日本三景の1つ、京都府宮津市にある天橋立は、古来多くの和歌に詠まれてきた景勝地。
天橋山(てんきょうざん)智恩寺は、その天橋立の先端と向き合うように海岸沿いにある。
三門に掲げられた扁額には、「海上禅叢(ぜんそう)」の文字。
「海上に聳える禅の道場」という意味を持つこの言葉は、船でこの地を訪れると、海上に突如草が生い茂ったように禅寺が出現するさまを表したのだろうと、住職の萩原一政(いっせい)さんは言う。
境内に入ると、色づいた葉っぱが迎えてくれた。
現在、気温は摂氏5℃。はたして猫は現れるだろうか。
まずは1匹。そうすれば、自ずと心身ともに猫モードになり、不思議と他の猫との出会いを引き寄せやすくなる。
そんな貴重な最初の1匹と出会ったのは、境内を一巡し、さらに門前通りなども見て回った後、再び三門に戻って「いないなあ」とつぶやいたときだった。
まるでその独り言を聞いていたかのように、猫がふらりと現れて、
いきなりゴロン。
ひとしきり毛づくろいに没頭し、
満足すると、こちらには目もくれずに去っていった。
つれないなあ。
気を取り直し、次なる1匹を求めて、本堂の文殊堂へ。
だが、ここにもやはり猫はいない。代わりに幾人かの職員たちが拝観の準備をしたり、お堂の掃除や境内の落ち葉を掃いたりと、休む間もなくきびきびと立ち働いている。猫はいないか尋ねてみると、寺務所の中にいるとのこと。許しを得て入らせてもらうと……、
いた!!
ここだけ時間の進み具合が違うよう。
「いいわねえ」。ため息まじりにそう言うと、
「何か? 文句でも?」とばかりに、すごみのある目つきで前進。
その迫力に圧倒され、ピンぼけに。
こりゃ失礼。お邪魔しました〜。
外に出ると、今度は「にゃ〜お、にゃ〜お」と鳴きわめいている猫を発見。
どうやらご飯の催促のよう。
ほどなく白猫も姿を見せ、
境内がにぎやかになってきた。
智恩寺は古来、文殊信仰の聖地。古くは「九世戸(くぜと)の文殊」、近世以降は「切戸(きれと)の文殊」と呼ばれ、日本三文殊の1つとして知られている。ちなみに、「九世戸」はこの地の古い地名、「切戸」も小字名だという。
「寺に伝わる『九世戸縁起』によれば、『九世の戸あまのはしたてと申すは、本尊は一字文殊、鎮守ははしたての明神と申す』とあります。『一字』は天橋立を指しますから、智恩寺と天橋立は一体のものとして意識されてきたようです。この文殊堂には、たしかに文殊菩薩様の仏像が安置されていますが、その背景には、大きな意味での信仰の対象として天橋立があり、すばらしい自然の造形物を拝む場所だったのではないかと思います」
そもそも天橋立は、日本海の海流が運んできた砂が堆積してできた砂洲(さす)である。だが、この地に住む人々は、その不思議な形状に神秘性を感じ、祈りを捧げてきた。自然の造形物である砂洲を、神々が天から地上に通うために架けられた梯子で、奇しびな神の足跡と捉え、信仰の対象としてきたのである。それが、豊かな自然の中で育まれてきた日本人の感性であり、宗教観でもあるのだろう。
境内には、幹回りが5mを超える立派なタブノキの霊木もあった。
「先代住職は、九世戸の地を『無双の霊境』と言っています。他に並び立つもののない、神仏とともに人々が住まう場所、という意味になるでしょうか」。萩原住職はそう言って、室町時代に雪舟が描いた国宝の『天橋立図』を例に挙げた。この水墨画には、丹後一宮の籠(この)神社をはじめ、現在は別の場所にある慈光寺や、当時は大伽藍だったという国分寺、さらに鼓ヶ岳の中腹にある成相寺(なりあいじ)など、神社仏閣が天橋立を取り囲むように建ち、それに寄り添うように民家が並ぶさまが描かれている。そんな幽玄な霊境で、人々はごく自然に神仏に祈りを捧げ、暮らしてきたのだろう。
ふと見ると、先ほどストーブの前にいた猫が、日向ぼっこをしていた。
今度こそ邪魔しないようにそーっと回って、
正面へ。
でもやっぱり怒られた?
