浮世絵の魅力へのたのしいアプローチ
原宿駅から表参道を少し下り左に入ったところにある太田記念美術館。
昭和の実業家・五代太田清藏の浮世絵コレクションを遺族たちが日本の美術振興のためにと公開を企図して開館された同館には、約15000点の浮世絵作品が収蔵される。
初期から終焉までをたどれる時間軸での網羅ぶりに加え、肉筆画と版画の両輪での秀作を擁するそのコレクションは、多くの浮世絵の良品が海外に流出してしまったなかで、世界有数の内容としても知られている。
同館では、単にこれらの作品を展示するのではなく、豊かな収蔵品を活用し、毎回工夫を凝らしたテーマを切り口に、多様な浮世絵の魅力を引き出しているのが特徴だ。
夏休みにもあたる現在、同館の空間には、にぎやかに動物たちが集っている。
その名も『浮世絵動物園』。
浮世絵に描かれた動物たちに注目、身近なものから空想上の存在まで、前後期合わせて約160点の作品から江戸人の息吹と動物たちとの関わりを感じさせ、新しい浮世絵の愉しみを提供してくれる。
右:2階 展示風景
じつは、この企画、2010年と2017年にも開催され、好評を博したもの。
まるでかつてひと夏の夢をもたらした移動遊園地のように、2022年、ふたたびやってきた“動物園”なのだ。
会場は4章の構成。各章、節に付されたタイトルも併せて楽しみたい。
庶民の文化として生まれ発展した浮世絵には、江戸っ子たちの日々の情景が描かれ、そこには、多くの動物たちも登場する。
「第1章 江戸の町は動物だらけ」では、「愛されペット大集合」「暮らしに寄り添う動物」で、江戸の町で人びとと生活をともにした動物たちの姿を追う。
江戸時代にも猫と犬はペットとして人気であったようで、特に猫は美人とあわせてよく描かれた。ここには、平安時代の文学『源氏物語』で、女三宮の飼っていた唐猫が御簾を引き上げ、それを垣間見た柏木と禁断の恋に陥るという、「若菜上」のイメージも継承されているのだろう。
犬は、主に代わって伊勢参りをしたと伝えられる忠犬から、魚屋で盗みを働く姿まで、より人間に近い姿が表される。また当時流行した小型の品種改良犬である“狆(ちん)”が、富裕層の間で珍重され、専用の座布団や個性的な首輪などの付属品も競われた様子は、現代にも通じるペット愛好を浮かび上がらせる。
錦絵の創始者のひとりといわれる春信の一作は、「きめ出し」という手法で猫のふっくらした凹凸が表された豪華な摺物。
猫と蝶は中国では吉祥のモティーフであり、当時の文化人の愛好を得ていた春信らしい、愛らしくも高雅な一作は8月14日まで展示されていた。
幕末から明治初期に活躍した芳年が「相(さう)」にかけてさまざまな階層の美人を描いたシリーズのなかでもよく知られる作品。美人を描きながらも、猫の気もちに寄り添っているところに芳年らしい洒落っ気があふれる一枚は、現代同様に猫が江戸の人びとに愛されていたことを伝える。
名所絵で名をはせた広重が大胆な構図で描き出した江戸名所のシリーズの一点。
まず目に入るのは、桟から外を見つめる丸くなった猫の後ろ姿。その視線を追って、みる者は、浅草、鷲神社の酉の市の賑わいへと導かれる。同時に猫のいる部屋は……?
人の姿はないものの、手ぬぐいや抜かれた簪から連想されるのは男女の逢瀬。「お好きにどうぞ」という猫のセリフも聞こえてきそうだ。仕掛け、読み取りともに秀逸な一作。
北斎が描いたのは、当時の上流階級で愛玩された狆。日本で改良された固有の犬種だが、江戸時代には小型の犬の総称とされていたという。凝った首輪も狆の定番だったそうだ。その愛犬ぶりは現代にも通じるのでは?
