空海 祈りの絶景 #23 高野山その2〜入定の地〜

連載|2024.2.24
写真=堀内昭彦 文=堀内みさ

 空高く伸びる杉の大木が林立する聖域のあちこちから、お香の匂いが立ち昇ってくる。頭上からは蝉の声。その音を縫うように、僧侶たちが読経する低い声が聞こえている。

 高野山奥之院。総面積、約270万㎡という境内には、空海が今もなお生きて禅定(心を一点に集中し、絶対の境地に達するための瞑想)を続けていると信じられている御廟がある。一の橋から御廟まで続く参道の距離は、約2km。両脇には20万基とも言われる墓石や石塔が並び、さまざまな精霊(しょうりょう)が静かに眠る。

 高野山では、毎年8月10日前後に山内の僧侶たちが手分けをし、奥之院に眠るさまざまな精霊の供養を行う。

 歴史上の有名人も、無名の庶民も、ここでは平等に供養されるのだ。

蓮華定院住職の添田隆昭(りゅうしょう)さん。蓮華定院は、戦国武将の真田家ゆかりの寺。奥之院の墓所で菩提を弔う。

 もっとも、一つの塔頭寺院が担当する墓石や石塔は250基ほど。そのため僧侶たちは、少し進んでは有縁の墓石の前で立ち止まり、般若心経と光明真言などを唱え、お香や燈明、そして、お供えや一枝の高野槙を捧げて再び歩く、ということをひたすら繰り返す。

左/広い境内を足早に歩く僧侶たち。右/お供えは、洗米と細かく刻んだ野菜を混ぜたものを蕗の葉の上に置く。

 淡々と、だが粛々と。

 広い境内を行きつ戻りつしながら、1時間以上かけて御廟にたどり着き、最後に祖師である弘法大師空海の前で手を合わせる。

 そして、燈籠堂の消えずの火を各々の塔頭寺院に迎え、先師や先祖などの霊を祀って手厚くもてなすのだ。

燈籠堂の消えずの火は、消さないように僧侶が4kmほどの道のりを歩いて持ち帰り、本堂前の独特の形をした切子燈籠に灯される。
左/蓮華定院の精霊棚。祖霊をお迎えしたら、まず素麺が供えられるのが習わしという。
右/戒名が書き記されている経木塔婆(きょうぎとうば)の上にも、洗米と細かく刻んだ野菜のお供えが捧げられ、追善供養される。
仏迎えの期間は、本堂の秘仏がご開帳となる。

 午前中は、壇上伽藍の金堂でも、不断経(ふだんぎょう)と呼ばれる法会が行われていた。8月7日から1週間にわたり厳修(ごんしゅ)されるこの法会では、やはり諸精霊の得脱(生死の迷いを脱して悟りを得ること)が祈られる。

不断経では、僧侶たちが『理趣経』を、フシを付けて唱えながら行道する。「『理趣経』は、読めばすべての災難から解放され、速やかに悟りを得ることができるとされている経典で、毎日朝に読誦せよと書かれています」と添田さん。

 はじめて訪れた8月の高野山は、見えないものたちへの想いに満ちた、清浄で優しい空気に包まれていた。

金剛峯寺の仏迎えのしつらい。左はすべての精霊へ向けたお供え。右は先師のための精霊棚。

 空海は、天長9年(832)、59歳のときに高野山で萬燈萬華会(まんどうまんげえ)と呼ばれる法会を行っている。そのときの願文(がんもん/法会などで施主の願意を示す文)に、

 ──すべての人間、そして、空を飛ぶものや地を這うもの、水中を泳ぐもの、林に生きるもの、生きとし生けるものすべてが、みなともに、同一の悟りの世界に入ることができますように──。

という一文がある。

 かつて自身の著作『即身成仏義』で、真理そのものである真言密教の教主、大日如来は、六大、つまり地、水、火、風、空という宇宙の物質面を表す五大と、精神面を表す識大で成り立っており、同様に、我々人間も六大で構成されている、と説いた空海は、さらに独自の論を展開させる。本来大日如来と人間は同体であり、誰もが仏性を備えている。だから、人間は現実世界の迷妄の中に生きているが、手に大日如来の印契(いんげい)を結び、口にその真言を唱え、心を一処に集中して瞑想すれば、自身の身(しん/身体)・口(く/言葉)・意(い/心)が、大日如来の身・口・意と相応して一体となり、この身このままで仏になれる。つまり即身成仏できると結論づけた。

