「昨日もまたかくてあり 今日もまたかくてありなむ」島崎藤村│ゆかし日本、猫めぐり#57

連載|2025.1.10
写真=堀内昭彦 文=堀内みさ

いつもどおり

 新しい年が明けたって?

 そんなこと、猫の世界には関係ない。

 いつもどおりにご飯を食べ、

お腹が満ちたら毛づくろい。

 お日さまの光を浴びて、
食べて飲んで、寝て、遊んで。

 それだけで、幸せ〜!

 今日もいつもどおりに変わりなく。
 その有り難さを、猫は肌感覚で知っている。

 猫も人間も、佳き一年となりますように。


「昨日もまたかくてあり
 今日もまたかくてありなむ
 この命なにを齷齪(あくせく)
 明日をのみ思ひわづらふ」
──島崎藤村「千曲川旅情の歌」

 近代西欧文明の流入によって、日本の風習や文化が激しい変貌を迫られた明治時代中期に文学に目覚め、以後大正、昭和の3代にかけて、力強い作品を発表し続けた文豪、島崎藤村。
 明治5年(1872)、筑摩県馬籠村(現在の岐阜県中津川市馬籠)の土地随一の旧家、島崎家に生まれた藤村(本名は春樹)が故郷を離れ、姉の嫁ぎ先である東京で暮らし始めたのは9歳のとき。教育施設も不十分な山深い木曽の地では体験できない、きちんとした学問を受けさせたいという父の意向によるものだった。以後、藤村は文明開花の波に乗って、時代の先端をいく近代的な精神を身につけていく。
 当初は政治家志望だったという藤村が、一転、文学にのめり込んでいくのは、当時開校したばかりのプロテスタントのミッションスクール、明治学院に入学してからのこと。英語を学び、ダンテ、シェークスピア、ゲーテ、ハイネ、ワーズワースなどの作品を読破する一方、西行や芭蕉など自国の古典文学にも目を向けるうちに、ひそかに文学で身を立てたいと思うようになるのだ。卒業後は明治女学校で教師を務めながら、翻訳した英語の詩などを雑誌で紹介。文学の道への第一歩を踏み出した。
 当時は西洋の詩を、日本古来の文語と七五調によって再現する「新体詩」が試みられるなど、日本語による新しい詩の表現が模索されていた時代。というのも、明治以前の日本では、古来受け継がれてきた和歌や俳句といった定型詩はあるものの、詩と言えば漢詩を指し、日本語による創作の詩は存在しなかったのである。その中で藤村は、西洋の詩が持つ主観や感覚性に重きを置いた、自己の内面を見つめるような自作の新体詩を、文学仲間と創刊した『文学界』で発表。詩人としての地歩を固めていった。
 もっとも、その間、身辺ではさまざまな出来事が起こっている。婚約者のいる教え子に恋をし、学校を辞めて漂白の旅に出たり、心の支柱にしていた文学の道の先駆者、北村透谷の自殺や長兄の事業失敗による投獄、また郷里の家の焼失もあった。藤村は、のちに小説『春』で描くことになるそんな状況の一切を打ち捨てるように、明治29年(1896)、24歳のときに仙台の東北学院に赴任し、やがて人生初の詩集『若菜集』を出版することになった。緑豊かな自然の中で何かが吹っ切れたのか、堰を切ったように詩が溢れ出したという。
 藤村の詩集は全部で4冊ある。今月の言葉は、29歳のときに出版された最後の詩集『落梅(らくばい)集』の中の1編に登場する冒頭の1節。当時信州小諸で教師をしていた藤村は、この地で結婚し、故郷の木曽の地を思い出させるような自然豊かな環境の中でつましい生活を送りながら、自然と人生をより精緻に見つめ、厳しい現実を赤裸に捉えるべく、小説に取り組み始めていた。時代もまた、あらゆる美化を否定し、現実をありのままに描写することで人生を考えようとする、自然主義文学の流れに傾きつつあった。藤村は、図らずもそんな時代の思潮に呼応し、部落出身の小学校教員を主人公とする『破戒』を自費出版し、以後、主に東京を拠点として自伝的な小説を書き続けた。晩年には、自己の出自を探るように、故郷の木曽の地で代々代官職を務めた島崎家の17代当主、父の正樹の一生を主題にした長編歴史小説『夜明け前』を発表。71歳で他界するまで、たゆまず筆を執り続けた。
 藤村の生涯を俯瞰したとき、詩は一種の青春の形見だったと言える。それでも時代を超えて読む者の心を捉えるのは、そこに真実が秘められているからだろう。猫もまた、真実を生きている。今を生きる、という点で、両者は響き合っているように思える。


 今週もお疲れさまでした。
 おまけの1匹。
(ここにも、いつどおりの今日を「幸せ〜」と感じている猫が……)

堀内昭彦
写真家。ヨーロッパの風景から日本文化まで幅広く撮影。現在は祈りの場、祈りの道をテーマに撮影中。別冊太陽では『日本書紀』『弘法大師の世界』などの写真を担当。著書に『ショパンの世界へ』(世界文化社)、『おとなの奈良 絶景を旅する』(淡交社)など。写真集に『アイヌの祈り』(求龍堂)がある。

堀内みさ
文筆家。主に日本文化や音楽のジャンルで執筆。近年はさまざまな神社仏閣をめぐり、祭祀や法要、奉納される楽や舞などを取材中。愛猫と暮らす。著書に 『カムイの世界』(新潮社)、『おとなの奈良 心を澄ます旅』(淡交社)、『ショパン紀行』(東京書籍)、『ブラームス「音楽の森へ」』(世界文化社)など。

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