建築家・藤森照信が生み出した、
唯一無二の「ふじもり椅子」

カルチャー|2025.3.6
文=金丸裕子

 並んでいるは確かに椅子だと頭ではわかっているのに、なんだか生き物みたいで、いまにも動き出しそう。
「ほんと、生き物っぽいんだよ。夜中にその辺をちょこちょこ歩きだしそうだよね」
椅子の作者である藤森照信は笑いながらそう話す。
 建築史家にして建築家である藤森照信が生み出す作品は、建築の通念を軽やかに超えた新しさと、遠い過去を想起させる懐かしさ、はたまた宇宙から来たかのような不思議さを併せ持ち、世界中にファンがいる。これまでにも自身の建築に合わせて家具のデザインは行ってきたが、今回、初めて一般販売を行う家具として「ふじもり椅子」が発表された。

2025年1月に発表された「ふじもり椅子」。今回は5つのデザインがリリースされた

 企画したのは、美術・工芸・デザインの垣根を超えた芸術を紹介するプレコグ・ギャラリー代表の安藤夏樹である。
「藤森先生は、大地から自然に生えてきたような外観をもちながら、裏では最先端の技術で住宅や茶室としてしっかり成立するものを作られています。そんな藤森先生の建築が私は一番好きだし、先生が作られる茶室はまさしくアート。私にお金があったらコレクションしたいけど、それはなかなか叶わない。手の届くもので先生の制作物でいうと、家具が唯一のものになると思いました。1年ほど前にギャラリーを始めることになり、藤森先生のデザインをもとに木工芸家の川本英樹さんと協働で作られる工芸品は、美術として成立すると考えました」

 発表された5つのデザインの椅子は、藤森が過去の建築作品のために制作したものをより発展させたものだという。いずれも木を荒々しく使い、これまで見たことがない個性豊かな表情の椅子を生み出している。
 なかでも木そのものの強い生命力を感じさせるのが、「脱NW椅子」と名付けられた椅子。ファーストコレクションでは柏と栗を使い、3脚作られた。名前の由来を尋ねると、藤森はこう答えてくれた。
「ジョージ・ナカシマとハンス・J・ウェグナーは、20世紀における木製家具の巨匠で、その作風は対極にあると思うんです。ウェグナーはぎりぎりまで美しく削っていく、そこに職人芸の粋が現れている。一方のナカシマは、それまで使用されることのなかった自然の木の割れや歪みを生かす。そのやり方はヨーロッパでは考えられないことで、おそらく日系二世としての、日本人的な木の活かし方が現れているのだと思います。ナカシマは、欧米の家具の常識に対する相当微妙な挑戦をしたわけだけど、僕は、木っていうのは荒々しいものであり、もっと力強いものであることを表現したい。二人の先輩を大変尊敬しているのですが、同じ道は行かないということで彼らの頭文字に脱をつけて『脱NW椅子』という名前にしました」

尊敬するジョージ・ナカシマとハンス・J・ウェグナーとは別の道を行きたいと「脱NW椅子 」と名づけた。信州諏訪産の柏と栗で3脚作った。後ろから見た木の表情も美しい。

 今回作られた脱NW椅子の3脚には、藤森の故郷である信州諏訪産の柏と栗が使われている。柏という、柏餅の葉以外ではほとんど使われることはない樹種を用いることになったのは、茅野市の神社で市の天然記念物に指定されていた御神木の老木が大雨で倒れたのを知り、引き取って何かに活かそうと考えたためだ。
「その柏を板に挽くと、見たこともないような斑(ふ)が入っていて驚きました。椅子を作るにあたっては、背板にどの板を使うかがものすごく大きな選択で、それによってディテールが変わってくるんです」
 「脱NW椅子」に限らず、今回の椅子は、流通している木材をほとんど使わず、木との出会いによって生まれたものが多い。
「建築ではどんな木でも使えるわけではないのですが、家具であれば構造的にうるさいこともないし、補強もできるので、どんな木でも使ってみせると決心しました。もちろん良い木も使いますが、変わった木も使います。木は問いません」

黒柿に山桜を貼り合わせて強度を増し、作られた「箱椅子」。

 その最たる例が、黒柿を使った「箱椅子」だ。黒柿とは、内部に黒い模様がある柿材のこと。その黒い模様は、育成の過程でバクテリアによって変色したもので、外見からは判断することができない。1000本に1本ともいわれている。
「故郷の信州にある知り合いの製材所に、かなり昔から打ち捨てられている黒柿があったんです。行く度に腐っていき、もうそろそろだめだと聞いて、だったら俺が使ってみようかなと、板に挽いて使える部分だけを用いることにしたんです。黒柿は弱っていたため、山桜と背中合わせに集成しました。どちらも信州伊那産です」
 木材の強度不足を補うために箱状にした。箱にすると角をビスで止める必要があるため、ビスの穴は漆喰のパテで隠している。こうした工夫が好きなのだと藤森は言う。

 発表された残りのデザインは、背の中央から2枚の背板が広がり、後ろから見ると虫みたいに見える「バタフライ椅子」、2脚の椅子をくっつけても離してもつかえる「きょうだい椅子」、茶道の立礼席に和服で座るのにふさわしく、回転する「きもの椅子」の3つ。いずれも4つ脚で、一生懸命にふんばっているような印象を受ける。脚の先は小豆色に塗り分けられ、馬の蹄のよう。「きょうだい椅子」の脚をよく見ると、背もたれが小さなほうの椅子の脚先には靴をはかせている。靴をはいていないのが兄で、はいているのが妹なのだという。

左_「バタフライ椅子」は背中が左右に折れ、背中を心地よく包んでくれる。 中_柏で作られた「きもの椅子」。和服ですわるのにふさわしく、小ぶりで、回転する。 右_「きょうだい椅子」。山口産の桑材を用いた二連の椅子。右手の妹椅子は、靴を履いている。

 木々の息吹が滲み出た木の化身のような椅子があれば、愛らしい子どものような椅子、あるいは昆虫のような椅子もある。ひとつとして同じものはない。藤森らしいあふれる冒険心や遊び心に富んだ作品ばかりだが、それを成立させているのは、建築史研究者としての思索や、国内外での木と向き合う経験に裏打ちされた豊かな知見と技術であることは間違いない。まずは藤森と木との出会いがあり、そこからデザインが深められ、木工作家の川本が藤森と対話を繰り返しながら創作される。それは椅子であると同時に、彫刻作品である。

工房での藤森照信。後ろ左がプレコグ・ギャラリーの安藤夏樹、右が川本英樹。

 藤森の故郷である茅野市の生家の畑には、自らが手掛けた茶室群「高過庵」、 「空飛ぶ泥舟」、「低過庵」、そして「五庵」が立ち並ぶ。これらは「フジモリ茶室」 と呼ばれ、わざわざ遠方から訪れる人も多く、海外でも話題になっている。フジモリ茶室よりさらに小さな「ふじもり椅子」は、安藤が言うように、個人でも所有できる可能性が高い。今後、アー トフェアなどに出展される予定だ。まずは実物に会いにいってみよう。

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