高野山壇上伽藍の根本大塔の本尊、胎蔵界の大日如来像。

 他の仏教の教えにはない即身成仏をテーマに、著作をまとめてから約9年。すでに人生の総仕上げとも言える時期に入っていた空海は、ここ高野山で、さらにビジョンを広げ、人間だけでなく、動植物なども含めた生きとし生けるものすべての得脱を願い、仏前に多くの燈明と華を献じる大規模な法会を行った。燈明という闇を照らす智慧の光があらゆる病を除き、分別を知る心が花のように開いて諸尊の慈悲の眼を開かせ、すべてを救済してくれるようにと願ったその心中には、もはや種の違いといったあらゆるものの境界は消え去り、この宇宙にあるものすべてが同体で、互いに調和している、そんな世界が拓けていたのだろう。
 石という無生物に苔が生え、大地や周囲の木々と一体化している奥之院の小さな祠を前にして、晩年の空海が達した境地について考えをめぐらせた。

 空海がすべての生きとし生けるものの救済と幸せのために願った、悟りという境地。その世界の一端を少しでも感じてみたいと、真言密教独特の瞑想法である阿字観(あじかん)を、金剛峯寺で体験したのは後日のことだった。

 阿字観とは、満月の形をした月輪(がちりん)の中に、大日如来を1文字で表した梵字が書かれた軸を掲げ、その前で、「あ」という言葉を心中で念じ、また声に出すことによって、大日如来と一体となることを感じる瞑想法だという。もっと言えば、大日如来は宇宙そのものを表すとも考えられていることから、宇宙と一体となる瞑想法でもあるらしい。

高野山の周囲の山々を望む。

 金剛峯寺の阿字観道場は、明るすぎもせず、また暗すぎもしない、どこか窟籠りを連想させるほの暗さだった。その中で、僧侶の指導により、幾人かの人と一緒に半跏座(はんかざ)、つまり片方の足を、もう片方の足の腿の上に乗せて座り、胎蔵界の大日如来と同じ印契を結んで深い呼吸を続ける。やがて、ふいにある映像が心中に浮かんだ。
 実は、阿字観体験をする一週間ほど前に、日本三大霊山の一つで、空海にまつわる伝承も残る北アルプスの立山連峰を縦走し、早朝誰もいない別山(べっさん)付近の尾根伝いで、雲一つない空に屹立する山々を拝んできたばかりだった。眼前に迫る山々の崇高さと清浄さ、そして何より、懐の深さのようなものに圧倒され、ただただありがたいと手を合わせた体験が、身体や意識のどこかに刻まれていたのだろう。しかも、自分が発した感謝の気持ちに対するお返しのような波動を、そのとき山々から受け取っていたようにも感じていたのである。
 そんな山姿が心中に現れ、同時にありがたいという気持ちが再び湧き起こった。さらに、温かいものまで込み上げてくる。この感覚をどのように捉えたらいいのかと戸惑う一方、新たな疑問も浮かんできた。そもそも悟りとは、どういう境地を言うのだろう。

「本来、悟りの一番の目的は、輪廻転生を脱出することです」

 そう話すのは、蓮華定院ご住職の添田隆昭さん。基本的な質問で申し訳ないと思いつつ、もやもやとした疑問を解消することができず、再度蓮華定院の門をくぐったのは、前回お話をうかがってから2ヶ月ほど経った冬のことだった。

「インド人にとって絶対普遍の原理だった輪廻転生は、基本的に善因善果、悪因悪果、つまり、自分が現世でした善行、悪行の結果は、来世で必ず自分が受け取るということです。しかも地獄は悪行の内容によって8段階、天国も33もの段階が用意されています。ですから、現世では善いことをしなさいということです。

奥之院の御廟へ向かう御廟(みみょう)橋の下を流れる川には、薄い木製の卒塔婆が並んでいる。水子の霊や水死者の菩提を弔うためという。

 もっとも、ほとんどの人は、特別な善行も悪行もしていませんから、前世の生き方に応じて、死後徐々に行くところが決まっていきます。生前に他人に施しをしなかった人は餓鬼になりますし、動物を虐待した人は動物に生まれ変わるなど、六道、つまり地獄、餓鬼、畜生、阿修羅、人間、天の6つの段階のどこかへ行くことになっています。

