#4 菜の花と鉄道と土木を愛でる旅-春の小湊鉄道 後編 │〈特濃日帰り〉ひとり土木探訪記。

カルチャー|2023.3.8
写真・文=牧村あきこ

※今回の小湊鉄道の写真は、2020年3月に撮影したものです。



小湊鉄道を支えた歴史の片鱗を訪ねて

 前回に引き続き、花と土木遺産に彩られた小湊鉄道の魅力をお伝えしていく。
 後編では、飯給(いたぶ)駅から徒歩で里見駅に向かうところから始めよう(旅程図④)。

旅程図:青矢印は下り列車、赤矢印は上り列車に乗車。歩く女性は徒歩区間を表す

本日の旅程

11:26 散策も楽しい春爛漫な道を行く
11:33 砂利を運搬する支線のあった里見駅
12:15 八犬伝との関係が気になる里見駅
13:18 高滝駅から歩いて北上、次駅の上総久保を目指す
14:15 上総鶴舞駅ホームから見える旧鶴舞発電所

11:26 散策も楽しい春爛漫な道を行く

 飯給で次の列車を待ってもいいのだが、かなりの時間がある。それなら周辺を散策しながら一駅ぐらい歩いてもいい。まだ昼前で体力も残っていることではあるし。
 調べてみると、途中に与市郎桜という風流な名前の桜があるらしい。推定樹齢100年以上、桜の花がほころぶにはまだ早いが、里見に向かう途中でちょっと立ち寄ってみた。

のどかな春の景色が続く(map⑧)
高台にある与市郎桜。当時の当主の名前に由来する(map⑨)

11:33 砂利を運搬する支線のあった里見駅

 春爛漫の田舎道を歩いていると、姿は見えないが大きな屋敷の陰から、犬に激しく吠えられる。あまりよそ者が歩いて通るような場所ではないので、警戒されてしまったのだな。そんなことも楽しみながら40分ほど歩いて、里見駅に到着する(map②)。

国登録有形文化財の里見駅の駅舎。ホームや駅正面の庇(ひさし)は、この時代の駅舎によく見られる構造だ

 前編で紹介したように、スタフ交換が行われる里見駅は、1925(大正14)年開業当時は終点の駅だった。2002(平成14)年に無人駅になったのだが、その後、近隣の小中学校が統合され市立の小中一貫校が誕生。生徒の列車通学に対応するため、2013(平成25)年に再び有人駅となっている。

 古い時代の鉄道には、鉱物などを運搬する専用線が支線として存在することもあるが、小湊鉄道にも砂利採掘のために敷いた専用線があった。里見砂利山線(以降、砂利山線)である。里見駅から西方向に約1kmの路線で、小湊鉄道のホームページに掲載された紹介文を読むとなんとものんびりとした光景が想像できる。

「おすすめスポット 里見砂利山線(旧万田野線)」より転載
(サイトURL:https://www.kominato.co.jp/tourism/tourist-spots/oldtracks/)
—当時は上り列車が里見駅に着くと客車を切り離し、機関車だけが砂利山まで貨車を運びに行く。貨車を繋いで帰ってくるとまた客車を連結して出発した。その間30分足らず、乗客はのんびりとおしゃべりをしたり、用をたしたりして待っていた。

 砂利山線は1963(昭和38)年に姿を消し、今は線路も撤去されている。しかし、「小湊鐵道100周年記念企画“未来へのレール敷き”」(2018年1月~3月開催)というイベントで砂利山線の線路を一部区間復活させたものが近くにあるのだ(map⑩)。


復活した線路。正面方向に里見駅がある

 この線路は見ての通り、枕木の上にレールを置いただけのものだ。間近で見れば本当の線路ではないことはすぐわかる。わざわざ見に行くほどでも……と思われるかもしれない。

 この線路が敷かれた場所は専用線の廃線跡で、実際にこの区間のみ本当のレールが埋まっていた。それを掘り起こし、再設置できるように整地するなど地元の建設会社の方々などの多大な労力によって完成したものなのだ。

 わずか100mほどの短い線路だが、使われているレールは本物だ。その赤錆びた鉄のレールに手を触れてかつて走っていた列車の振動を想像する……なんていうのも、土木旅の醍醐味なのである。

12:15 八犬伝との関係が気になる里見駅

 「里見」という名前を聞いたとき、一定年齢から上の方が思い出すのは曲亭馬琴の「南総里見八犬伝」ではないだろうか。私はNHK人形劇「新八犬伝」に魅せられ、夢中になった子供時代を思い出す。

