「猫と人が交わる場所」革堂行願寺│ゆかし日本、猫めぐり#9

カルチャー|2022.9.9
写真=堀内昭彦 文=堀内みさ

猫を通して日本を知る、「ゆかし日本、猫めぐり」。第9回は、個性さまざまな猫たちがひょっこりと姿を現す様子をお届け。

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町中に佇む寺は、
猫が集う場所だった。

境内のそこかしこに猫の気配がする。だが姿は見えない。
そろり、そろり。注意深く歩を進めると、頭上に猫を発見。

こちらにも。

 京都、寺町通にある革堂行願寺(こうどうぎょうがんじ)。周囲には住宅や店舗が建ち並び、車や人通りも多いこの町中の境内に集う猫たちは、常にどこか気を張っているよう。通りがかりの一参拝客には見向きもしない。
 こんなときはじっとして、場の空気と同化するに限る。すると……

いた!

身を潜め、こちらの様子をうかがっている。

 この寺の創建は寛弘元年(1004)。もとは一条通にあった仏堂が大風で倒壊し、行円(ぎょうえん)上人が建立供養したことに始まる。以後京都の名刹として広く知られ、室町時代には町衆の集会所にもなるなど、庶民からも親しまれてきた。だが、戦乱や火災でたびたび焼失。場所も2度の移転を経て、宝永5年(1708)の大火の後、現在の地に落ち着いた。

 現存するご本堂は、文化12年(1815)の建立。

 内陣では千手観音が拝観者を迎える。もっとも、こちらは御前立(おまえだち)尊像。秘仏のご本尊は、行円上人が賀茂明神に教えられた霊木で彫ったと伝わる。

 寺の由緒は山号、寺号に表れている。「霊麀山(れいゆうざん)」の「麀」は雌鹿のこと。実は行円は青年時代、狩りで自分の放った矢が雌鹿の腹を裂き、子鹿が洩れ落ちたという体験をしている。そのとき雌鹿は、激痛に耐えながら血まみれの我が子を舐め続け、次第に弱って死んでいった。殺生した身を深く悔いた行円は、それを機に仏門に入り、以後、雌鹿の革を常にまとって皮聖(かわひじり)と呼ばれるようになった。「革堂」の名の所以である。「行願」という言葉も、一切衆生の成仏を願い、行ずる意味があるという。

 気がつくと、猫たちが姿を現していた。

近づいても、今度は逃げない。

 ちなみにこの寺の梵鐘は、かつて町衆が集合する際に合図として鳴らされた団結のしるし。大戦時に国に供出されたが、昭和48年(1973)に新たに鋳造され、復活を果たしたという。

 今もこの寺は、地元の人たちの心の拠りどころであり続けている。猫たちの世話も、毎朝お参りを欠かさないという人たちによって支えられている。なかには愛犬が他界し、その悲しみを猫たちの世話で癒してもらっていると語る女性も。

 猫たちは、寺の諸堂をお参りする彼らの後ろを付かず離れず追いながら、戯れ合ったり、豪快に水を飲んだり。

 副住職の中島惠海(えかい)さんも、「もとは犬派でしたが、猫たちの世話をするようになって、犬や猫の区別なく、みな等しく大切な生き物だと思うようになりました」と言う。

 ある日ふらりと現れて、気がつくと居ついている。出自も過去もさまざまな猫たちと、世話をする人たちの想い。行願寺の境内は、猫と人、それぞれの生が束の間交わる場所だった。

どうかみんな、いつまでも元気で。

天台宗 霊麀山革堂行願寺
京都府京都市中京区寺町通竹屋町上ル行願寺門前町
TEL:075-211-2770
拝観時間:8:00~17:00

堀内昭彦
写真家。ヨーロッパの風景から日本文化まで幅広く撮影。現在は祈りの場、祈りの道をテーマに撮影中。別冊太陽では『日本書紀』『弘法大師の世界』などの写真を担当。著書に『ショパンの世界へ』(世界文化社)、『おとなの奈良 絶景を旅する』(淡交社)など。写真集に『アイヌの祈り』(求龍堂)がある。

堀内みさ
文筆家。主に日本文化や音楽のジャンルで執筆。近年はさまざまな神社仏閣をめぐり、祭祀や法要、奉納される楽や舞などを取材中。愛猫と暮らす。著書に 『カムイの世界』(新潮社)、『おとなの奈良 心を澄ます旅』(淡交社)、『ショパン紀行』(東京書籍)、『ブラームス「音楽の森へ」』(世界文化社)など。

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