 その行き先が決まるのが、四十九日ほどかかるとされていますが、その頃になっても行き先が決まらない人がいる。そういう人は、四十九日のときに、人間界で仲睦まじくしているカップルを見て、男性の精子が女性の卵子に到達する瞬間に、そこに飛び込んで、生前の記憶を全部忘れてしまいます。そして、十月十日でこの世に生まれる。どのカップルを選ぶかは、生前の習性によって自分が決めているので自己責任です。つまり自分がその親を選んだということです。
 さらに、地獄の最下層の人たちも、気が遠くなるほど長い間拷問を受け、生前の悪行の負債が解消されたら転生してきますし、天国へ行った人も、生前の貯金を使い果たしたらこの世に帰ってきます。
 つまりインドでは、たとえば日本のように、「永眠」とか、「安らかに眠ってください」と言うような、死を永遠の休息と考える捉え方はなく、死んだら必ず生まれ変わってくる。逆に永遠に眠ることができないのが、インド人の考えた輪廻転生の世界です。ですから、お釈迦様が目指した悟りというのは、輪廻転生のサイクルから解放されて脱出すること、つまり解脱で、そのために修行をするわけです」

 一方、中国や韓国などの中央アジアや日本の人々は、死者の霊魂が近くの山にいると捉えるなど、インドとは違う死生観を持っている。仏教も、自ずと時代の変遷や伝播する過程でさまざまなものを取り込み、変化していくことになった。言い換えれば、それだけ仏教は寛容で、包摂的なところがある、ということだ。

「ちなみに日本で仏教儀式として行われている四十九日の法要は、純然たるインドの風習です。しかし一周忌と三回忌は中国風。お墓や位牌をつくることなどは、儒教の葬儀の仕方です。ですから、日本ではある時点まではインド風で、途中から中国風に乗り換えて、それを仏教という名のもとで儀式を行っているということです」

 なかでも密教は、とりわけ包摂的だと添田さんは言う。

 そもそも、紀元1世紀ごろに始まった大乗仏教、つまり、自分一人の悟りではなく、この世に生きるすべての者たちの成仏も、ともに考えていくという宗派の一派として生まれた密教は、ヒンドゥー教やバラモン教の神々や儀礼を取り込んで、宗教として体系化されていった経緯がある。教義と儀礼が整い、盛んになるのは7世紀ごろ。その後、隋から唐時代の中国で栄え、空海によって日本にもたらされた。

五輪塔は大日如来の象徴とされ、死者は大自然に還っていくことを表しているという。

 現在、一般的な悟りの意味を調べると、「迷いが解けて、真理を会得すること」とある。空海が説く即身成仏も、現実の身体をもって、過去、現在、未来の真理そのものである大日如来と一体となることを言い、悟りの境地を意味している。そして阿字観は、簡略化された修行法ながら、究極は即身成仏と同じ境地を目指しているという。

「阿字観という瞑想法は、インドのサンスクリットにおおいに影響を受けています。サンスクリットのアルファベットは、基本的には日本語と同じで『あいうえお』ですが、日本のように、たとえばKという子音+母音の組み合わせで、『かきくけこ』になるということはありません。『あかさたな』のように、すべての子音に『あ』という母音が含まれている。ですから、インド人にとって『あ』は、すべての言葉の始まりであり、同時に、すべての音に含まれているものです。言い換えれば、すべての言葉が『あ』という遺伝子を持っている子どもであり、すべての言葉の中心で、すべてに偏在しているということです。つまり大日如来を象徴している。ですから『あ』という文字を通し、大日如来と一体となることが可能だということです」

 大日如来と一体となる、ということは、自然と一体となることでもあるのだろうか。

「そうです。自然と一体化することは、瞑想の基本です。ただ、一体化するには、これは木であるとか、この花は美しいという先入観のもとに自然を見るのではなく、あるがままに見なくてはいけないのです」

 添田さんの話によれば、そもそも人間はものを正確に見ることができるのか、つまり主観と客観との対立を越えられるかということは、洋の東西を問わず昔から重要な問題だったという。
 西洋哲学でも、たとえばカントは、人間はある種の先入観を持ってものを選別し、自分の尺度ですべてを見ている、だから、ものを正確に認識することができず、よって、神の存在を見ることはできないと行き詰まる。
 では、神は存在しないのか。そこから思考は急に宗教的になり、人間の方から知ろうとすると限界があるが、ものの方から人間に働きかける能力もある。だから、本来姿のない神も、ある種の方法を用いて人間に現れる。つまり啓示があるから、人間は神を知ることができると方向転換されるのである。