 里見駅の駅名の由来は、開業時にこの地が里見村だったことによる。さらにルーツをたどれば村の名前は戦国時代にこの地を治めた里見氏に由来する。八犬伝の伏姫(ふせひめ)は安房里見家の姫なので、因縁浅からぬ駅なのだ。

里見駅近くの桜と菜の花。5分咲きだろうか、ここの桜がいちばん咲いていた

 廃線跡から里見駅に戻ると、次の上り列車が来るまで1時間ほどある。レトロな駅舎内の椅子に腰かけるもよし、ホームのベンチに座るもよし。ここで昼食のおにぎりでもいただこう。懐かしい八犬伝のテーマソングが頭の中に流れ始めた。

どこかの列車の座席を取り外したものが駅舎内に設置されていた。深紅の座布団がいい感じ

13:18 高滝駅から歩いて北上、次駅の上総久保を目指す

 里見から13時過ぎの列車に乗り、一駅隣の高滝で下車する(map⑪)。ここから2駅分、上総鶴舞(かずさつるまい)まで歩くのだ。

 小湊鉄道路線が通る千葉県市原市の公式サイトには、国登録有形文化財に指定された駅舎群の平面図・立体図が公開されている。それをみると、先の里見、高滝、上総鶴舞の各駅はほぼ同じ構造であることがわかる。
(https://www.city.ichihara.chiba.jp/article?articleId=60236e84ece4651c88c17b45)

高滝駅の正面入口横にある木のベンチも開業当初からあるものだ

 高滝駅の周辺には高滝ダムがあり、養老川を堰き止めてつくった高滝湖は千葉県一の貯水面積となっている。今回は時間と体力の関係で高滝ダムには立ち寄らなかったので、養老川を渡る県道81号の橋から高滝取水場を眺めるだけとした(map⑫)。

正面の施設が高滝取水場。左手奥に高滝ダムがある

 小一時間ほど歩くと、広々とした田畑が広がる中にポツンとたたずむ上総久保駅が見えてきた(map⑬)。注目したいのは駅横にある大イチョウである。上総久保は現在は無人駅だが、まだ駅員が常駐していた1952(昭和27)年ごろ、同駅助役の鈴木氏(故人)が植えたものだ。
 秋になればイチョウは黄金色(こがねいろ)に染まり、小湊鉄道の人気撮影スポットの一つとなっている。

樹齢70年越えの堂々たる枝ぶりの大イチョウ

14:15 上総鶴舞駅ホームから見える旧鶴舞発電所

 14時を過ぎて、ようやく最終目的地の上総鶴舞駅に到着した(map⑭)。無人駅のホームに入ってみると、使われなくなったホームの向こうに旧鶴舞発電所がある。

ホームの南端から五井方向を撮影。左手ヤシの木の向こうに発電所が見える

 トタン張りの鉄骨造り。火力発電で駅舎電灯を灯しており、後に近隣住宅にも電気を供給した。1942(昭和17)年に役目を終えている。

古レールを再利用した案内板が入口の前に立つ

 発電所の入口から小湊鉄道の本線に向けて直角に線路が延びている。トロッコ台車を動かすための引き込み線だが、火力発電の燃料となる石炭などを運び込んだのだろうか。

向こう側に見える倉庫も、「上総鶴舞駅貨物上屋」として有形文化財に登録されている
発電所側から駅舎を撮影。関東の駅百選にも選ばれている

 帰りの列車が来るまでまだ時間がある。ホームのベンチに座り、春風にそよぐ菜の花を眺めるのは至福の時間だ。

運転日限定で機関車が牽引する房総里山トロッコ列車も運行されている

*掲載情報は探訪時のものです。列車の時刻などはダイヤ改正などにより変更されている場合があります。

牧村あきこ

高度経済成長期のさなか、東京都大田区に生まれる。フォトライター。千葉大学薬学部卒。ソフト開発を経てIT系ライターとして活動し、日経BP社IT系雑誌の連載ほか書籍執筆多数。2008年より新たなステージへ舵を切り、現在は古いインフラ系の土木撮影を中心に情報発信をしている。ビジネス系webメディアのJBpressに不定期で寄稿するほか、webサイト「Discover Doboku日本の土木再発見」に土木ウォッチャーとして第2・4土曜日に記事を配信。ひとり旅にフォーカスしたサイト「探検ウォークしてみない?」を運営中。https://soloppo.com/

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