「瀬戸内の海で出会った猫」五香宮│ゆかし日本、猫めぐり#48

連載|2024.8.23
写真=堀内昭彦 文=堀内みさ

 連日の酷暑で、猫1匹見かけない。近所でたまに見かける、いわゆる「さくらねこ」も、無事生きているだろうかと心配になるほど、姿を見ない日が続いている。

 猫に会いたい。できるなら、夏を思いっきり感じられる、太陽が似合いそうな場所で。
 今回、瀬戸内の海へ向かったのは、そんなやけっぱちにも近い思いつきからだった。

 穏やかな海、にぎやかな蝉時雨。磯の香りが嗅覚を刺激する。
 岡山県南東部に位置する瀬戸内市。古くから西国航路の潮待ち、風待ちの港として栄えた牛窓の「唐琴(からこと)の瀬戸」と呼ばれる周辺では、暑い中、釣り糸を垂れる人の姿が見えた。

 夏だ! 海だ!
 磯の空気を身体いっぱい吸い込もうと、大きく伸び……をしようとしたら、1匹の猫と目が合った。

「おはよっ!! 暑いねえ!」
 声をかけたが、一目散に階段を駆け上がる。

 なんだ、行っちゃった。
 がっかりしてその姿を見送っていると、途中で振り向いてこちらを見た。

 もしかして、「来い」って言っている?
 半信半疑でついていくと、

小高い丘に行き着いた。

 正面には小さなお社。

 五香宮(ごこうぐう)である。
 猫は早速、水分補給をすると、

眺めの良い木陰でひと休み。

 こちらも少し距離を置いて座ってみた。
 眼前には、牛窓の集落と瀬戸内の海。

 写真の右に写るひときわ高い建物は、かつて船の航行が盛んだった江戸時代に、夜間通航の標識として建てられたという灯籠堂で、明治時代に石垣のみ残して壊され、昭和63年に復元されたという。

 木々がさわさわと音を立て、心地よい風が吹き抜ける。どうやらこの境内は、風の通り道のよう。さすがは猫。酷暑をやり過ごせる安全な場所を知っている。

 遅ればせながら、本殿へお参りを……と思ったら、こちらにも猫が!

 耳の先にはV字のカット。不妊去勢手術を受けた「さくらねこ」だ。

 階段で寝そべっている猫も、「さくらねこ」。

 近づくと、やはり境内へ向かい、手水舎近くに置かれた水を飲み始めた。

 境内の立て看板によれば、この猫たちは、すべて避妊去勢手術をされ、その上で近隣住民などの有志たちが世話をしているという。

 五香宮は、地域の人たちが大切にお守りしている神社。毎日境内を掃除し、草を抜き、花の世話をする人がいて、清々しい空気が保たれている。猫にとって、そして、人間にとって居心地が良いのは、神様が息づいていらっしゃるからこそ。

「地域の氏神を自分たちで守る。五香宮には、そんな日本本来の姿があります」

 この神社の宮司で、同じ地区にある牛窓神社の宮司も兼務する岡崎義弘さんが言う。

 そもそも五香宮の歴史は、神功皇后の時代まで遡る。『備前国風土記逸文』によれば、神功皇后が船で備前の海上を通った際、この地で大きな牛鬼が現れ、船を転覆させようとした。そのとき、住吉大明神が翁の姿で出現し、牛鬼を退治。命拾いをした神功皇后は、感謝の気持ちを込め、この地に住吉大明神を祀ったという。

「実は、そのとき退治された大きな牛鬼の胴体が、前島になったと伝わっていて、その心臓部とされる場所に吉田神社が鎮座しているんです」

 岡崎宮司はそう言って、五香宮の境内から正面に見える島を指差した。 

「その牛鬼の心臓部を五香宮が睨んでいる。ですからこの地は、吉田神社、五香宮、そして牛窓神社と、三重になって睨みを効かせ、牛鬼の復活を阻止しているんです」

 ちなみに、このときバラバラに飛び散った牛鬼の身体は、「唐琴の瀬戸」を挟んで横たわる大小8つの島々になったとされている。前島、通称緑島が胴体になったほか、

「黒島(くろしま)が頭、その横の小さな中ノ小島と端ノ小島が2本の角で、百尋岨(ももひろそわえ)と呼ばれる岩礁地帯がはらわた、そして、黄島(きしま)が前足2本で、青島(あおしま)が後ろ足2本、少し離れた鼠島は、長い尾の先がぴゅっと出たもの、と言われています」