 一方、仏も姿形がなく、人間には見えない。では、人間は仏と意思疎通ができないのか。
 その問題に対し、仏教はアバター、つまり化身を生み出した。

 インドでは、もともと我々の住む人間世界には無数の塵(ちり)があるという共通認識があり、化身も塵のように、この世界に遍満していると考えられている。

奥之院の御廟の橋の裏面には、金剛界36尊それぞれを象徴する種字(しゅじ/一字の真言)が刻まれており、川が凪いだ冬の午前中に限り水面に映し出される。

「たとえば、今は住宅環境が変わり、ほとんど見られなくなりましたが、昔は雨戸を閉めたとき、その隙間から太陽の光が差し込んで、無数の塵が舞っているのを見ることができました。普段は見えない塵が、太陽の光が差し込むことではじめてその存在を現すのです。同じように、我々が認知している世界には、同時に細かな塵の世界が存在し、その塵の中に、まさにナノサイズの仏様がいる。だから、この世界は無数の仏様に満たされていると考えたのです。その無数の仏たちは、それぞれ化身を生み出すノウハウとエネルギーを持っていて、絶えず我々を観察し、この人に何か伝えなければいけないと思った瞬間、化身を生み出します。そして、その口を通し、仏が言いたいことを伝える。つまり啓示です。
 ですから宗教というのは、洋の東西を問わず、行き着くところは一緒なのです」

 啓示というものを信じ切れるか。それが、信仰の有無の分かれ目と言えるのかもしれない。

 即身成仏でも、主観と客観の問題が立ちはだかる。

「自然を見ようとか、観察しよう、ものを見ようという気持ちがなくなった境地が、即身成仏です。自分と対象との垣根を取り払い、自分が対象となり、対象が自分となる。見ようと思う気持ちがなくなると、はじめて自然と一体となることが可能になり、逆に、対象の方から現れてくる。しかし、そのような境地になるのは難しい。そこで、自然が持っている空気の動きに自分を委ねることで、自分が見ようという気持ちをなくそうとした。それが呼吸法です」

 前述のように、塵の中には仏様がいて、この世界は塵によって満たされている。だから我々が息を吸えば、無数の仏様を吸い込んでいることになり、息を吐けば、無数の仏様を吐き出していることになる、という。

 阿字観体験で渡されたリーフレットにも、阿字観は「吐く息、吸う息に、ひたすら命の本源である『あ』の声を唱えて天地と呼吸を合わせ、『あ』の声と一つになって、宇宙の大生命を感得する瞑想法」と書かれている。

 だが、それを成就させるのは、自分のような一般人には至難の業だ。

 実は、添田さんから話をうかがった後、蓮華定院の本堂で毎夕行われている阿字観体験にも参加させていただいた。添田さんをはじめとする僧侶たちや、他の宿泊者と一緒に阿字観を行い、今度はただひたすら息を吸って吐くという呼吸に意識を集中させてみた。そのとき、今さらながら、自分が胎蔵界の大日如来像とそっくり同じ格好をしていることに気がついた。午前中に、根本大塔で大日如来像を拝んだせいもあるのだろう。と同時に、「ある」という言葉も浮かんだ。以前石鎚山(#11を参照)で感じたように、自分の身体は、本来ただ「ある」という存在であり、息を吸って吐く、いわば空気の循環装置のような入れ物で、それ以上でもそれ以下でもないと、ふと思ったのだ。
 もっとも、最初の阿字観体験に比べると、今回は理屈や思考が多分に勝っているように思われる。

 結局、空海の思い描く世界の一端さえつかめないまま、この旅は終わっていくようだ。

「経典の中にも、小さな杓で海水を掬い、それを飲んで海だと思うなと書いてあります。そして、自分が理解できないからと言って、経典が間違っていると思うな、それはお前の知恵が浅はかなのだと」

明神社秋季大祭の前に山王院で行われる法要で導師を務める添田さん。

 そう言って添田さんは、「私自身、自分の持っている小さな杓で、お大師様の思想を掬わないようにしなければと、常に思っています」と付け加えた。さらに、「悟った人間が書いた言葉を、悟っていない人間が勝手に解釈するなと、お大師様がおっしゃっているように思うときがあるのです」とも。

 生涯を仏道に捧げてきた僧侶でさえ、そうなのだ。それほど空海という人物は、そして、その思い描く世界は巨大だということだろう。

 最後に、空海という人物を通し、何をいちばん伝えたいと思うかと尋ねてみた。
「何を、ではなく、弘法大師という存在を知ってほしいです。わずか60年ほどの生涯で、その後の1000年間を生き続け、ときどき窟の中から現れて困った人を救っていると信じられている人物は、お釈迦様にも匹敵すると思うのです」

