篠山紀信という写真家を意識したのは、1971年に刊行された写真集『オレレ・オララ』がきっかけだった。私はその頃、駒込に住んでいた。染井銀座のよく利用する本屋にこの写真集が平積みになっていたのだった。ハードカバーの写真集が主流だった時代に、ソフトカバーで、赤い地にスカイブルーで「オレレ・オララ」と書かれているだけのシンプルな装丁に度肝を抜かれた。270ページにおよぶ分厚さで、オールカラー。中身はリオのカーニバルのドキュメンタリーで、映画を撮るように、非常に早いテンポで祝祭のエネルギーを捉えている。それまで見たことのない面白さで、目の付けどころが際立っていた。篠山紀信の名前は知っていたけれど、コマーシャル系の写真家というイメージで、こんなことをやる人だとは思わなかった。
私は映画が好きで、構図が頭の中に刻み込まれるほど同じ映画を繰り返し見てきたから、これは映画のように撮っていると感じた。ただ、自分の撮り方とはまったく違う。だからこそ、新鮮に見えた。


次から次へ世界を駆けめぐり
命懸けで写真を撮る
前回の「永遠の名人にして、永遠の恩人 木村伊兵衛(後編)」でも書いた通り、1973年5月、木村伊兵衛さんに声をかけてもらい、日中友好撮影家訪中団に参加した。そのとき同行した11人のうちの1人が篠山さんだった。木村さんは広い視野を持つ人だった。メンバーは正統派写真の中枢がほとんどで、彼らからすれば、私をはじめ篠山さんや大倉瞬二さんは若造と思われていたのだろう。そうしたなかで、木村さんだけは私たちと親しく接し、篠山さんのことは「次から次へと世界を飛び回って、命がけで頑張っている」と語っていた。
長野重一さん、渡辺義雄さんたち、いわゆる社会派は毛沢東の軌跡をたどる「社会革命コース」を選んでいた。木村さん、篠山さん、大倉さん、そして私などが参加したのは、それを「グルメコース」と勝手に呼んでいたが、要は北京、上海、広州などの大都会を巡るものだった。
篠山さんとは、アサヒカメラの編集部でときどき顔を合わせていたが、話をするまでではなかった。中国へ行ったときに話してみると、かなり気さくな人だった。「俺の部屋へ来て話でもしないか」と何度か呼んでくれた。部屋には大倉さんもいることが多かった。
あるとき、篠山さんは私に、「森山大道と中平卓馬、どっちが偉いの?」と聞いてきた。たしかに何かにつけて一緒に取り上げられることも多く、同じような印象を持たれるのかもしれない。
「見た目は森山さんのほうが派手で、インパクトの強いことをやるから上にいるように思われがちだけれど、中平さんはとにかく頭がよく、地道にコツコツ、絶えず斬新な写真を発表している。中平さんのほうがいいんじゃないかな」と答えた。
篠山さんも大倉さんも、私の少し偉そうな話を感心したように受け止めてくれていた。どうしてこんなことを聞くのかなと不思議に思っていたが、そのあと「アサヒカメラ」誌上で「決闘写真論」の連載が始まり、篠山さんが写真、中平さんが文章を担当することになった。誰と組むのか、探っていたのかもしれない。
中国では、他人が写真を撮るその現場を間近に見ることができた。これは、私にとって初めての経験だった。私は三里塚を撮影したころから、広角レンズで被写体に近づいて撮るやり方を選んできた。キヤノンの25ミリ。周辺光量が落ち、歪みも強くて評判のよくないレンズだったが、あれが自分には合っていた。近づいて相手と向き合い、その場で起きていることに身体ごと反応して撮る。構図を頭で組み立てるというより、瞬間の条件反射でシャッターを切る、そういう感覚だった。
篠山さんは、中国では500ミリの望遠レンズを使っていた。当時としてはかなり先端的な機材で、報道の人たちも同じように500ミリを使っていた。たしかに便利で、遠くにいる被写体もすぐ隣にいるように大きく写せる。ただ、私には望遠というのは遠くから眺めて切り取る行為に思えた。どうしても“絵作り”の要素が強くなる。望遠で撮った写真は、アップでありながらどこか一線を画したような、ベールがかかった距離を感じさせる。
