「橋本関雪 生誕140周年 KANSETSU ―入神の技・非凡の画―」 福田美術館・嵯峨嵐山文華館・白沙村荘 橋本関雪記念館

アート|2023.5.22
坂本裕子(アートライター)

京都東西横断で堪能する関雪の偉才

 
 橋本関雪(1883-1945)は、大正・昭和期の京都画壇で活躍した日本画家だ。
 神戸に生まれ、幼いころから画才を示し、四条派の画法を習得すると、若くしてその名を知られ、戦前の京都画壇を代表する存在になる。近世から連なる日本画の伝統に、近代的な要素を取り入れて独自の文雅な世界を確立した。終戦を見ずに狭心症の発作で生涯を終えるが、帝国美術院会員、帝室技芸員、シュバリエ・ド・レジョン・ドヌール勲章授与という経歴は、戦後、師・竹内栖鳳(せいほう)に並ぶ巨匠として日本美術史に位置づけられている。

 この橋本関雪の生誕140周年を記念した大規模回顧展「KANSETSU ―入神の技・非凡の画―」が京都で開催中だ。

 画業を志し、東京画壇で困窮しながらも研鑽して成功を収めた後、30歳で京都・岡崎に移り、その死までは東山で過ごした生涯、もっとも長く過ごした京都での大規模個展は意外にも初めてのこと。
 しかも、東山・銀閣寺のそばにある白沙村荘 橋本関雪記念館と、嵐山の福田美術館・嵯峨嵐山文華館の3館共同で開催される。京都を東西に横断するその規模は、歴史画から新南画、動物画まで、82年ぶりに公開される作品を含み、彼の代表作と初公開作品も20余点を加えたおよそ150点(前後期で展示替えあり)の名品が一堂に会する、まさに満を持した特別展だ。

 嵐山第1会場の福田美術館では、82年ぶりの公開となる《俊翼》をはじめ、代表作《木蘭》などの文展出品の名作と山水図の秀作、そしてもうひとつ、関雪の人気を高めることになった動物画が並び、その画業のハイライト空間を創る。
 そこでは、「美」が求められがちな日本画に、自身の知識から奥深い背景や感覚、あるいは心境を盛り込んで付与した独特の「風趣」に、また、写実にとどまらず感情的なものを感じさせる動物表現に、たぐいまれな着想と画技の才を見いだせるだろう。

嵐山会場Ⅰ:福田美術館 会場入り口から
福田美術館 前期展示風景から
左:第1章 橋本関雪の入神の技より
右:第2章 橋本関雪の非凡の画より
関雪の代表作とされる屛風作品が並ぶ豪華な空間。
福田美術館 第3章 至近距離で見る関雪の技 前期展示風景から
章タイトルの通り、ギリギリまで近寄って見られる嬉しい展示。動物たちの表情を作る絵具の載せ方、筆の運びを確認したい。
右は、《宿舎の灯》(1907年、白沙村荘 橋本関雪記念館蔵、通期展示)。1906年に日露戦争に従軍した際の情景を描くが、どうしても気に入らなかった作品だという。しかし、油彩画のような陰影のなかに描かれる兵士たちは、大陸の凍てつく空気と疲労がみごとに表されている。馬たちの表情にも疲れが感じられるところがみごと。

 第2会場の嵯峨嵐山文華館では、文人画に傾倒し、新南画という新たな境地に至るまでの系譜を追いつつ、その多彩な展開の様相を見る。
 得意とする分野で一定の画風を確立すると、それを追求していくことの多い日本画の世界において、関雪は、歴史、花鳥、人物、風景、動物まで、あらゆるジャンルを手がけている。描かなかったものはないとすらいえるその制作は、いずれもが高い水準に達しているのだ。
 ここでは、伝統的な日本画の画風を素地に、詩書画一致の文人画の表現も追求して新たな画境を拓き、一方で西洋絵画の要素も活かした、その無限の意欲と実践の成果を確認できるだろう。

嵐山会場Ⅱ:嵯峨嵐山文華館 会場入り口から
嵯峨嵐山文華館 第2章 橋本関雪の図像学(イコノロジー) 前期展示風景から
競技百人一首も開催されるという120畳の圧倒的な畳の空間に並ぶ作品は、本来の目線で対峙できる嬉しい展示だ。