 では、それほど復活を恐れられた牛鬼とは、そもそもどういう存在なのだろう。

「牛鬼は怪物とされています。水木しげるさんの『妖怪図鑑』では、瀬戸内海には牛鬼がうじゃうじゃいたと書かれています。一方で、牛鬼は吉備国の豪族とも考えられます。つまり、ヤマト王朝が日本を統一していく中で、この牛窓沖で、吉備国の豪族とヤマト国の勢力が大きな戦いをして、吉備国の豪族が屈服した、という解釈もできるんです」

 土地の部族がヤマト王朝の勢力に組み込まれていく、その過程が、牛鬼退治の神話に色濃く反映されている、というのだ。
 さらに、牛についての岡崎宮司の見解は続く。

「牛は、たとえば丑と寅の間の方角である艮(うしとら)のように、家を建てるときに玄関を作ったらいけない鬼門であり、鬼が住む方角とされています。と同時に、艮の金神(こんじん)様のように、味方にすると人間にものすごく益がある。ですから神話の牛鬼も、瀬戸内海の島々に飛び散ったことで、牛窓にとっては、大きな荒い波を防ぐ自然の防波堤となった。つまり、『災い転じて福となす』という読み取り方もできると思います。さらに、日本人が米作りをするうえで、先人たちが怖いと思ってきた野生の牛の力を借りて、一段と農作業を飛躍させることができたこと(家畜の誕生)への喜びのようなものも、神話から感じ取ることができるように思います」

 神話とは、けして荒唐無稽なものではなく、後世の人々へのメッセージが込められている、と岡崎宮司は言う。それをどう読み解くか。現代に生きる我々はその力を試されている、とも言える。

 境内を離れ、少し周辺を散策してみた。よく見ると、ところどころに猫がいる。
 灯籠堂近くの石碑の後ろや、

神功皇后ゆかりの「纜石(ともづないし)」と呼ばれる御神石のそばなど、みな日陰で暑さをしのいでいる。

 ちなみに、纜とは、船を陸につなぎ止めておく綱のこと。神功皇后の船は、この石に纜をつないだのだろうか?

 さらに、海辺のヨットの近くにも、ひっそりと猫がいた。

 そもそも、この地区に猫が多いのは、釣り人からおこぼれをもらえることも理由の1つにあるという。
 こちらは、猫の大好物というサッパ。

 岡山名物の「ままかり」は、この小魚で作られる。「まま(ご飯)を隣の家に借りにいくほどおいしい」という意味から、その名が付けられたとか。

 恵まれた環境の中で、猫たちはのんびり、ゆっくり。

 もっとも、1年中、外で過ごすのは大変なことだろう。この日も気温はぐんぐん上がり、散策どころではなくなった。再び境内に戻ってみると……、

暑さで息絶えたか、と思うような猫たちが、あちこちに。

 昼寝のお供は心地よい風。どの猫も安心しきっているのがわかる。
 それもこれも、「氏神さん」の持つ懐の深さ、おおらかさのおかげだろう。

「小さい頃は、境内でよくドッジボールやソフトボールをした。昔は本殿の屋根が茅葺で、中で相撲をとったこともある。ここは子どもたちの遊び場だったんだ」

 近隣住民の男性が言う。地域の人々にとって、五香宮は身近な存在であり、誇りでもあるようだ。

 この神社の御祭神は、前述の通り住吉大明神、つまり住吉三神で、底筒之男神(そこつつのおのかみ)、中筒之男神(なかつつのおのかみ)、上筒之男神(うわつつのおのかみ)の3柱の神が鎮座している。そのため、当初は住吉神社と呼ばれていたという。
 五香宮という名に変わったのは、江戸時代のこと。備前岡山藩主の池田光政が、自身が若き日を過ごした京都で崇敬していた神社、御香宮(ごこうぐう)神社から、神功皇后と応神天皇の御霊を勧請し、5柱の神を祀るようになった。それを機に、「御香宮」をもじって、「五香宮」と名付けられたという。