篠山さんの中国の写真は、ドキュメンタリーではあるけれど、私が考えるそれとは少し違って見えた。篠山さんも、タレントや文化人のポートレートでは、標準や広角、望遠といったレンズを使い分けているのだと思う。ただ、ドキュメンタリーで500ミリを使ってしまうと、私たちが考えるリアリティのようなものは生まれてこない気がした。
篠山さんの写真は、ああいう方法で成立している。そのことを、どうこう言うつもりはなかった。ただ、自分はあのやり方はしない。被写体のそばに行き、相手との関係の中で起きることに反応して撮る。その自分のやり方を続けていこうと、そのときいっそう強く思った。
これは篠山さんから聞いた話だが、地方での講座か何かで木村伊兵衛さんと一緒になった際、木村さんは中国に行った11人の写真家それぞれの撮り方を、その場で全部真似して見せたそうだ。篠山さんのやり方も、私のやり方も、実に見事に再現していたという。その話を聞いて、写真というのは方法として取り出すこともできるのかと感じると同時に、自分がどこに立つのかということも、あらためてはっきりした気がした。
「読者は池の中の鯉みたいなもの」
何を写真が欲しいのかがわかる
あまり言われることはないが、篠山さんの写真集では、デビュー作ともいえる『篠山紀信と28人の女たち』(1968)からすでにそうだが、『スター106人』(1973)や『激写・135人のおんなともだち』(1979)、『百恵』(1980)など、タレントを撮ったものが圧倒的にいい。
タレントの写真を撮るときは、「読者は池の中の鯉みたいなものだ」と話していた。近づくと、みんなパクパク口を開けて、餌くれ、餌くれってやる。それを見ていれば、何を欲しがっているかわかる。だから、それを与えればいいんだ、と。タレント写真というのは、そういうものだ。
読者が何を望んでいるかも、よくわかっている。百恵ちゃんなら、神がかっているような、色っぽい表情とかね。そういうものをきちんと出してくる。ただ、それは簡単に撮れるものではない。いいタイミングで、全員の表情がきちんと揃う。

篠山さんは愛嬌があって、人の気持ちをぱっとつかむところがあった。「激写」や「シノラマ」といったネーミングのうまさも含めて、常に時代の先端にいた人だった。しかも、相手が気を許さなければいい表情は撮れない。その点でも、相当な力量があったのだろう。
篠山さんは話がうまい。大学のときに、文楽師匠の落語を聴いて勉強したらしくて、話の展開に無駄がなかった。だから、ついその気にさせられてしまう。男でもそう感じるくらいだから、たいしたものだ。編集部の人の気持ちをつかむのも上手だった。人間関係のつくり方が自然で、政治的な勘が働く人だった。最初に会ったとき、「北井さんは選挙に出たら絶対当選する。北井一夫って漢字は左右対称だから」なんて、こんなことを言う写真家はなかなかいない。普通の人とは、少し観点が違うのだろう。
タレントを撮る人には、どこか女性っぽい話し方をする人が多いが、篠山さんもそういうところがあった。郷ひろみや野口五郎だとか、そういう人たちのことを話すときも、「ひろみくん、ゴロちゃん」と呼んで、やわらかい口調になる。好きじゃないと、あそこまではできない。
ヌードを撮るときもそうで、相手は裸で、こちらがカメラを向けているわけだから、あまり男っぽい話し方をすると、相手が怖がってしまう。だから自然とああいう話し方になるのだろう。
