰の動物だから女性に化けることが多い、という考え方もあるようです。
 以上のことから、妖力を持つ狐のイメージが化け猫にも重ねられ、そこから、空を飛ぶ歌舞伎の演出が生まれたのではないかと考えられます。そしてまた、狐と猫の図像を比較することで、その共通点がかなり明確になります。浮世絵を通じて当時の動物観を探るのもおもしろいですね。
 次回は、浮世絵における広告というテーマを取り上げたいと思います。

 次回配信日は、4月14日です。

藤澤茜(ふじさわ・あかね)
神奈川大学国際日本学部准教授。国際浮世絵学会常任理事。専門は江戸文化史、演劇史。著書に『浮世絵が創った江戸文化』(笠間書院 2013)、『歌舞伎江戸百景 浮世絵で読む芝居見物ことはじめ』(小学館 2022年)、編著書に『伝統芸能の教科書』(文学通信 2023年)など。

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