安部公房 1976(昭和51)年ころ

神奈川近代文学館開館40周年「安部公房展――21世紀文学の基軸」

時代の先端をとらえ続けた表現者
安部公房の全貌

ピックアップ|2024.10.25
別冊太陽編集部

国境を越えて読まれる安部公房

 神奈川近代文学館開館40周年を記念して特別展「安部公房展――21世紀文学の基軸」が開催されている。
 今年、生誕100年を迎えた安部公房(1924-1993)の創作活動は、学生時代の詩作から出発し、『壁』『砂の女』などの小説、「友達」などの戯曲、写真、さらに演劇グループ「安部公房スタジオ」による総合芸術と多岐にわたる。その作品は、いまでも国境を越えて多くの読者を得ている。
 本展は初公開・初展示を含む約500の資料により、時代の先端をとらえ続けた表現者・安部公房の全貌に迫るものとなっている。

安部公房作品の翻訳書の数々。代表作『砂の女』は英語、チェコ語、デンマーク語、ロシア語など30以上の言語に翻訳されている

サイダーを製造、販売して一家の生活を支える

 第一章「故郷を持たない人間」では、医師の父・浅吉、作家志望の母・ヨリミの人物像のほか、幼少年期を過ごした満洲・奉天市(現・瀋陽市)の様子などが展示されている。公房の高校時代の詩や小説の原稿からは、このころからすでに作家を志していたことがうかがえる。1943年に、高校を繰り上げ卒業となり、東京帝国大学(現・東京大学)医学部に進学するが、敗戦が近いとの噂を耳にして、1944年には満洲へ向かい、敗戦後はサイダーを製造、販売して一家の生活を支えた。引き揚げ後、東京大学医学部に復学し、極度の貧困に負けず学業と執筆を続けた。
 1947年、のちに妻となる山田真知子と出会い、秋には作家デビュー作となる小説「粘土塀」 (「終りし道の標べに」に改題)を書き上げている。

高校時代の高等微分学、積分学のノート(1941年、1942年・右2点)と、 1943年に成城高校校友会雑誌「城」に寄稿したエッセイ「問題下降に依る肯定の批判」

芥川賞受賞と人間関係の拡がり

 第二章「作家・安部公房の誕生」では、1948年の文壇デビュー後の作品、人物関係が展示される。前衛芸術運動のグループ「世紀(世紀の会)」や「夜の会」に参加し、次第にシュルレアリスムの影響を感じさせる作風へと変化していった。
 「近代文学」1951年2月号に掲載された「壁—S・カルマ氏の犯罪—」で芥川賞を受賞。その後、1956年には東欧の社会主義国を歴訪するが、以後は社会主義、共産主義体制に批判的な態度をとるようになっていった。翌年、小説「赤い繭」がチェコ語に翻訳されたのを皮切りに、公房の小説の翻訳が盛んになり、社会主義・共産主義国を中心に読者を得ていく。東欧旅行と前後して発表した「R62号の発明」「鉛の卵」「第四間氷期」などは、日本にSFという概念が定着する以前の、SF黎明期における画期的な作品となった。

左:「壁—S・カルマ氏の犯罪—」原稿(1951年)
右:グループ「世紀」の会員証など。この頃、勅使河原宏や岡本太郎と知り合う

ラジオからテレビ、さらに舞台、映画へ

 第三章「表現の拡がり」では1950年代以降の様々な活動が紹介される。ラジオのドキュメンタリー番組のシナリオを執筆するほか、1953年完成の映画「壁あつき部屋」(1956年公開)では初めて映画の脚本を担当。1955年には戯曲「制服」で初めて舞台作品を、1958年には初めてのテレビドラマ「魔法のチョーク」のシナリオを手がけ、脚本家としても活躍の場を拡げていく。
 脚本の執筆では、自作の小説を題材とすることも多く、ラジオたテレビ、舞台へと、ジャンルをまたいで繰り返し扱い、それぞれの特色を活かして再構築し、別作品として深化させていった。
 1960年代の代表的な小説では、世界中で広く読まれた『砂の女』をはじめ、「他人の顔」「榎本武揚」『燃えつきた地図』などがあり、いずれも公房の脚本により映画化または舞台化されている。
 また言葉とは別の表現としてカメラの世界にのめり込み、自宅に暗室を備え、写真展を開いた腕前も相当なものであった。カメラを通しての視点は、1973年発表の長編小説『箱男』などに活かされている。

左:映画「砂の女」のポスターやスチールなど
右:安部公房が愛用したカメラの数々

美術家として公房を支えた安部真知

 画家として出発し、公房の作家デビュー当時から、その装幀、挿絵を手がけた安部真知(1926〜93)は、安部作品の舞台美術も担当し、高い評価を得て、広く舞台美術家、装幀家として活躍した。公房作品の成立における真知の存在は重要で、公房は書いたものをまず真知に読んでもらい、推敲を重ねたという。とくに、舞台を作り上げるなかで完成された戯曲では、美術家としての真知のアイデアが、作品に大きな影響を与えている。

左:真知装幀による公房の書
右:安部真知デザイン「案内人 GUIDE BOOK Ⅱ」(安部公房スタジオ)舞台装置模型(1976年)

世界的な評価を得た作家

 晩年、公房は箱根の別荘を仕事場とした。別荘は芦ノ湖を一望できる高台の斜面にあり、身のまわりには、執筆に使ったワープロやプリンター、シンセサイザーのほか、創作のイメージを喚起するさまざまな品が置かれていた。世界的な作家として高い評価を受け、ノーベル文学賞に近いと目されていた公房だが、1986年ころから体調を崩すことが多くなり、1993年にその生涯を閉じた。
 会場では、公房の書斎に遺されていた品々の展示や当時の写真からそのころの様子をうかがい知ることができ、まさに安部公房の全貌を知る機会となっている。
 会期中には、本展監修の三浦雅士氏らによる対談など記念イベントも開催されるので、ぜひ訪れてみたい。

左:書斎まわりの品々
右:愛用したシンセサイザーなど

展覧会概要

神奈川近代文学館開館40周年
「安部公房展――21世紀文学の基軸」
神奈川近代文学館

会期:2024年10月12日(土)〜12月8日(日)
開館時間:9:30〜17:00(入館は16:30まで)
休館日:毎週月曜日(10月14日、11月4日は開館)
観覧料:一般800円、65歳以上/20歳未満及び学生400円、高校生100円、中学生以下は無料
身体障害者手帳、愛の手帳、療育手帳、精神障害者保健福祉手帳、被爆者手帳、戦傷病者手帳をお持ちの方は無料
問合せ:電話045-622-6666
公式ホームページ:https://koboabe.kanabun.or.jp/

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