ふさふさとした毛並み、いまにも尻尾が揺れそうな描写は、生きとし生けるものを描き出す北斎ならではといえよう。
牛や馬などは、耕作の手助けや交通・運搬手段として重視された。
まだ牛は食用ではなかった時代、農耕には欠かせない労働力であり、家族だった。庶民にはなかなか高級な乗り物であった馬は、当時は蹄鉄ではなく、草鞋(わらじ)で蹄を守っていたそうだ。愛情を込めて馬の蹄の手入れをする馬丁の様子など、旅ブームにより人気を博した東海道の宿場を描いた浮世絵にみることができる。
人びとの生活では食用としての動物たちも見逃せない。
江戸庶民の肉食は、鶏のほかは基本的に、現代では「ジビエ」といわれる野生動物だ。江戸の季節を彩り、食を支えた魚はもちろん、鯨や猪などが、身近な存在であったことを感じられるだろう。
浮世絵は、江戸っ子たちにとってはファッション誌であり、ブロマイドでもあった。
人気の花魁や芸者、話題の茶屋娘、歌舞伎の人気役者に強い力士など、その容姿とともに、彼らの衣装や化粧、背景の道具立ては、男女を問わず憧れとして享受された。
ここにも動物たちのモティーフはデザインとして多く使われている。可愛らしいものから勇壮なものまで、さりげないあしらいから大胆な意匠まで。彼らの姿かたちの美しさだけではなく、吉祥の意味や故事・物語のエピソード、当時の共通認識なども盛り込まれ、そうした含みを読みとる“知識”を身にまとい、まわりに置くことを“粋”として楽しんだのだ。
「第2章 動物のもつ美と力」では、「大江戸ライフスタイル」「人の祈りと動物」から、江戸っ子たちが動物に見いだしていた美や意味、託した祈り、抱いていた畏れなどの想いをたどる。
美人画で人気を博した歌川豊国が描く美男美女は、着ている着物の絵柄に注目。夏の到来を告げる蟹や、中国で「蝠」が「福」と同音であることから招福のモティーフとされた蝙蝠など、現代から見ると、ちょっと驚くような文様をまとった姿が、これまた意趣に富む構図の中に描かれている。
その意味を知った時、彼らの“粋”とともに作品を楽しめるはずだ。
疫病や災害、いまも人間を悩ませる自然の災厄。動物は、病の具象化として表される一方で、その災いを祓う神聖なものとしても描かれる。
江戸時代には、疱瘡除けとして朱摺りの「疱瘡絵」に木菟(みみずく)が多く流布した。また、地震を起こすとされた鯰を表した「鯰絵」も遺されている。
鯰は、ときに擬人化されて、戯画や被災した家々を助ける姿にも描かれており、そこには、善悪二神の日本人らしい感性とともに、“笑い”で恐れを取り払おうとする江戸っ子たちの気概をも見いだせるかもしれない。
キュートな木菟の玩具の画は、江戸時代後期に最大の流派となった歌川派の一端を担った国芳の作。武者絵で知られた国芳だが、大の猫好きで知られ、戯画や動物絵にもその才を発揮した。朱一色なのは、疱瘡除けの「疱瘡絵」として摺られたものであるからだ。「疱瘡絵」では、鍾馗が鬼を追い払う図がよく知られるが、当時、子どもの病として恐れられていた疱瘡は失明のおそれもあったため、木菟も、縁起がよいとされる春駒とともに、多くモティーフとなったそうだ。持ち帰りたくなる一枚。
浮世絵はその情報性もだが、なによりも庶民に安価に絵を楽しむ喜びを広めたことに意味がある。ことに美しい彩色の錦絵は江戸っ子たちの感性を大いに刺激し、お上や世相を皮肉った戯画には、彼らも溜飲を下げたことだろう。
「第3章 動物エンターテインメント」では、「見世物アニマルズ」「風流な動物たち」「擬人化ワンダーランド」と題して、珍しい動物の来日を伝える作品や、画そのものの風情を楽しんだ作品、そして幕末、多くの規制の中で、それでも動物戯画に託した“浮世絵”を生み、楽しんだ江戸人のたくましさをみていく。
象や豹といった、日本には生息していない動物も時には舶来して、「見世物」として庶民にも公開された。
珍しいものへの好奇心は現在と同様に江戸っ子たちを熱狂させ、絵師たちもこぞって動物たちの姿を描く。それは同時に貴重なものを目にする招福の意味合いも持って享受されていく。
現代でも動物園の人気者である象は、江戸時代にたびたび舶来し、将軍謁見ののちに、民衆にも公開された。珍獣中の珍獣であり、福を呼ぶありがたい動物として話題とともに人気を博し、北斎をはじめ多くの浮世絵師によって画に残されている。こちらは文久2年(1862)に来日した象の見世物を告知する、芳豊の一作。この象は以後10年にわたり、全国を巡業して人びとを沸かせたそうだ。
日本で古来描かれてきた「花鳥画」も浮世絵で好まれたジャンルだ。
なかでも広重の花鳥画は優雅な詩情が愛されて人気を博す。手元で眺め、ときには家の柱や屛風、障子などに貼られていたことだろう。
右:菊川英山「虎図」(前期)
虎は日本には生息していないながら、古来日本では画として親しまれてきた動物。
