三代歌川豊国画「御好三階に天幕を見る図」文久元年(1861)著者蔵

藤澤茜の浮世絵クローズ・アップ

「絵解き・江戸のサブカルチャー」
第11回 あやしい浮世絵―怪異を楽しむ

アート|2025.7.14
文・藤澤茜

 第10回の連載では、江戸の夏に涼を届ける団扇絵を取り上げました。今回もある意味では、暑さを和らげる効果のある作品をご紹介します。妖怪や幽霊などの怪異が描かれた浮世絵です。
 『妖怪ウォッチ』『モノノ怪』など、現代でも妖怪を扱った作品は大人気ですが、すでに江戸時代にも妖怪ブームがありました。怪異は小説や絵画の人気の主題でもあり、特に江戸中期に鳥山石燕により刊行された『画図百鬼夜行』シリーズは妖怪や幽霊のインデックスのような版本で、「ぬらりひょん」など、現代でもお馴染みのキャラクターが登場します。おそろしい存在でありながら、時にユーモラスに描かれる妖怪は、子どもたちにも人気があったのでしょう。

双六に描かれた妖怪たち

 ここに紹介するのは、25種もの妖怪、幽霊が登場する絵双六です。絵双六は浮世絵師が手掛けることが多く、この作品は歌川国芳の弟子、芳員によるものです。下部中央の「ふり出し」のマスには、子どもたちが百物語をする様子が描かれています。怪談を話し終える度に明かりを消し、百話が終わりすべての明かりが消されると怪異がおきる―という百物語は、江戸時代に流行し、浮世絵の人気主題でもありました。ふり出しのマスには、最後の明かりを消すところなのか、こわごわ振り返る子どもの姿が描かれています。この双六は、子どもたちの百物語が終わり、様々な怪異が現れたという趣向でしょう。河童や大入道、文福茶釜などお馴染みのものから、鳥山石燕の版本や歌舞伎に登場するものまで、様々な怪異の様子が描かれています(詳細は別表参照)。上りは「古御所の妖猫」、その右隣には「金毛九尾の狐」が配されています。化け猫と狐については、第7回の連載で取り上げましたが、「上り」に選ばれているところを見ると、この双六では最恐の妖怪として化け猫をとらえているようです。妖しいキャラクターを満載したこの双六は、妖怪が身近なものであった様子を伝えています。

歌川芳員画「百種怪談妖物双六(むかしばなしばけものすごろく)」安政5年(1858) 東京都立中央図書館東京試料文庫蔵
下部中央が「ふり出し」で、さいころの目の数に従って次に進むマスの指示がある飛び双六の形式。上りの「古御所の妖猫」は、芳員の師匠、歌川国芳の「五十三駅 岡崎」の図をもとにしている。「挑灯お岩」は、歌舞伎でお馴染みのお岩の怨霊と提灯を一体化させた、葛飾北斎の「百物語 お岩さん」からの連想か。「笑辴(せうけら)」「幽谷響(やまびこ)」「茂林寺釜」などは、先行する鳥山石燕の版本に登場する妖怪。

雪景色に浮かぶのは・・・

 人びとの興味の対象となる怪異現象は、歴史上の武将たちの逸話にもしばしば登場します。『平家物語』巻五「物怪之沙汰(もっけのさた)」の逸話を題材にした、歌川広重の作品を紹介しましょう。
 中央に描かれる人物は、平清盛。権力を持った清盛は、京都から自らの根拠地である福原(現兵庫県神戸市兵庫区)への遷都を強行しますが、福原では不気味な事件が続きます。ある日の朝、清盛は庭に数えきれないほどの髑髏(どくろ)が集まっている光景を目にします。清盛に滅ぼされた源氏方の武将の恨みによるもので、『平家物語』本文によると、「たかさは十四、五丈(約42~45m)もあるらんとおぼゆる。山のごとくになりにけり」とあります。たくさんの髑髏が集結して巨大な一つの髑髏となったのです。その大きな髑髏には生きた人のような千万もの眼があり、清盛をにらみつけましたが、清盛が眼光鋭く見返すと跡形もなく消え去ったといいます。「にらむ」という動作には、悪いものを退散させる効果があるといわれ、歌舞伎でも市川團十郎丈の「にらみ」という芸があります(にらまれた人は、一年間、風邪をひかないといいます)。この絵にもにらみをきかせる清盛の迫力ある表情が描かれており、あたかも芝居の一場面のようです。背景に注目すると、その鋭い視線の先には、庭の築山や木々に降り積もる雪に様々な大きさの髑髏が隠されていることに気づきます。いったいいくつの髑髏があるのでしょうか。この逸話そのものは季節が限定されていないのですが、広重はこの逸話の舞台を雪景色に設定することで、妖しい描写を可能にしたのです。