 そして、東山会場である白沙村荘 橋本関雪記念館では、代表作《玄猿》をはじめとする動物画、花鳥画、美人画の優品や晩年の名品が、全国から集結する。
 白沙村荘は、1万㎡の広大な敷地に、自身の制作を行うアトリエとして造営した関雪の邸宅。
 敷地内には、7400㎡におよぶ池泉回遊式庭園と3つの画室、茶室、持仏堂などの建物が配される。戦前とはいえ、平安からの歴史を刻む京都で、しかも銀閣寺のそばにこれほどの土地を得られたことも驚きだが、これらはすべてを関雪が自ら設計し、半生をかけて創り出した理想郷なのだ。庭園は国の名勝にも指定され、現在、関雪が晩年に抱いていた「展示棟建設計画」をそのまま引き継いで、2014年に新たに建てられた美術館とともに公開されている。
 関雪の美意識が空間として体現された場で、その到達点を追う体験を得られるだろう。

東山会場:白沙村荘 橋本関雪記念館 会場入り口から
2014年に開館した美術館は、関雪が晩年に抱いていた「展示棟建設計画」を現代の建築で実現した。
白沙村荘 橋本関雪記念館より 庭園風景と大画室・存古楼内観
1万㎡の敷地に、関雪が自ら設計した邸宅は、池泉回遊式庭園を楽しみながら、その庭を一望できる大画室へ(写真で関雪がドヤ顔している場所だ)。「存古楼」の扁額が迫力。さらにふたつの画室に、茶室、持仏堂などの建物の外観を経て、美術館にたどり着く。

 関雪の独自性はふたつの要素に集約されよう。
 中国古典への深い造詣と、ジャンルを超えた多彩な展開だ。

 旧明石藩の儒者であった父・海関の薫陶を受けて漢籍詩文を学んだ関雪は、中国の古典や文化に深い理解と愛情を持つ。それは生涯を通じて数十回にも及ぶという中国(大陸)旅行にも表れている。
 自身でも漢詩を作るほどに血肉化された知見を活かした彼の作品は、画題、情景ともに、中国古典を元にしたものが多い。しかし、そこには自らが生きている近代という時代性や、自身の環境、想いが重ねられてもいる。

 1910年前後の中国の詩人を題材にした作品には、いまだ認められず、困窮していた時代の鬱屈した思いが表れているとも。

橋本関雪 《後醍醐帝》 1912年 福田美術館蔵(福田美術館・前期展示/後期は白沙村荘 橋本関雪記念館にて展示)
東京時代最後の制作となる本作には、鎌倉幕府討幕の計画が露見し、いままさに御所を脱出しようとする後醍醐天皇の姿が描かれていると思われる。愛妾ひとりを連れ、女装で静かに歩み出す天皇が発する、矜持と哀愁のただよう静謐さと、馬を用意して控える従者たちの、鎧や刀がたてる音、馬の息づかいが聞こえてきそうな動きが緊張感のある絶妙な対比を生む。関雪の家系は、楠木正成一党の武将に遡れるそうで、その人物も描かれている。当時の関雪の心情が盛り込まれているとも読める。
橋本関雪 《琵琶行(びわこう)》 1910年 白沙村荘 橋本関雪記念館蔵(福田美術館・前期展示)
タイトルは中国・唐代の詩人・白居易の長歌による。あらぬ罪により地方に左遷されることになった白が、ある月夜の晩、長安から落ちぶれて流れて来た元名妓の琵琶を舟上に聴き、自身の身の上を重ねて詠った叙事詩の情景を描く。関雪は画業がいま一つ上手くいかず、生涯で最大の困窮を極めていた時期で、その状況も重ねていたようだ。しかし、琵琶奏者の右手小指の爪は長く、歌のなかでは青いと謡われる白居易の衣装についての指摘にも、白狩衣に笏を持つ姿こそが白楽天(白居易)だからこれでよいのだ、と反論するほどに、丁寧に場面の情景を考えて制作している。漢学に造詣の深い関雪ならではのこだわりといえるかもしれない(ちなみに祇園祭の山鉾のひとつの白楽天も白狩衣だ)。

