別冊太陽では7月に『呪術の世界』を刊行しました。
話題の漫画『呪術廻戦』などを機に注目が集まり、「呪術」という言葉はすっかりおなじみになっていますが、これはれっきとした学術用語で、宗教学や文化人類学で使われています。
そもそも「呪術」とは何なのか。
今回の別冊太陽で監修を務められた小松和彦氏は「超自然的存在や力の助けを借りて、自分たちが望む状態をつくり出す」ことが「呪術」だと定義しています。
「自分たちが望む状態」とは良い方面に使われる場合には「白魔術」と呼ばれ、悪い方面に使われる場合には「黒魔術」とも呼ばれたりします。
人類が文明をもった大古から現代まで連綿と続く「呪術」とは一体何なのか──。
本書への導入として、小松和彦氏による巻頭言を再掲します。
日本の呪術 その源流をたどる
小松和彦(国際日本文化研究センター名誉教授)
近年、「呪術」に関心が集まっている。その背景にはアニメやコミックで人気の『NARUTO』や『鬼滅の刃』『呪術廻戦』などで、登場人物がさまざまな呪術・幻術を駆使して戦いを繰り広げているためであろう。
このような呪術の源流は、忍者が用いる「忍術」(忍法)に求められる。「水遁(すいとん)の術」とか「火遁(かとん)の術」といった忍法は、江戸時代に成立した忍術書『万川集海(まんせんしゅうかい)』において「隠形術(おんぎょうじゅつ)」とされているもので、「遁術」すなわち敵から逃れるための方法であった。
さらに、忍法の成立の背景には、「遁術」が五行説に則った、木・火・土・金・水の五種の呪術であることからもわかるように、陰陽道の影響が認められ、忍者が術を行使するときに「印」を結んで呪文を唱えることには、密教・修験道などの仏教系の呪術の影響もうかがえる
「呪術」は「魔術」とか「法術」とも呼ばれ、超自然的存在や力の助けを借りて自分たちが望む状態をつくり出そうとする、言葉(呪文)や道具(呪物・呪具)、行為(儀礼)の総体である。広い意味での「信仰」の重要な領野をなし、人類の歴史とともにその歴史を刻んできた。
例えば、ネアンデルタール人の間では葬送の儀式が行われた形跡があり、そこには呪的な行為も含まれていたと想像されている。日本でも縄文時代の墓の副葬品の中には呪術的目的で埋葬されたと思われるものもある。鬼道に長けたことで邪馬台国を治めたという卑弥呼も優れた呪術師であったに違いない。
「まじない」は呪術と同じ意味をもった語であるが、どちらかといえば呪術への期待が弱まった、通俗的、習慣的な行為と言えるだろう。例えば、子どもが転んで軽い怪我をしたときに怪我をした箇所をさすったりしながら「ちちんぷいぷい、痛い、痛いは飛んでいけ」と唱えたり、急の雷雨で逃げ場を探して走っているとき、雷に打たれないために「くわばら、くわばら」と唱えたり、結婚式や葬式などの吉事・凶事をする日を「大安」がよいとか「友引」を避けるのがよいと暦注日(れきちゅうび)を気にしたりするのも、消極的な呪術である。このように、現代の私たちの生活の中にも、それとは意識されないかたちで、呪術・まじないがたくさん存在しているのである。
呪術と宗教、科学はどう違うか
呪術と宗教はしばしば区別される。これは、宗教が神仏などの超自然的存在に対して従属的な態度で臨む(すなわち自分たちが臨む状態をつくり出せるかどうかは、神仏の意思に委ねられている)のに対して、呪術は自分たちの望む状態をつくり出すために神仏さえも動かす点にある。しかし、これは信仰のある局面に着目したものであって、これによって両者を明確に区別できるわけでなく、五穀豊穣や恋愛成就、病気快癒、雨乞い・日乞いなどのために、寺社に参って特別の祈禱(きとう)をもらうとき、その祈願には、単なる気休め・希望ではなく、きっと呪術的思いも託されているはずで、両者は重複して存在しているのが一般的といえよう。
また、呪術の失敗が科学を生み出したとも言われる。たしかに、科学の発達は呪術の活躍の場を狭めてきた。しかしながら、なお科学が解き明かしえない領域が今もある限り、呪術は滅びることなく、その領域を補完するような役割を帯びて今日にまで生き続けている。例えば、現代でも、医者も見放した不治の病に罹(かか)ったとき、神仏に祈願したり、病気を呪力で祓(はら)ってくれるという評判の祈禱師のもとに足を運ぶ人がいるはずである。
呪術は悪しきものなのか
呪術はそれ自体が善悪の価値を帯びたものではない。呪術はその目的によって善ともなれば悪ともなる。呪術をそのいずれかに明確に区別できない。
呪術の目的は、立身出世のため、金持ちになるため、恋愛成就のため、病気快癒のため等々、さまざまである。一見した限りでは、たしかに、これらは好ましい呪術に思えるが、それらの呪術の成就に、他者の失脚や不幸が含まれていることも多く、良い呪術と悪い呪術を明確に区別することはむずかしい。
好ましい呪術の例として、雨乞いの儀礼を想起してみよう。かつては雨乞いのために山の上に登って火を焚いて黒い煙を立て、鉦(しょう)や太鼓を叩き、周囲に水を撒(ま)いたりするといった儀礼が行われた。これは雨雲、雷鳴、大雨を模倣・象徴する呪術的な儀礼であり、それによって雨が降れば呪術は成功したことになり、人々は大喜びするだろう。しかもこの呪術によって不利益を蒙(こうむ)る者はいないはずである。しかし、もし多くの伝説が語るように、この儀礼に水神への人身供犠が含まれていたら、その犠牲になる者やその家族にとっては好ましい呪術とは言えないはずである。