篠山さんの事務所にも何度か呼ばれたことがある。上が事務所で、下がスタジオになっていた。スタジオにはディアドルフの8×10の大きなカメラが据えてあった。誰かタレントが来ると、「ちょっと撮ってくるから待ってて」と言って下りていく。それで戻ってくるのが、せいぜい10分か15分くらい。ああいう大判カメラで、あっという間に撮ってしまう。普通ならもっと時間がかかるものだが、それをあの早さでやってしまう。スケジュールが詰まっているタレントには時間をかけるわけにいかないから、その中で決めてしまうのだ。
撮影した人物の写真は、「週刊朝日」の表紙をずいぶん長く飾った。「アサヒカメラ」の連載「紀信怪談」に、私も出させてもらって、そのときに私の写真も撮ってくれたのだが、やはり、いい写真だった。
浮世絵、あるいはポップアート
一度見たら忘れられない
「アサヒグラフ」に連載された「晴れた日」に代表されるように、篠山さんはドキュメンタリー写真もたくさん撮っている。「晴れた日」では、殺人事件や政治スキャンダル、ボクシングのタイトルマッチなども追いかけている。逡巡することなく、次から次へと動いて、その時々の話題を撮っていく。毎週、毎月のように掲載されていくと、それがそのまま実績になり、やはりこれは大変な人だなという像がはっきりしてくる。

東京国立近代美術館で開催された「15人の写真家」(1974年)には、私も出展していたのだが、篠山さんは、それらの写真を壁一面に大きくプリントして、2点くらい並べて展示して、見る者を驚かせていた。
篠山さんはどこへでもさっと入っていって、波に乗るように仕事をしていく、いわばサーフィンみたいなやり方で、どこへでも行ってしまう。ドキュメンタリーもやるし、タレントも撮る。その両方で篠山紀信だということになる。
篠山さんは写真について、「写真はドキュメンタリーだ」と、中国に行ったときに語っていた。そういう考えがどこかにあって、タレントやヌードを撮りながらも、それだけでは片手落ちだという思いがあったのだろう。そのどちらにおいても、自分は一流で、常に先頭にいるという意識が強い人だった。
一方、荒木経惟は、ヌードをドキュメンタリーとして撮ることで、ヌード写真の頂点にいた秋山庄太郎を過去のものにして、新しい時代を切り拓いた。篠山さんにとってみれば、やはり気になる存在だったのではないか。
篠山紀信のタレント写真、とくに山口百恵のようなものを見ていると、全部が全部ではないにしても、いいものが多い。秋山庄太郎のポートレートとも、荒木のものとも違う。浮世絵的というか、写楽の絵のようだ。一つの完成されたポートレートとして成立している。ただ、篠山さん自身は、それだけでは不十分だと考えて、ドキュメンタリーの仕事にも向かったのだろうが、私自身は山口百恵の写真のほうに惹かれる。一度見たら忘れられない、ポップアートのように記憶に残る写真だ。
篠山さんにはリチャード・アヴェドンの影響もあったのではないか。アヴェドンはポートレートの写真家だが、ドキュメンタリー的な仕事もしている。ただ、アヴェドンはよりインテリで上品で、完成度の高い写真をつくる。一方で、篠山さんの写真のほうが、より臨場感がある。

ただ、展覧会での見せ方には少し違和感があった。写真を極端に大きく引き伸ばして、壁一面に展開するやり方は、作戦としては理解できるが、どこかちぐはぐになる。篠山さんは大見得を切るが、その写真はむしろ繊細で、抑えの利いたものなのではないか。だから、本で見ているときのほうが、写真の良さがよく出ている。展覧会でも、半切や全紙くらいのサイズで丁寧に並べていけば、タレント写真もより格調のあるものとして立ち上がってくるはずだ。
写真は芸術だという考えもあるが、むしろ浮世絵に近いものではないか。美術館で見る浮世絵よりも、生活の中でふと目にする浮世絵のほうがよりよく見える。それは写真にも通じる感覚だ。そう考えると、篠山紀信の写真、とくに山口百恵のようなタレント写真は、その浮世絵的な魅力をよく体現している。再評価があるとすれば、タレント写真の領域から起こってくるに違いない。
