成巽閣の青い空

スペシャル|2021.10.26
文=成合明子、撮影=三木麻奈

加賀前田家十三代藩主・前田斉泰と母、真龍院

一八六三年、斉泰は真龍院のために巽御殿を建てた。名前の由来は、金沢城から見て巽(東南)の方角にある事と、京都の鷹司家が辰巳殿と呼ばれていた事による。幕末の動乱期にあって、加賀藩が選択すべき幕府と朝廷との関係に苦悶していた斉泰にとって、母のために日常を忘れ、魂の安らぎを感じさせる空間を設計・建築することは、大きな慰めになったことだろう。(P68・村瀬博春「安らぎの御殿を満たす工芸技術」より)

加賀藩十三代藩主・前田斉泰(なりやす)が、十二代藩主だった父・斉広(なりなが)の正室、真龍院の隠居所として造営した巽御殿。父が隠居所とした約4000坪の竹沢御殿を、竣工からわずか8年で取り壊し、その敷地の一画を選んで建てられた。明治7(1874)年の兼六園公開に際し、その名を「成巽閣」と改称したのも斉泰自身であった。

「群青の間」は折上天井の蛇腹と目地に群青を用い、壁は朱。成巽閣は明治以降数度の改装が行われているが、2階の色壁は当初のままであり、昭和46(1971)年に剥離や破損が激しかった天井や壁を補修し、一部は塗り替えられた。修復にあたり、国立文化財研究所に使用されている顔料の調査を依頼したところ、群青がウルトラマリンであることが判明した。他の部屋の朱壁には辰砂が使われていたが、群青の間の朱壁はベンガラであった

成巽閣を稀有な建築たらしめているのは、伝統的書院造の階下と数寄屋風書院造の階上という、趣の異なる空間が一棟を成すところだという。そしてつとに知られているのが2階「群青の間」の、鮮やかな色彩だろう。「群青の間」は群青色の天井に朱色の壁。続く「書見の間」は、淡縹色(白群青)の天井に紫色の壁、床の間廻りの壁は黒色(鉄砂)だ。

ウルトラマリンブルー、白群青、朱、紫、鉄砂という壁や天井の色の取り合わせは一日の空を表象しており、時の循環による長寿の願いが籠められている。(P68・村瀬博春「安らぎの御殿を満たす工芸技術」より)

これは、村瀬博春氏が「半世紀来考えてきたことの現時点の回答」であると明かしてくれた。一般に書院の襖やそこに飾られる屏風は、四季草花図、四季花鳥図、四季耕作図、日月山水図など季節の循環をテーマとしており、そこには長寿延命の思いが籠められている。それならば、循環する時を一日単位にすれば、日々精神を新生することができるのではないか。しかも、従来のような画題や漢画系、和画系などに起因する真行草の格付に拘束されることなく、一日を表象する抽象的な空間により、短いサイクルで気が循環し、一層深い精神の安寧が得られるのではないか。同時に、調度の画題から解放された空間に大きな自由度を与えることができるのではないか――。「斉泰ならば、そこまで考えただろう」と、村瀬氏は推察する。そしてそれは、「モダンアートによる伝統の革新的継承だと思います」と、この幕末の加賀に花開いた、稀有な数寄屋風書院造の空間装飾を読み解く。

現実の野鳥の囀りを聞きながら、小鳥の絵が描かれたオランダ渡りのギヤマンに目を遣る趣向など、随所に斉泰の美意識と、母への優しい心配りを感じさせる。(P68・村瀬博春「安らぎの御殿を満たす工芸技術」より)。1階「松の間」の書院障子に嵌めこまれたガラス絵は、広縁越しに外光を受けて表情を変える。

「謁見の間」の欄間は、長寿繁栄を願う寿帯鳥に紅椿、白梅のモチーフ。斉広の竹沢御殿の遺構ともいわれる。

真龍院(夙姫、鷹司隆子)は、文化4(1807)年に京都から前田家に嫁ぐと、当時の正室の決まりとして江戸屋敷に住んだ。文政7(1824)年に夫・斉広が没するまで、共に暮らした期間はのべ3年にも満たなかったという。夭折した子女も含め、斉広は四男八女に恵まれたが、正室の真龍院は子を授かることがなかった。斉広の長男、斉泰は、文政5(1822)年に江戸に上り、同年、父の隠居により12歳で藩主となった。側室の子として金沢で生まれた斉泰は、江戸で初めて父の正室、真龍院と会ったのだろう。夫の死後も江戸の屋敷で暮らした真龍院は、天保9(1838)年、幕府に帰国を願い出て許され、初めて金沢入りを果たす。嫁いで以後30年を江戸で暮らし、その後84歳までの30年余を金沢で暮らしたことになる。

真龍院が前田家に嫁いで初めて迎えた3月の節句に、斉広が贈った雛人形。後に真龍院は自らその由来を語り、この雛を斉泰に譲っている

江戸でも金沢でも、義理の息子である斉泰は、度々真龍院の元を訪ねている。共に時間を過ごし、語らい、斉泰は母の趣味や性格を、おそらくは夫であった父よりも熟知していたのではないだろうか。摂関家に生まれた真龍院は、よく歌を詠み、江戸から金沢への道中記では、各地の風景を和歌と漢詩にも遺している。成巽閣の、兼六園を一望する階上や、1階の腰板に見る春の草花や蝶の意匠は、自然を愛で、行楽も好んだ母が、70代を迎え、この御殿の内で過ごすだけでも満ち足りていられるように、斉泰が心を尽くしたように思えてならない。

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