渡辺省亭という画家をご存知だろうか? 江戸末の嘉永4(1852)年に生まれ、歴史画の菊池容斎に師事。その後、花鳥画で才能を開花させて、生前には大変な人気を誇ったが、令和の現在では、美術史にもその名前が挙がることは少ない。
しかし、日本での知名度の低さに比べ、海外からの評価は高く、メトロポリタン美術館、ボストン美術館、フリーア美術館、クラーク美術館、大英博物館、そしてクラクフ国立美術館など、名だたる美術館に省亭の作品はコレクションされている。
省亭の生きた時代に、ジャポニスムがヨーロッパを席巻していたことも、省亭が海外に評価される素地を作った理由のひとつだろう。日本画家として初めてパリに渡った省亭は、印象派の画家たちが集うサロンに招かれ、即興で席画を披露することもあった。ためらいなく引かれる筆の線が、たちまちに鳥となり、木となっていく様子は、ゴンクールの日記にも驚きとともに書かれている。また、ドガのために描いた席画なども残っており、パリでいかに省亭が歓待されていたのかを知ることができる。
卓越した技術をもち、海外での評価も高かった省亭が、なぜ忘れられた存在となったのか。いくつかの理由が考えられる。ひとつは、明治30年代以降に盛大に開催された院展、文展へ出品せず、また、日本美術院からも距離をとって、絵師同士の競争や派閥に巻き込まれることを嫌ったこと。そのために、美術史の本流である画壇からは、外れた画家とみなされてしまったのだ。ふたつめに、省亭はパリへ行く以外は、生涯東京を出ることがなかったため、関東大震災、東京大空襲という災禍によって、あらかたの作品が焼けてしまったと思われていたことが挙げられる。
それでも、海外美術館をはじめとして、熱心なコレクターが、遺された作品を大切に所蔵し続け、2021年には、初めての回顧展も開催された。死後100年を経てようやく、「忘れられた画家」の枕詞も外れつつあるのかもしれない。ぜひ誌面にて、「忘れがたき」省亭の画技の確かさを確認してほしい。
別冊太陽『渡辺省亭──花鳥画の絢爛』
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