初代歌川広重画「平清盛怪異を見る図」弘化元年(1845)頃 メトロポリタン美術館蔵
右上に記された詞書(作品に関する説明文)は、『平家物語』の本文を踏襲した内容となっている。清盛がにらみつける先は、雪の積もった築山。大どくろに見立てられている。よく見ると松の枝などにも小さなどくろが配されており、広重の表現力と細密な彫、摺の技術が光る作品。

国芳と怪異表現―なぜここに妖怪が?

 武者絵や戯画を得意とした歌川国芳は、独自の発想力を発揮して多くの作品を生み出しました。怪異表現にも長けていた国芳は、「百人一首之内 大納言経信」という作品に、怪しいものを描いています。
 右上の詞書(説明文)には、経信の詠んだ和歌「夕されば門田のいなばおとづれて あしのまろやに秋風ぞふく(夕方になると田圃の稲葉に音をたてさせる秋風が、この山荘に吹くことだ)」と、その解説が記されています。この絵の情景は秋風の吹く山荘とはかけ離れていますが、左上に記される詞書を見ると、この絵の仕掛けが分かります。詞書には、以下の記述があります。
「六条に住ける頃九月の月の夜にきぬたの音聞えければ
から衣擣(うつ)こゑきけば月きよみまだ寝ぬ人を空にしる哉
と詠(えい)じけるをりから 鬼神(きしん)詩を吟(ぎん)ずるの図」
 国芳は、秋の月夜に歌を詠じていると巨大な妖怪が出現して漢詩を吟じたという、経信自身の逸話を描いているのです。この逸話は『撰集抄』巻八第二七に確認できます。鬼神の出現について「実におそろしき声して、たからかに詠する物あり。(略)長一丈五六尺(約4.5~4.8m)も侍らんとおぼえて、髪のさかさまにおひたるものにて侍り」と記されています。国芳が描いた鬼神も髪が逆立ち、発せられる声まで想像できそうなほど、大きく口を開けています。さらに、吟じられた漢詩がフキダシのように記されている点も目をひきます。
 国芳の「百人一首之内」は、歌意だけでなく、歌に詠みこまれる事象から連想される伝承や詠み手の逸話などを描く場合があり、国芳の発想力が光るシリーズとなっています。経信の前に現れた妖怪を具現化し、漢詩を詠ずる様子まで細やかに描き出す国芳の表現には、当時の鑑賞者も引き込まれたことでしょう。

歌川国芳画「百人一首之内 大納言経信」天保(1830~44)後期 神奈川県立歴史博物館蔵
鬼神のうつろな表情やあばらの浮き出るような描写、透ける着物など、細部にまでこだわった作品。鬼神が詠じたとされる漢詩「北斗星前横旅鳫 南楼月下擣寒衣(北斗星前に旅雁横たはり、南楼の月の下には寒衣を擣つ)」の文字もきちんと示されている。なお、この絵では白抜きで表されている文字に、墨を用いた別版もある。巨大な妖怪の出現にも慌てない、経信の淡々とした描写もおもしろい。

 夏には歌舞伎でも怪談劇が上演されるように、ぞっとする怪異譚はこの季節に似合います。背筋が凍るような怖さとは異なるかもしれませんが、怪異を描く際の絵師の工夫はみる者の目を楽しませてくれます。暑さ厳しいこの時期に、妖しい浮世絵を鑑賞するのも良いかもしれません。

 次回の配信は8月11日です。最終回となる次回は、江戸の人々が熱狂した園芸ブームをテーマに、浮世絵を紹介します。

藤澤茜(ふじさわ・あかね)
神奈川大学国際日本学部准教授。国際浮世絵学会常任理事。専門は江戸文化史、演劇史。著書に『浮世絵が創った江戸文化』(笠間書院 2013)、『歌舞伎江戸百景 浮世絵で読む芝居見物ことはじめ』(小学館 2022年)、編著書に『伝統芸能の教科書』(文学通信 2023年)など。

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