その後、ポーズはしっかり決めてくれた。
一方、最初に出会った猫も、
境内を自由に闊歩している。
水道水も必要ないようだ。
智恩寺は臨済宗妙心寺派の寺院。もっとも、大日如来を本尊とする多宝塔のように、密教の影響を感じさせる建造物もある。
「実は、江戸時代以前の資料が寺にあまり残っていないので、はっきりわからないのですが、もとは真言宗の影響が強いお寺だったようです」
臨済宗妙心寺派に定まったのは江戸時代から。寺の創建や沿革など不明な点は多いものの、醍醐天皇から天橋山智恩寺という山号と寺号を賜った延喜4年(904)を、開創年としているという。
文殊信仰の起源も定かではない。
もっとも、前述の『九世戸縁起』によれば、この地と文殊菩薩との関わりは、神々が日本の島々を造っていた神代の頃まで遡ると書かれている。
その頃、天から地上を見下ろしていた神々は、龍神たちがこの地の海を荒らし回り、人々が住めない状態であることを知った。協議の結果、神々は龍神たちを鎮めるために、「龍宮の導師」であり「智慧の母」でもある文殊菩薩を、中国の五台山から迎えたという。文殊菩薩は、その後千年もの間、龍神たちに説法を続け、龍神たちもようやく改心。この地の人々の守護神になることを誓った、という内容である。「九世戸」の名も、天神7代、地神2代の、合わせて9代にわたってこの地が造られたことにちなんで付けられたという。
「文殊菩薩さんは、どんな荒地でも、また坂道やいばらの道でも、行くところをすべて平坦にし、平穏で美しい場所に変えていく仏様だと言われています。ですから文殊菩薩さんの智慧の力で、この地をそういう場所に変えていただきたい、そんな願いを込めてお招きしたのではないでしょうか」
気がつけば、「最初の1匹」が多宝塔に移動。心静かに瞑想を始めた……、
と思いきや、
こちらに気づき、
またしてもゴロン。
身体全部で陽の光を楽しんでいる。
う〜、一緒に寝転びたい!!
この日は気温がぐんぐん上がり、日中はポカポカした陽気に。猫たちは、それぞれに居心地の良い場所を見つけてくつろいでいる。
普段は庫裡の中で暮らしているという家猫たちも、外に出て日向ぼっこをしていた。
ときには、家猫と外猫がご対面、ということも。
こちらは家猫のカイちゃんと「最初の1匹」。
すさまじい鳴き声に、これからどうなることかと見ていると、
ある地点で2匹の動きがぴたりと止まった。その後、家猫の関心がカメラに移った隙に、
外猫が忍び寄り、
至近距離に。
だが、目が合った瞬間たじろいだ。
猫の世界も、いろいろ大変なよう。
一方、もとは鐘楼門とされる暁雲閣(ぎょううんかく)では、白猫がのんびりと一人(匹?)の時間を満喫していた。
近づいても、平気で毛づくろい。
一段落すると、
やはりゴロン。
猫は自分の心を平安に保つ天才だと、つくづく思う。
「人間は、とかく自分に都合の良い場所ばかりを選びますよね。周りを自分の都合に合わせようとする。でも、文殊菩薩さんの智慧をもってすれば、どんなところにいても、周囲に惑わされず、自分が活躍できて穏やかに過ごせる場所にしていける。それが文殊菩薩さんの教えで一番大事な部分ではないでしょうか」。萩原住職の言葉を思い返す。
猫がのびのびと気持ち良さそうに見えるのは、
人の視線を感じても、
惑わされないからだろう。
「誓願という言葉があります。誓い、願う。仏様に手を合わせるのは、自分自身の気持ちを定め、誓って願うためです。手を合わせたら、仏様が勝手に願いを叶えてくれるというのではなく、その願いに向かって努めていきますと仏様に誓うことが、本来は大事なんです」
帰り際、寺の外猫が、冬になると入り浸っているという門前通りのカフェに立ち寄ってみた。なんでも店のオープン時間に合わせてドアの前で待っていて、日がな一日、お決まりの椅子で過ごすという。
さて、どの猫か?
案内されるまま店の奥に進んでみると、
なんと! 「最初の1匹」だ!
猫の方も、「またあんたたちか」という表情。せっかくだからと、最後に1つだけお願いをしてみた。
「ちょっと窓辺に移動して、天橋立と一緒に撮らせてくれないかな」。だが……。
待つこと数分……。
猫はひとしきり毛づくろいに没頭していたが、突如ストンと椅子から下り、
窓際に移動!
やはり、1日の良し悪しは最初に出会った1匹で決まる。
おかげで良い1日だった。
ありがとう。いつかまた、会えるといいな。
天橋山智恩寺
〒626-0001
京都府宮津市字文殊466
TEL:0772-22-2553
堀内昭彦
写真家。ヨーロッパの風景から日本文化まで幅広く撮影。現在は祈りの場、祈りの道をテーマに撮影中。別冊太陽では『日本書紀』『弘法大師の世界』などの写真を担当。著書に『ショパンの世界へ』(世界文化社)、『おとなの奈良 絶景を旅する』(淡交社)など。写真集に『アイヌの祈り』(求龍堂)がある。
堀内みさ
文筆家。主に日本文化や音楽のジャンルで執筆。近年はさまざまな神社仏閣をめぐり、祭祀や法要、奉納される楽や舞などを取材中。愛猫と暮らす。著書に 『カムイの世界』(新潮社)、『おとなの奈良 心を澄ます旅』(淡交社)、『ショパン紀行』(東京書籍)、『ブラームス「音楽の森へ」』(世界文化社)など。