 1920年代に描かれた山水画には、現世から桃源郷への入り口を示すような風景が表され、白沙村荘にその世界を体現しようとしていた関雪の理想が共鳴する。

左:橋本関雪 《梅花放鶴図》 1926年頃 福田美術館蔵(福田美術館・後期展示)
梅花と鶴の組み合わせは吉祥画としてよく知られるが、本作には、放した鶴を拝する人物が描かれる。これは、中国・北宋の詩人で、生涯宮廷に仕えることなく、妻も持たず、庭に梅を植え、鶴を飼って暮らしたと言われる林逋(りんぽ)を重ねたと思われる。書画も嗜み、権力に固執しない詩人の住まいは、文人の理想郷でもある。梅の香がただよってきそうな一幅だ。展覧会初公開作品。
右:前期展示風景から
関雪の山水画は、トンネルのように穿たれた岩場が多く描かれる。仙人が住む理想郷への入り口としてイメージしていたのか。色彩豊かな山水画中、その道を行く人物に、自身を重ねていたのだろうか。
橋本関雪 《人物山水十二題》 1912年 白沙村荘 橋本関雪記念館蔵(嵯峨嵐山文華館・後期展示)
左から「榴下公子図」「霜林樵夫図」「清署試茶図」「松林翠嵐図」「江上遇雨図」「田家暮雪図」
最小限の要素で季節や中国故事を含んだ人物画と風景画を描き分けている12幅対の軸画は、それぞれのテーマとともに、関雪の描法や彩色の多彩さと巧みさを楽しみたい。

 関雪の名を不朽にしたとも言われる動物画は、後半生に集中している。見る者に媚びることなく、それでいてどこか憂いを帯びた思索的な表情に、妻を喪った悲しみや戦争に対する思い、自身の老いを見つめるまなざしを感じられるかもしれない。

左:橋本関雪 《睡猿》 1937年 福田美術館蔵(福田美術館・前期展示)
右:同・部分
「関雪といえば猿」と言われるほどに人気を得た猿図は、第14回帝展(1933年)で発表した《玄猿》(東京藝術大学蔵)が絶賛されたことによる。文部省買い上げとなった「玄猿」は画家により封印されたというが、それでも「関雪の猿」を求める人が多く、ニホンザルや白い猿などのバリエーションが遺されている。ついには「猿なら描かない」と注文を断る事態にまでなったとか。こちらでは晩秋の枯れ木にもたれる猿が描かれる。半分眠っているようなその表情は人間的で、半睡しながらも何か深い思索に浸っているようにも見える。猿の図は古来描かれてきたが、ここまで深い表情を持つ姿は関雪ならでは。他の動物にも展開したその表情の豊かさは、それぞれ繊細な毛並みの表現のみごとさとともに楽しみたい。
福田美術館 第2章 橋本関雪の非凡の画 前期展示風景から
卓越した画技は、動物画においてより強く感じられるだろう。猿にとどまらず、いずれも写実的な描写に奥深い心情を感じさせる表情が独特だ。晩年に向かうと、微妙に表現に変化が出てくるのを確認したい。

 関雪の絵を見てまず感じるのは、「とにかく上手い」こと。
 20歳で栖鳳の画塾に入る前に描かれた10代最後の作品にすでにその驚くべき才は見いだせるが、以後、六曲一双の大画面に展開される屛風絵も、構図、描法に破綻がなく、いずれもが圧倒的に美しい。このため、却ってさらりと見過ごされがちだが、その画趣や込められた想いを知った時、作品はさらに奥行きを持って輝きだす。