呪術の二大原理=「類感」と「感染」
イギリスの人類学者ジェームズ・フレーザーは、呪術の基盤に、「類感呪術(模倣呪術)」と「感染呪術(接触呪術)」の二つの原理があることを指摘している。
この分類は「呪詛(じゅそ)」の方法によく示されている。前者は、危害を加えたい者を象徴する藁(わら)人形などを作り(模倣し)、それに釘(くぎ)を刺して責めると、その行為が対象者にも影響を及ぼすという思想に基づいている。右の雨乞いの儀礼の事例も類感呪術にあたる。
後者は、危害を加えたい者の髪の毛や衣服などの一部を入手して、それを燃やしたり、引き裂いたりするといった呪的行為をほどこすことによって、その元の所有者にも影響を及ぼし、火事で死んだり体がバラバラになって死ぬという思想に基づくものである。
こうした思想に基づく呪術は、世界各地で見られ、日本でも平城京跡の井戸から釘や髪の毛が付いた木製の形代(かたしろ)(人形〈ひとがた〉)などが発見されているので、古代から連綿と伝えられてきた呪術であった。
もっとも、人形に釘が打ち込まれていたといったことがなければ、それが呪い人形とは判断できない。それが自分に見立てた形代で、それに息を吹きかけたり体を撫でたりして自分の体に溜まったケガレを移した呪物であったかもしれないからである。
右/平城京跡から見つかった「呪いの人形代」。後ろ手に縛られ、下腹部などが削り込まれている。
呪術を行う者たち
呪術には、一般の人々が知っているような呪術もあるが、多くの社会にはさまざまな呪術の方法(呪法)に通暁(つうぎょう)している呪術の専門家である「呪術師」が存在していた。かれらは神仏と直接交渉したりするための言葉や身体技能を有していたり、精霊を操ったり、呪力を発揮する特別な道具や薬を所持したり、呪術発動のための儀式を執り行ったりすることができる者で、世間では「祈禱師」とか「拝み屋」などと呼ばれていた。こうした祈禱師の多くは、日本では、仏教、特に護摩壇を前に読経(どきょう)をする密教系の「僧侶」や、中国から移入された陰陽五行説を基礎とした占いによって吉凶を判断することを得意とした「陰陽師」、あるいは弓を叩いて神憑(かみがか)りして託宣をする「巫女(みこ)」などであった。「侍(武士)」も鳴弦(めいげん)や鏑矢(かぶらや)で悪霊・妖怪を撃退したという点では呪術師の側面をもっていた。
日本の呪術史において重要なことは、呪術師の核となる知識の源泉は異なっていたが、神仏習合といった潮流の浸透も手伝って、互いに呪力をめぐって対立しつつも、やがて相互に交流し、知識の習合もなされるようになったことである。山岳修行を特徴とする修験道などはその典型である。
陰陽師は、国家の行政機関である陰陽寮に帰属する官人陰陽師とともに、官人陰陽師などを通じて「陰陽の術」を得た民間の陰陽師も存在し、かれらは下級法師としての身分でもって活動したので「法師(ほっし)陰陽師」と呼ばれていた。
また、密教系の僧にも、中国経由で移入された膨大な知識を背景に、国家の保護下、比叡山を中心とする天台系密教と高野山を中心とする真言系の二大勢力のもとで、「験者(げんじゃ)」と呼ばれる、「修法(しゅほう)」(呪術)を得意とする者が生まれ、その中にはさまざまな不思議を行ってみせる「幻術使い」も存在していた。
最も著名な呪術師の名を挙げるとすれば、陰陽道では「安倍晴明」の名が想い浮かび、密教系では「弘法大師空海」、修験道では「役行者(えんのぎょうじゃ)」が挙げられるだろう。かれらは実在の人物であるが、後世の説話には、さまざまな呪術を駆使する超能力者、スーパースターとして語られている。
例えば、近年、脚光を浴びている安倍晴明も、史実では天体を観測し占いをする堅実な陰陽師であったことがうかがえるが、伝説では式神を操って物怪(もののけ)や呪詛を追い払ったり、箱の中の物を見抜いたり、鳥のさえずりを人語のように聞くことができた、偉大な呪術師であった。
右/密教では印を結び、真言を唱えるなど、体系的な呪法が説かれた。
空海の呪術伝説
呪術師としての空海はあまり知られていないが、伝説では陰陽師などよりもはるかに優れた呪術師であった。例えば、空海が、唐の恵果(けいか)のもとで修行をしていたとき、恵果が弟子たちに修法(呪術)比べをさせた。ある弟子が川に臨んでその流れを止めた。空海が祈ったところ、その水は天にも昇らず、地にも落ちず、虚空を流れた。また、ある弟子が筆をとつて文字を書いたところ、その字から蝶やトンボが飛び出てきた。空海が書くと、大竜が飛び出て蝶やトンボを食いつつ天に昇った。また、ある弟子が川端に立って祈ると、川の水が火となって燃え上がった。空海が祈ると、黒雲が現れて雨が降り、その火を消したが、その雨しずくは川の外には一滴たりとも降らなかったという。こうした不思議な呪術を行うことができたという空海のイメージは、忍者の忍法を思わせるはずである。
しかも、日本の呪術史には、履いている草鞋(わらじ)を犬の子に変えたり、懐から狐を出して鳴かせたり、牛馬の尻から体内に入り、口から出たりするといった幻術を使う呪術師たちが、もちろん伝説ではあるが、枚挙に暇(いとま)がないほど存在していた。
日本の呪術史は多様で奧が深い。しかし、その歴史はまだ十分に解き明かされていないようである。
右/呪術を行う際には「呪物」を利用することも多々あった。現代の呪物コレクター・田中俊行氏に呪物の魅力を取材。