猫を通して日本を知る、「ゆかし日本、猫めぐり」。
第28回は、老いてますます可愛さが増す。そんな猫の老境を考察します。
ときどきのかわいさ
はじめは「小さな怪獣」だったおチビちゃんが、
少しずつ人と話ができるようになり、
やがて、凛々しい青年やベッピンさんに。
そのあどけなさ、麗しさ、
両者を備えた姿形は、まさに「向かうところ敵なし」。
だが、そんな時期は一瞬で過ぎる。
気がつけば大人になり、
人を飼い慣らす図太さ、したたかさを身につけていく。
引き締まった身体もどこへやら。
その一方、どんなときも人をもてなし、
揺るぎない信頼感も育んでいく。
そうして数年。
もはや互いが空気のような存在になった頃、
人はふと、ある日気づく。
猫がときどき遠い目をすることを。
いつしか人の年齢を追い越して、
それでもなお、きらきらとした心を失わない。
そんな猫との日々が、
一層かけがえのない宝物になっていく。
いくつになっても、
そのときどきの「かわいさ」がある。
猫とはそういう生き物らしい。
今月の言葉
「心を閑(しず)かにして遠く目(み)よ」
世阿弥『二曲三体人形図』より
(別冊太陽 日本のこころ173 『世阿弥』)
室町時代の優れた能役者で、能作者であり、また能楽論を中心とする著作も20作以上遺した世阿弥。なかでも執筆開始から20年以上を要した『風姿花伝』は、生前優れた能役者だった父、観阿弥から学んだ舞台での芸のあり方を、正しく後世に伝えるため、世阿弥自身が解釈を加えて多角的に説いた書。今も多くの人に読み継がれている。
世阿弥にとって、「花」は一生をかけて追求したテーマ。若い役者は人気が出やすいが、それは「時分(じぶん)の花」、つまり若いとき限りの花であり、芸道の目標は、いかに舞台上で自由自在に「真(まこと)の花」を咲かせるか、それが何より大事だと世阿弥は考えていた。だからこそ若い頃にもてはやされても慢心せず、稽古や工夫を怠ってはならないと、能役者の一生を7段階に分け、それぞれの段階にふさわしい稽古の在り方を書き遺した。
そもそも能の母体は、7世紀に唐から伝わった、雑多な内容を持つ大衆的な芸能、散楽(さんがく)と、日本古来の俳優(わざおぎ)、つまり、招いた神を歌や踊りで楽しませる芸能が融合した「猿楽」にあると考えられている。もっとも、平安時代は滑稽な寸劇的な芸が中心で、歌舞の要素が加わるのは、鎌倉時代初期になってから。やがて、鎌倉時代中期には、複数の登場人物による対話や物まね、それに歌舞が融合した、現在の能の祖型とも言える劇形式の猿楽が演じられるようになっていく。その一方、もともと踊りを本芸にしていた田楽も、猿楽に参入。両者の切磋琢磨によって、猿楽は洗練を重ね、室町時代に現在とほぼ変わらない芸能に大成された。ちなみに世阿弥の父、観阿弥が生まれたのは、鎌倉幕府が滅亡した1333年(元弘3)。当時は猿楽能より、田楽能の方が優位にあったという。
そんな状況に変化が起きるのは、京都の新熊野(いまくまの)神社で催された猿楽興行に、室町将軍足利義満が臨席してからのこと。若くして猿楽の魅力に開眼していた、当時17歳の義満は、それを機に、観阿弥を将軍愛顧の能役者の一人として重用し、12歳の世阿弥を寵愛するようになるのだ。当時の能役者は身分が低く、それでも世阿弥が大名や貴族と交流を持ち、和歌や連歌の世界に親しめたのは、ひとえに義満の庇護があってこそ。のちに能の芸道論を書くという、当時としては画期的な試みに世阿弥が取り組んだ背景には、すでに芸道論のある和歌や連歌に、若い頃から親しんだ経験も大きいだろう。
今月の言葉は、世阿弥が58歳のときに執筆した『二曲三体人形図』からの引用。世阿弥は、演者が成人してから身につけるべき物まねの基本の三体、つまり老体、女体、軍体を演じる際に心がける姿態を絵図とともに示し、なかでも老体の絵図に冒頭の言葉を添えている。前述の『風姿花伝』によれば、世阿弥は、老年になっても残る花こそ、真の花であり、老いによって芸術は完成すると考えていた。老猫の「かわいさ」は、ある意味真の花と言えるだろう。
今週もおつかれさまでした。
おまけの1匹。
(一瞬置物? と見間違えた瞑想中の猫)
目が開いた!
……と思ったら、また瞑想……。
堀内昭彦
写真家。ヨーロッパの風景から日本文化まで幅広く撮影。現在は祈りの場、祈りの道をテーマに撮影中。別冊太陽では『日本書紀』『弘法大師の世界』などの写真を担当。著書に『ショパンの世界へ』(世界文化社)、『おとなの奈良 絶景を旅する』(淡交社)など。写真集に『アイヌの祈り』(求龍堂)がある。
堀内みさ
文筆家。主に日本文化や音楽のジャンルで執筆。近年はさまざまな神社仏閣をめぐり、祭祀や法要、奉納される楽や舞などを取材中。愛猫と暮らす。著書に 『カムイの世界』(新潮社)、『おとなの奈良 心を澄ます旅』(淡交社)、『ショパン紀行』(東京書籍)、『ブラームス「音楽の森へ」』(世界文化社)など。