福田美術館 第1章 橋本関雪の入神の技 前期展示風景から
初期の作品。左の《達磨大師》(1902年、白沙村荘 橋本関雪記念館蔵、通期展示)は、なんと弱冠19歳(!)の作品。下絵もなく直接描いたその闊達な筆に、早熟の才を感じる。近くで見られるので静と動のみごとな使い分けを確認して。
嵯峨嵐山文華館 第1章 橋本関雪の多様性 前期展示風景から
橋本関雪 《前田又吉追善茶会画巻》 1901年 白沙村荘 橋本関雪記念館蔵(通期展示)
こちらもわずか18歳の時の作品。茶会の様子の記録ではあるが、精緻な筆致に非凡さを感じる。
福田美術館 第1章 橋本関雪の入神の技 前期展示風景から
《香妃戎装》(右、1944年、前期展示)は、関雪自らが衆議院に寄贈し、現在も同議長室に飾られている作品。普段は議員以外の一般人は拝めない(もったいない……)、展覧会初公開の貴重な機会だ。香妃は、中国・清代の伝説的美女。その体からは芳香がただよったと言われた。回部の首長の妃だったが、夫が乾隆帝により殺されて捕虜として北京に移送される。乾隆帝は彼女を手に入れるために懐柔と威嚇をもって迫るが、常に短剣を持って拒否したと伝えられる。一方で、その申し出を受け入れて寵妃となったとも言われている。さて、あなたはどちらの結末で本作を見るだろうか?

 本展は、嵯峨嵐山文華館の2章に「図像学(イコノロジー)」が充てられているように、「何が描かれているのか」「そのテーマを表すために関雪はどんな工夫を凝らしているのか」に重点を置いた解説が付されている。
 戦中戦後を通して中国文化とのある断絶を経験している現代では、なかなか分かりにくくなっているかもしれないが、ぜひ解説もたよりにこの奥深さを感じてほしい。

嵯峨嵐山文華館 第2章 橋本関雪の図像学(イコノロジー) 前期展示風景から
橋本関雪 《前赤壁》 1920年 白沙村荘 橋本関雪記念館蔵(前期展示)
まさに“金屛風”の一作には、中国・北宋の政治家で文人でもあった蘇軾(蘇東坡)の詩「前赤壁賦」の全文が書かれている。右隻には、政治闘争から都を追われ黄州に流された蘇軾が、友人と赤壁の下に舟を浮かべて詩を詠んだ、その情景が描かれ、左隻には月と詩の全文のみが配される。憎いほどに大胆な構成は、金地に墨は載りにくいはずなのに、修正もなく書かれた文字が、画のみならず書にも長けていた関雪を見せつける。
橋本関雪 《閑適》 1918年 白沙村荘 橋本関雪記念館蔵(嵯峨嵐山文華館・通期展示)
「閑適」とは、心静かに楽しむことの意。右隻に書かれた漢詩の一部から、本作は、北宋の詩人・魏野(ぎや)が詠んだ「書友人屋壁」の情景とわかる。魏野が友人宅の壁に「金や地位や名誉に執着せず、静かに暮らしている、君のそんな文人的精神を深く理解しているのは私だけ」と書いたという内容だそうだ。関雪はそれを知ったうえで、描かれた世界を読み取ってもらうことを意図する。木の枝が不思議な形で造る椅子に腰かけた人物は友人か、詩人本人か、彼が顔を向ける方向から誰かが来ているのか、川辺で硯を洗っているのは従者か、魏野か、それとも友か……? 煎茶の道具が置かれ、竹、鶴に太古石と吉祥尽くしの空間は、さまざまな読み取りをうながしてくる。

 そして、四条派の写実と琳派にも通じる装飾性を学んだ関雪は、さらに栖鳳が取り入れた西洋画の表現も習得し、そこに近代性をも付加しつつ和漢の故事にもとづいた歴史画や美人画を手がけ、それらが評価されて文展の常連として認知されていく。