 ちなみに、神功皇后は三韓征伐を成し遂げたことから、武運長久の神として、古来信仰されてきた。加えて、危険な状況の中で第15代応神天皇を出産したことから、安産祈願の神としても知られている。特に五香宮には、神功皇后が応神天皇を出産したときに身につけていたとされる腹帯がご神宝として保管されていたことから、江戸時代は、池田公の正室や側室が妊娠すると、必ずこの神社で安産祈願をしたという。

「神功皇后がご奉納されたという腹帯は、現在岡山県立博物館に保存されています。もっとも、昭和30年代ぐらいまでは、その腹帯を、神主さんが1本抜いて半紙に包(くる)み、お守りとして妊婦さんにあげていたそうです。難産の場合は、妊婦さんがその1筋の糸を飲んで出産したとも聞いています。
 武運長久の神としても、戦争中は、出征兵が敵の銃弾を避ける弾除けのお守りをいただきにお参りされたそうです。多くの人が、この五香宮で戦場に行く覚悟を決めたんです」

 気がつくと、猫が手水舎近くに集結していた。どうやらご飯の時間のよう。

 地域の人々や、ご飯をあげにくる人に見守られ、リラックスしている猫たちの姿を見ていると、こちらまで穏やかな気持ちになってくる。

 だが、この平和な光景は、けっして当たり前のものではない。猫を捨てる心ない人たち、増え続ける猫たちの糞尿問題。牛窓では、ここ30年近く、猫をめぐる地域の人々の意見が分かれ、紆余曲折を経て、避妊去勢手術に取り組むようになった経緯がある。

 これまでさまざまな神社仏閣を取材し、今改めて、声を大にして言いたいのは、猫を捨てたり虐待するのは犯罪である、ということだ。特に令和2年6月からは、「動物の愛護及び管理に関する法律」が改正され、罰則が強化された。猫をはじめ、愛護動物の遺棄・虐待は、1年以下の懲役、100万円以下の罰金が課せられるという。

 牛窓でも、猫をめぐるさまざまな問題は、今も進行形で存在する。2021年にこの地に移住し、その様子を見続けてきた映画監督の想田(そうだ)和弘さんは言う。

「外で暮らす猫たちは、野生の習性を完全には失っていない、ある意味、自然そのものの生き物です。自然は人間にさまざまな恩恵をもたらしますが、同時に怖い存在でもある。猫も人間を慰め、癒すと同時に、糞尿の問題などがあります。ですから、猫と人間がどうつき合うかは、人間が自然とどうつき合うかということと同じだと思うんです」

 想田さんは、この地に住む猫たちと地域の人々、そして、伝統的コミュニティの中心である五香宮の四季折々の光景を、約1年かけて撮影。『五香宮の猫』という観察映画(=ナレーションやテロップによる説明、BGMなどがない、シンプルなスタイルのドキュメンタリー映画)を制作し、今秋、全国各地で上映される予定という。

 人間と猫、そして、自然との共生──。思いがけず奥深いテーマに行き着いて、考えさせられる旅となった。



五香宮
〒701-4302
岡山県瀬戸内市牛窓町牛窓2720
TEL:0869-34-5197

堀内昭彦
写真家。ヨーロッパの風景から日本文化まで幅広く撮影。現在は祈りの場、祈りの道をテーマに撮影中。別冊太陽では『日本書紀』『弘法大師の世界』などの写真を担当。著書に『ショパンの世界へ』(世界文化社)、『おとなの奈良 絶景を旅する』(淡交社)など。写真集に『アイヌの祈り』(求龍堂)がある。

堀内みさ
文筆家。主に日本文化や音楽のジャンルで執筆。近年はさまざまな神社仏閣をめぐり、祭祀や法要、奉納される楽や舞などを取材中。愛猫と暮らす。著書に 『カムイの世界』(新潮社)、『おとなの奈良 心を澄ます旅』(淡交社)、『ショパン紀行』(東京書籍)、『ブラームス「音楽の森へ」』(世界文化社)など。

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