「永遠の現在」を刻み続ける
プーライエの50年

スペシャル|2021.10.20
文=宮崎謙士(編集者)

結婚いたします。
日取りは未定。
住みます所は、武蔵野狭山丘陵の一角です。
畑が欲しいのです。
衣類は人のお古でもかまいません。
家は私が建てます。
私にとって家を創ることは、ある夢の世界が
生きる行為の中での創作活動の原点となることです。  
          
鯨井 勇 一九七一年

70年代に建てられた、セルフビルド住宅。

玄関を開けると、大谷石の外階段を内部空間に取り込み、黒く塗装した階段が始まる。

はじめてその存在を知ったのは、建築ジャーナリスト・植田実さんの著書『真夜中の家―絵本空間論』(住まいの図書館出版局)で住宅地の擁壁の上にそそり建つその不思議な佇まいの写真と、若き建築家が卒業論文に書いたという上の一節を見たときだった。70年代に建てられたという伝説のセルフビルド住宅「プーライエ」。2000年代から静かに流行し始めていた「自分の住まいは自分の手でつくる」という“DIY”住宅のその原点を見るようで衝撃を受けたことを覚えている。そして2007年、当時編集をしていた「リビングデザイン」誌の取材にかこつけて、念願の「プーライエ」をはじめて訪問することができた。

建築家の鯨井勇さんはとても話し好きで、70年代の竣工当時のお話を伺うつもりが、プーライエの建つ多摩湖周辺の土地の来歴を、戦前、大正、江戸、平安とどんどん時代を遡っていき、最後には4000年前の地層から出土したという化石の話にまで辿り着いていた。さらに話はそこでも終わらず、オーストラリアのアボリジニが残したという洞窟の壁画に想いを馳せながら、“永遠”に“現在”をつないでいきたいという自らがプーライエに託した住まいづくりの姿勢を語られたのである。住宅の取材でこういう話を伺ったのははじめての経験で、いまここに、さまざまな来歴をもつ“もらいもの”の材料でつくりあげられたプーライエは、70年代に建てられた伝説などではなく、永遠に現在を刻み続ける住宅なのだと実感したのである。

プーライエと納屋の間にある畑。山の粘土質だった土に落ち葉や生ごみ、廃棄物の畳などを埋め込んでゆっくり育てた畑では、季節の野菜や果樹が元気に育つ。

取材の最後に、ずっと気になっていたことを伺った。「次の世代に、住宅を受け継ぐために必要なのは?」。鯨井さんはしばらく考えた後、「簡単にいえば、『ファン』ですね」と答えた。「『この家が好き』『自分がなんとかするから壊さないで』と言ってくれる『ファン』を、どれだけ増やせるか。いま現在の面白さや斬新さなんてものではなく、何十年経ったとき『やっぱり好きだ』と言ってもらえる家。それをつくるのが、ぼくら建築家の仕事だと思うのですよ」と。プーライエの畑で収穫したみずみずしい野菜をお土産にいただいた帰り道には、すっかり「ファン」になっていた。

住宅を継承するという難しい問題を考えるとき、いつも思い出されるのが、そうして「永遠の現在」を刻み続けるプーライエの姿と、鯨井さんが語っていた「ファン」という言葉だ。かくして『別冊太陽』の住宅特集「日本の住宅一〇〇年 語り継ぎたい、わたしの「家」の話」で、十数年ぶりにプーライエを再訪する機会を得たのだった。

プーライエ 
1973年/鯨井勇 
建築家の鯨井勇(藍設計事務所)が日本大学理工学部建築学科の学部卒論として構想した自邸。冒頭の写真は1973年に完成した最初の建物。敷地の角に寄せ、大谷石の擁壁に沿って建てられたことが分かる。1974年プレハブアトリエ完成、1985年増築、2007年耐震・蓄熱改修、2014年に納屋(閑居)完成。

本誌では、竣工当時のエピソードや暮らしに合わせて増改築し、東日本大震災、コロナ禍を経て、少しずつその姿を変えてきた半世紀にわたるプーライエの来歴、これからの暮らしについて鯨井さんにお話を伺った。

別冊太陽 スペシャル
日本の住宅 100年 語り継ぎたい、わたしの「家」の話

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