左は、北斎の没年に制作された、絶筆に近い大作。どしゃ降りを感じさせる雨の中、咆哮をあげる虎の迫力は、90歳にしてなお衰えることのない北斎の画力を感じさせる。近年フランス国立ギメ東洋美術館が所蔵する龍図と対幅であることが判明しており、するどい視線の先に龍がいると思うと、なおその迫力が増すだろう。
右は、美人画で知られた菊川派の祖・英山の描く虎。「掛物絵」とも呼ばれた大判の紙を縦につなげた軸画のような画面いっぱいに描かれるそれは、大きな眼と笑っているような口元がインパクトとともに、どこか剽軽な印象をもたらす。
そして、幕末に向けその威光に陰りが見え始めた幕府は、たびたび風紀取り締まりとして浮世絵に制限を付していく。町娘を固有名で描いてはいけない、遊女を描いてはいけない、さらには歌舞伎役者の姿絵も禁じられた。
人として描いてはいけないのなら吉原の情景は雀たちに、と検閲の抜け道を動物に見いだした作品が生まれた。
機知と楽しさに富む作品は、いまでも魅力満載だ。
こうした発想やアイデアは豊かな想像上の動物たちをも創出する。
最終章「第4章 物語のなかの動物たち」では、「名シーンを飾る名脇役」「空想アニマルズ」で、物語の情景をより豊かに伝えるために描かれた動物たちや、巷の噂や絵師の想像力から生まれた空想の珍獣たちを楽しむ。
歌舞伎の演目はもとより、小説や古典文学、歴史の逸話や伝承など、あらゆる物語のキャラクターやハイライトシーンも浮世絵に描かれて、人びとの想像を助けた。
故事に言われる「獅子の児落とし」に、伝説上の龍、わびしい情景の印象を強める野良犬の描写から、化け猫や妖術使いが繰り出す蝦蟇(がま)まで、あるいは金太郎と相撲を取った熊など、古今東西、時空も超えて、あらゆる動物が登場する。
物語のなかで、いかに活き活きと動物たちが活躍していたのかを感じたい。
「おもちゃ絵」で知られる芳藤は、国芳の門人で、幕末から明治期の浮世絵師。
白、黒、斑など、さまざまな兎による大相撲の様子は、赤い眼に感じられる闘争心やその四股名(しこな)とともに楽しみたい。明治4~6年ころ、東京では兎ブームが興り、投機の対象にもなって、こうした「兎絵」が多く描かれたという。世相を写す浮世絵ならではの表現だ。
芳藤による動物戯画。江戸の商人を猫の姿で描く。猫が江戸っ子たちにとって身近であったとともに、師・国芳の継承ともとらえられるかもしれない。当時の子どもたちの社会学習に役立ったのだろうか。現代にも江戸の職業を伝える楽しい一枚。
そして、近年メジャーになった「アマビエ」のような、当時噂になった奇獣や、本来は生物ではなかったものまで生き物にしてしまった作品が紹介される。
同館のキャラクターともなった「虎子石」(前期)は衝撃だ。どうして石を動物にしようと思い、こんな造形(なぜかかわいい)が生まれたのか……。
絵師たちの自由な発想は、常識にとらわれがちな意識を笑いとともに揺さぶってくる。
ツイッターで話題となり、いまやLINEのスタンプにもなって、同館の「ゆるキャラ」的存在として人気の「虎子石」の原図がこちら。
東海道の宿場を滑稽な情景として描いたシリーズから、大磯にある、鎌倉時代の武士・曾我十郎祐成の恋人虎御前にゆかりの「石」を、その名から想像力豊かに動物にしたもの。奇妙ながら、どこか愛嬌のある生物は、周囲で驚く人びとの姿とともに笑みを誘う。
芳員(よしかず)も国芳門下で幕末から明治期の浮世絵師。開国後は、外国人の生活風俗を描く横浜絵を多く手がけた。
やはり国芳門下で幕末から明治初期に活躍した芳虎は、家内安全の祈願絵として干支を描くも、なんと十二支を一体にまとめてしまった! 確かにすべての人にマッチする一枚で、なんとなくかわいいから不思議だ。さて、子、丑、寅……どこに、どのような要素で描きこまれているか、探してみて。
江戸庶民の世相にとどまらず、古典から四季、物語の世界など、一枚の絵のなかに、たくさんの「読み取り」を含んだ浮世絵の悦楽。
動物たちの姿を探すことからアプローチする試みは、初心者には楽しい導入となり、ファンには新しい要素を発見する喜びを与えてくれるだろう。
展覧会概要
『浮世絵動物園』 太田記念美術館
新型コロナウイルス感染症の状況により会期、開館時間等が
変更になる場合がありますので、必ず事前に展覧会ホームページでご確認ください。
会 期:2022年7月30日(土)~9月25日(日)
前期:7月30日~8月28日
後期:9月2日~9月25日
開館時間:10:30‐17:30 (入館は閉館の30分前まで)
休 館 日:月曜日(9/19は開館)、8/30~9/1、9/20
入 館 料:一般1,200円、大高生800円、中学生以下無料
会期中2回目以降は半券の提示で200円引き
障がい者手帳の提示で本人と付添者1名は100円引き
問 合 せ:050-5541-8600(ハローダイヤル)
展覧会サイト http://www.ukiyoe-ota-muse.jp/