橋本関雪 《木蘭》 1918年 白沙村荘 橋本関雪記念館蔵(福田美術館・通期展示)
第12回文展で特選となり、以後永久無鑑査の資格を得た、関雪のひとつの到達点を示す作品。まず目に入ってくるのは、鮮やかな青い衣装で木の根に座りくつろぐ美しい少女。その清廉な表情にはそぐわぬ兜や刀。彼女は武装していたのだ。老病の父の代わりに娘の木蘭が男装して従軍、各地で勲功を上げ、自軍を勝利に導いて帰郷するという、中国に伝わる民話のワンシーン。帰途の木蘭と従者が馬を休ませている情景が描かれる。エピソードを知ると、男性として気を張っていた少女がふと本来の自分に戻った瞬間がみごとに表情に描かれていることに改めて感動する。離れたところでは、馬上の従者が木陰を覗きこむように見つめている。彼は主が女性であることを知っているのか、あるいは気づきつつあるのか……。
橋本関雪 《猟》 1915年 白沙村荘 橋本関雪記念館蔵(福田美術館・通期展示)
第9回文展に出品され、2等賞を獲得した作品。この時期は1等賞が選定されていないので、事実上のトップ賞だ。「韃靼人狩猟図」を敷衍しつつ、人物は満州族の衣装であり、同時代性が付与される。一方、金地に配される草花は琳派を思わせる装飾性を持ち、疾駆する狩人の写実とよい対比を成す。さまざまな画風を合わせ使うことで、独特の作品になっている。もうひとつ、関雪の奇才を思わせるのが構図。通常屛風は、右隻から左隻へと見ていくため、流れもそのように描かれるが、本作は左から見ていくように配されている。また、鹿を追うふたりの狩人は、それぞれにすでに獲物を得ている。動物のなかでは殊に馬を愛し、幼少時から描いていたという関雪。その経験を感じさせる馬の表現とともに探してみて。

 その一方で、明末清初の文人画に傾倒し、その本質を南画に見いだした関雪は、新南画と呼ばれる領域を開拓した。そこには、ヨーロッパ旅行で目にしたポスト印象派の画家たちの作品に受けた衝撃も響いている。
 画家としての充実期には、こうした外国も視野に置いた、日本人画家としての在り方を自ら確認するようにさかんに著述も行いながら、その制作においても過去の作品の模写(驚くほど上手い)、白描ややまと絵風の作品を制作している。

左:橋本関雪 《麗日図》 1934年 福田美術館蔵(福田美術館・通期展示)
右:前期展示風景から
明末清初の文人画に深く傾倒した関雪は、東洋画の本質を南画に見いだして、新南画と呼ばれるようになる新しい領域を拓く。その成果を感じられる一作。芳香までただよってきそうな、柔らかい牡丹の色彩を、鸚鵡の鮮やかな朱が引き締めている。
嵯峨嵐山文華館 第1章 橋本関雪の多様性 前期展示風景から
嵯峨嵐山文華館 第2章 橋本関雪の図像学(イコノロジー) 前期展示風景から
表現の多彩さとともに、対象への視点や構図の独自性と工夫に注目。

 クロテナガザルを描いた《玄猿》が、第14回帝展(1933年)に出品され、絶賛を受けて文部省の買い上げとなると、彼の手になる「猿」を求める人が殺到したという。政府(天皇)の買い上げということで、「玄猿」は自ら封印し、その後は白毛や赤毛のニホンザルを手がけ、これらは「三猿」と呼ばれて関雪の動物画の一大要素となっている。
 これまでの情景に風趣を込める画風とは一転して、猿をはじめとする動物の一瞬をとらえるこうした動物画は、《玄猿》制作の前年に妻を亡くしたことも影響しているといわれる。何よりも魅力的なのは、その表情だ。老狐を描いた作品などに強く感じられる、晩年に向かうにつれ、その表現が写実を凌駕して、関雪のなかに在る動物の姿へと変わっていく様子が興味深い。

 彼の晩年は、戦時下にあった。関雪もまた他の画家と同様に、「彩管報国」(絵筆で国に尽くす)の名のもとに戦意高揚の制作を余儀なくされる。日本画壇を代表する画家のひとりとして創作活動を行った関雪だが、中国を愛した彼にとって、その心情は複雑だったことだろう。一説には、若い画家たちを戦地に送られないように、自らが立ったとも。
 当代人気の画家に金にあかせて制作を依頼してくる依頼主には、画面に書いた漢詩にその人物の教養のなさを揶揄した嫌味を潜ませるなど、ときには「いけず」な関雪の気質をこの時期の作品に読み取れるかもしれない。