空海が入定して以来、1日も欠かさずに続けられているという生身供(しょうじんく)。毎日午前6時と午前10時半の2度、食事が御廟へ運ばれる。

 実は、そんな空海のことを「救世主」と表現した人物が過去にいる。戦国時代に、フランシスコ・ザビエルとともに、日本でキリスト教の布教活動を行ったイエズス会の宣教師、ルイス・フロイスである。フロイスは、のちの布教活動の資料のために、日本の宗教状況を詳細にバチカンに書き送ったが、その手紙が『日本史』という書籍にまとめられている。その中で、当時高野山には3000〜4000人の僧侶がいて、弘法大師が、数千年後に弥勒菩薩と称する仏とともに人間世界に現れ、世界を再建すると約束した救世主だと、今も固く信じられていると書かれているのだ。さらに、そんなことが可能なのはイエス・キリストだけであり、もし弘法大師にそれができるのであれば、彼は悪魔である。だから日本人を悪魔から救わなければならないと、キリスト教を布教する宣教師という立場で付け加えている。

御廟へつながる御廟(みみょう))橋の前で一礼。維那(ゆいな)と呼ばれる役職の僧侶をはじめ、3名で生身供に奉仕する。

 添田さんもその記述を読み、「人類史上、死後も生き続けている人間は3人いる」と考えるようになったと言う。

 1人はイエス・キリスト。死後3日目に聖母マリアの前に現れ、墓が空っぽになっていたことから、イエスの復活が信じられ、それまで単なるユダヤ教の小さなセクト(宗派)でしかなかった集団が、世界宗教に脱皮をする大きなステップとなった、というのだ。

 もう1人はお釈迦様。

「実は、大乗経典と呼ばれているすべての経典は、江戸時代の中頃まで、つまりお大師様の時代も、お釈迦様が説いた言葉が書かれていると思われていました。しかし、実際はお釈迦様が亡くなった500年ほど後に書かれているのです」

 もっとも、経典を書いた人たちは極めて真面目で、後世の人々を騙そうなどとは微塵も思っていなかったという。
 では、なぜそんなことができたのか。

「それが啓示です。瞑想しているときに聞こえてきた言葉を書いている。ですからなんの疑いもなく、私はお釈迦さまから聞きましたと、自信を持って書いています。つまり、インド人にとって、死後500年経っても、お釈迦様は生きていると100%信じられていたのです」

 そして、最後に弘法大師空海。

空海の御影(肖像画)が祀られている御影堂では、年に一度だけ、空海が入定した旧暦3月21日に内拝が許される。
多くの花が捧げられ、丁重にお供えが捧げられる。

 前述の萬燈萬華会の願文に、空海は次のような一文を書いている。

 虚空尽き、衆生尽き、涅槃(解脱)尽きなば、我が願いも尽きなん。

 つまり、すべてが尽きない限り、私は生命あるものすべての救済と幸せのために祈り続けると。空海のこの想いが、気の遠くなるほどの長い年月、弘法大師信仰となって人々を支え続けているのだろう。

奥之院萬燈会。空海が行った萬燈萬華会の精神を引き継いだ法要で、10月1日から3日にかけて行われる。

 空海は生きている。それぞれの心に。さらに、宗教とは門外漢の自分の心にも。つくづく空海という人物は、そして弘法大師は、さまざまな垣根を越える稀有な存在だと思う。

 頭上から鳥の声が聞こえてきた。
 長い旅もそろそろ終わり。何度も木々にこだまし、響いてくる鳥の声に見送られ、日々の暮らしへ戻ることとしよう。

堀内昭彦
写真家。ヨーロッパの風景から日本文化まで幅広く撮影。現在は祈りの場、祈りの道をテーマに撮影中。別冊太陽では『日本書紀』『弘法大師の世界』などの写真を担当。著書に『ショパンの世界へ』(世界文化社)、『おとなの奈良 絶景を旅する』(淡交社)など。写真集に『アイヌの祈り』(求龍堂)がある。

堀内みさ
文筆家。主に日本文化や音楽のジャンルで執筆。近年はさまざまな神社仏閣をめぐり、祭祀や法要、奉納される楽や舞などを取材中。愛猫と暮らす。著書に 『カムイの世界』(新潮社)、『おとなの奈良 心を澄ます旅』(淡交社)、『ショパン紀行』(東京書籍)、『ブラームス「音楽の森へ」』(世界文化社)など。

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