©大和和紀/講談社

愛ゆえに“物の怪”に。『あさきゆめみし』が描いた六条の御息所

別冊太陽|2023.12.28
文=太陽の地図帖編集部 撮影(サムネイル)=栗原論

太陽の地図帖『大和和紀『あさきゆめみし』と源氏物語の世界』からの引用を交え、不朽の名作『あさきゆめみし』の作品世界を紹介する。

 『源氏物語』に登場する数多の女君の中で、特に女性人気が高いのが、六条の御息所という。一方で、「嫉妬する女」のイメージが強いからか、「怖すぎる」と男性人気は低い。もちろん、嫉妬するのには訳があるのだが・・・・・・。では、六条の御息所とは、どんな人物なのか。

生霊となった悲しい貴婦人

 『源氏物語』を漫画化した『あさきゆめみし』の作者、大和和紀は、六条の御息所を「哀しい貴婦人」と解釈した。

――前春宮妃であったというプライド、年上の女性としての矜持があり、嫉妬しているところさえも知られてはならない。その抑えに抑えた感情が、生霊化してしまった、哀しい貴婦人です。
(P42「女君で旅する『あさきゆめみし』」より)

六条の御息所と、上村松園の『焰』

 六条の御息所の造型に関して、大和が参考にした絵があるという。
 日本画家・上村松園による『焰』が、その絵だ。

――数々の美しい女性を描いた松園自身が、『焰』について「私の数多くある絵のうち、たった一枚の凄艶な絵」と語っている(*)が、『あさきゆめみし』の六条の御息所も、確かに他の女君たちの追随を許さない凄艶さをもって描き出されている。
(P44・吉井美弥子「六条の御息所に想を得た、上村松園『焰』に共鳴」より)

(*)上村松園『青眉抄』(講談社文庫)所収

『焰』 上村松園/画、大正7(1918)年、東京国立博物館蔵(ColBase)

生霊となったきっかけの「車争い」

 六条の御息所が「物の怪」つまり「生霊」になってしまった“きっかけ”とされる事件がある。それは「車争い」と呼ばれる事件で、京都一の古社・加茂社の例祭・葵祭で起こった。もっとも、葵祭当日ではない。葵祭に先立って行なわれる斎院御禊(ぎょけい)の日の出来事だ。この年、桐壺帝が譲位し、朱雀帝が即位した。そのため、通常より賑やかな祭が計画され、その目玉として、光源氏が御禊の行列に供奉(ぐぶ)することになった。光源氏の美しい姿を間近に見られるとあって、通りは見物人で大賑わい。光源氏の妻・葵の上も見物にやってきたものの、葵の上一行は準備不足で、場所の確保もしていなかった。そこで地位と権力に物を言わせ、質素なしつらえの牛車を無理やり立ち退かせた。それこそ、お忍びできていた六条の御息所の網代車だったのだ。この屈辱的な敗北が、御息所の生霊化の契機となり、物語は葵の上の死へと展開していく。

『あさきゆめみし 新装版』第2巻P20-21より ©大和和紀/講談社

夕顔を取り殺したのは?

 『源氏物語』では、葵の上は六条の御息所の生霊に取り殺された、と読めるようになっている。一方で、夕顔を取り殺したのは何かについては、諸説ある。『あさきゆめみし』が採用しているのは、六条の御息所の生霊が夕顔を取り殺した説である。

――夕顔のような大した身分でもない女に、愛する光源氏を奪われてしまうことに、誇り高い六条の御息所のプライドは傷ついた。薔薇の花びらを無意識にかじる六条の御息所の姿は美しくも凄絶である。『源氏物語』にこうした場面はない。
(P46・吉井美弥子「夕顔を取り殺した物の怪、その正体とは?」より)

『あさきゆめみし 新装版』第1巻P140より ©大和和紀/講談社

――そして『あさきゆめみし』は、やはり『源氏物語』にはない「くちなしの花」の「強いにおい」を、六条の御息所とともに繰り返し漂わせることによって、六条の御息所の生霊が夕顔を取り殺したことをドラマティックに描き出していった。
(同上より)

『あさきゆめみし 新装版』第1巻P147より ©大和和紀/講談社

物の怪がまとう「くちなしの花」と「芥子」の香り

 その後、葵の上にとりついた際の六条の御息所が、衣を替えても髪を洗っても「芥子(けし)の香(か)」(邪気払いの修法(ずほう)の護摩(ごま)を焚く時に使われている)が消えない、という鬼気迫る場面(『あさきゆめみし 新装版』第2巻53、54頁)がある。これは『源氏物語』にも同様な場面が描かれているが、「くちなしの花」の匂いは『あさきゆめみし』独自の脚色である。

 物の怪は周りの空気ごと移動するので、行く時は御息所邸に咲く「くちなしの花」の香りを、帰る時は「芥子」の香りを持ってくる、という設定になっているのだ。

 『あさきゆめみし』に細やかに描かれた、愛にもがく美しくも哀しい女性、六条の御息所。彼女は今もなお、女性の共感を呼ぶ存在となっている。

太陽の地図帖『大和和紀 『あさきゆめみし』と源氏物語の世界』
詳細はこちら

RELATED ARTICLE