橋本関雪 《防空壕》 1942年 東京国立近代美術館蔵(福田美術館・後期展示)
戦後、関雪の評価があまり高まっていないことには、戦時下の戦意高揚画への協力が少なからず影響を与えているだろう。こちらはそうした「戦争画」のひとつに挙げられるもの。しかし、画面には、東洋の婦人が霊廟から出てきたようにも見える情景が描かれ、タイトルがなければ防空壕だとは分かりにくい。ここに、アジアの文化を愛し、敬った関雪のどんな意識を読み取るか、弾劾、擁護、いずれにも偏らずにこの時代を生きた表現者たちを追う研究が俟たれる。
橋本関雪 《俊翼》 1941年 福田美術館蔵(福田美術館・前期展示/後期は白沙村荘 橋本関雪記念館にて展示)
こちらも「戦争画」に挙げられる一作で、「橋本関雪聖戦記念画展」に出品されたもの。波濤の海を行く鷹の姿は戦闘機を思わせると同時に、孤高の精神をも象徴する。近年福田美術館に収蔵され、82年ぶりの公開となる。下からのアングルでとらえた鷹の姿、その羽毛の表現などに関雪の一筋縄ではいかない画技を感じられる。
福田美術館 前期展示風景から
左:第9回文展の二等賞褒状
なかなか実物では見られない賞状。審査員には日本近代を代表する作家たちの名が連なっている。
右:写真で追う、関雪の軌跡
丸顔のなかに気の強さを伝える厳しい目や、自ら設計した白沙村荘のアトリエでのドヤ顔など、作品と併せてその人となりが感じられる。

 詩書画に長けた関雪の才は、平面にとどまらず、審美眼と空間にも見いだせる。
 いまも名勝として遺された白沙村荘には、関雪が収集した古美術が屋内外に配置され、彼の卓越した眼と空間構成力を伝える。それはまた、屛風の大画面や積み上げていくように描かれる山水図の構成へと還っていく。
 余白を活かし、濃淡で奥行きを創る日本独自の空間把握。西洋近代の遠近法に慣れた私たちの眼にはとらえられにくいその感覚を改めて感じられたとき、関雪の作品の魅力はさらに増すだろう。

 中国の文化なくしては、日本文化も生まれてこなかった。
 西洋化にひた走った近代に、その深みを見失うことなく、豊かな土壌の上に自身の画の世界を確立した関雪の「入神の技、非凡」は、改めてその潮流からとらえ直されるべきなのかもしれない。

嵯峨嵐山文華館 常設展「百人一首ヒストリー」の展示から
常設の百人一首の展示も楽しい。100人の歌人のフィギュアが各々の和歌と並び、それぞれの衣装や姿と歌の内容を追っていくと時を忘れそうだ。

展覧会概要

「橋本関雪 生誕140周年 KANSETSU ―入神の技・非凡の画―」
 福田美術館・嵯峨嵐山文華館・白沙村荘 橋本関雪記念館

開催内容の変更や入場制限を行う場合がありますので、必ず事前に各美術館のホームページでご確認ください。

会  期: 2023年4月19日(水)~7月3日(月)
     ※前後期で一部展示替えあり
嵐山会場:第1会場/福田美術館 第2会場/嵯峨嵐山文華館
     〈前期〉4月19日~5月29日/〈後期〉5月31日~7月3日
東山会場:白沙村荘 橋本関雪記念館
     〈前期〉4月19日~5月30日/〈後期〉6月1日~7月3日
開館時間:10:00‐17:00 ※入館は閉館の30分前まで
休 館 日:嵐山会場:5/30、東山会場:5/31
観 覧 料:
 嵐山会場:
 福田美術館 一般・大学生1,500円、高校生900円、小・中学生500円、
       障害者とその介護者(1名)は900円、幼児は無料
 嵯峨嵐山文華館 一般・大学生1,000円、高校生600円、小・中学生400円、
         障害者とその介護者(1名)は600円、幼児は無料
     ※二館共通券 一般・大学生2,300円、高校生1,300円、小・中学生750円、
      障害者とその介護者(1名)は1,300円、幼児は無料
 東山会場:白沙村荘 橋本関雪記念館 一般1,500円、大学生700円、高校生以下無料
      ※美術館と庭園見学料金を含む
      ※同伴者付きの場合のみ未就学児見学可能

問 合 せ:
 嵐山会場:福田美術館 075-863-0606(代表)
      嵯峨嵐山文華館 075-882-1111(事務局)
 東山会場:白沙村荘 橋本関雪記念館 075-751-0446(代表)

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