「自然に対する素直さだけが、美の発見者である」魯山人│ゆかし日本、猫めぐり#49

連載|2024.9.6
写真=堀内昭彦 文=堀内みさ

美の発見者?

 暑いときは、黒いところ(つまり日陰)、

寒いときは、白いところ(つまり日向)へ移動して、

暑さ、寒さをやり過ごす(つまり寝る)。

 雨が降る日は、茂みの中へ、

風が吹けば、石に囲まれた隙間へ。

 小川があれば喉を潤し、

木があれば登ってみる。

 ときには、空を飛ぶ鳥の姿を追いかけ、

道端の小さな枝にあいさつ。

 どんなときも、自然に逆らわず、「素直」に行動。
 実は猫こそ、真の「美の発見者」かもしれない。

今月の言葉
「山鳥のように素直でありたい。太陽が上がって目覚め、日が沈んで眠る山鳥のように……。 この自然に対する素直さだけが、美の発見者である」
──北大路魯山人(参考:別冊太陽 日本のこころ275 『永遠なれ 魯山人』)

 書、篆刻(てんこく)、絵画、料理、陶芸……。さまざまな分野で断固とした美学を貫き、型破りの作品を遺した北大路魯山人。まさにマルチクリエイターと呼ぶにふさわしいその卓抜した才能は、「坐辺師友(ざへんしゆう)」、つまり、特定の師につくのではなく、自身の身辺にあるものを師とし、友とする独学によって培われたという。陶芸であれば、自分が感銘を受けた古(いにしえ)の名品を常に手元に置き、何度も眺め、使いこなすことによってその美を見極め、先人の心や工夫を学び取ったうえで、独自の作品を生み出していったのである。
 魯山人の言葉によれば、人生で最初に究極の美を感じたのは、3歳の春に京都の神宮寺山で真っ赤なツツジが咲き競う風景を見たときだという。実は魯山人、本名房次郎は、明治16年(1883)に京都の上賀茂神社の社家、北大路家の次男として生まれたが、誕生の4ヶ月ほど前に父が他界。生後すぐに里子に出され、以後、養家が転々と替わるという幼少時代を過ごしている。絶えず愛情に飢え、貧しい暮らしを送る中で、ツツジの真っ赤な色彩から受けた強い感銘は、長ずるにしたがって大きな意味を持つようになり、「これからこのような美しいものを生涯追い求めて行きたい」という願望と、「自分は美しいものをこの世に探すために生まれて来たのだ」という信念となって、常に魯山人の心を支え続けたという。
 6歳という幼さでおさんどん(炊事)を買って出たのも、元を辿れば、当時の養父母に役に立つ子だと思われ、大切にされたいという想いから。のちに並外れた美食家となる、その原点とも言うべき美味への開眼、追求は、貧しくも美食家だった養父母を喜ばせる料理を日々作るという実践の中でなされたのだ。通常は捨てるような部位に美味を発見し、それを生かしきるという、終生変わることがなかった食材との向き合い方も、このおさんどんの経験に端を発していると考えられる。
 もっとも、魯山人が最初に名をあげたのは、書の分野でのことだった。10代の頃に、懸賞目当てに書を独学。腕を磨いて全国大会で入賞を重ねるようになり、古書を通してあらゆる書体を貪欲に身につけていった。やがて、20歳で上京。翌年には日本美術協会主催の展覧会の書の部で、1等賞2席(1等賞5人のうち2位)を受賞し、書道教室を開く一方、篆刻や濡額(ぬれがく=店頭看板)などの分野で頭角を現していく。
 そんな書家としての人生が急展開を見せるのは、友人と共同で古美術店「大雅堂(たいがどう)」を始めてから。売り物の古い器に自身の手料理を盛り付け、客人にふるまう会員制の「美食倶楽部」が大評判となり、4年後には、会員制の料亭「星岡茶寮(ほしがおかさりょう)」を開寮。魯山人は、その顧問兼料理長として破格の経営哲学を貫いた。料亭でありながら、目指したのは、「心のこもった家庭料理」。金に糸目をつけず、全国から調達した新鮮で最高の食材は、その持ち味を生かすため、味も盛り付けも過度に手をかけすぎないことが大切にされた。その一方、たとえば魚のはらわたのように、通常は捨ててしまう部分を絶品料理に仕立て、客人を唸らせることもしばしばだったという。さらに、おいしい食べ物には、それにふさわしい美しい食器が必要だと、器選びにも心を砕いた。
 そもそも魯山人が作陶を始めたのも、料理に合う理想の器を作るため。昭和2年(1927)に鎌倉に「星岡窯(せいこうよう)」を開設したのも、星岡茶寮で使う大量の器を納得のいくものにするためだった。当初は名工を呼び寄せ、魯山人は絵付けのみ行っていたものの、やがて自らも作陶活動を行うように。特に星岡茶寮を去ってからは、作陶三昧の日々を送り、生涯で20万点にも及ぶ陶芸作品を遺したという。
 今月の言葉は、さまざまな美を見極めてきた魯山人だからこその、含蓄ある内容。人生の後半を自然豊かな鎌倉の地で暮らした魯山人は、何よりまず、自然を見る眼を養わなければならないと語っている。それがなくては、一切の美を生み出すことはできないと。
 自然を身近に感じて生きる戸外の猫たちは、ある意味、人間よりも美の発見者に近いのかもしれない。

 今週もお疲れさまでした。
 おまけの1枚。
(切り株があれば、休んでみる……)

堀内昭彦
写真家。ヨーロッパの風景から日本文化まで幅広く撮影。現在は祈りの場、祈りの道をテーマに撮影中。別冊太陽では『日本書紀』『弘法大師の世界』などの写真を担当。著書に『ショパンの世界へ』(世界文化社)、『おとなの奈良 絶景を旅する』(淡交社)など。写真集に『アイヌの祈り』(求龍堂)がある。

堀内みさ
文筆家。主に日本文化や音楽のジャンルで執筆。近年はさまざまな神社仏閣をめぐり、祭祀や法要、奉納される楽や舞などを取材中。愛猫と暮らす。著書に 『カムイの世界』(新潮社)、『おとなの奈良 心を澄ます旅』(淡交社)、『ショパン紀行』(東京書籍)、『ブラームス「音楽の森へ」』(世界文化社)など。

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