東大寺を通して空海に近づく
空海のたしかな足跡が残る東大寺。
一方で、「大仏殿よりもっと大きな、宇宙的な存在として、空海さんはいつもおられる気がする」と、東大寺執事長の上司永照さんは言う。さらに、「東大寺の修二会(しゅにえ。通称お水取り)も、ある意味空海的だと思います」とも。空海の教えも修二会の行法も、「こうでなければならないという範囲の幅が広い」というのだ。
大仏開眼と同じ年の天平勝宝4年(752)に始まった東大寺の修二会は、これまで一度も途絶えることなく毎年旧暦の2月、現在は毎年3月1日から14日間行われている。心身を徐々に清めていく前行、「別火(べっか)」も入れると約1ヶ月間。法会を勤めるのは、練行衆(れんぎょうしゅう)と呼ばれる11人の僧侶たちだ。
行中は、秘仏であるご本尊の十一面観音に、我々が日頃犯している罪を、練行衆が代わりに懺悔し、清浄な心身を得ることを通して悪業への報いである災禍を取り除き、すべての人々の幸福を願う「十一面悔過(けか)」と呼ばれる法要が厳修される。
なかでも密教の要素が濃いのが、咒師(しゅし)と呼ばれる役。洒水(しゃすい)をして堂内を清め、印を結んで真言を唱え、結界を張って四天王などを勧請(かんじょう)。最後に再び結界を張る。そんな現実界からちょっと浮遊した、理屈では説明できないこの役を、これまで上司さんは6回、東大寺真言院(空海ゆかりの灌頂堂が残る)住職の上野さんは2回務めている。
「真言を唱える場面もありますが、実は心の中だけで唱えるところが多く、あまり声に出して唱えません。それがプレッシャーではあります。声に出すと、間違えたら誰かが指摘してくれますが、心の中で唱えていると、間違えても誰もわかりません。わかるのは仏様だけです。特に十一面観音さんは秘仏ですので、より心の中を見透かされているという感覚を、咒師を務めることで強く感じるようになりました」と上野さん。
三鈷鐃(さんこにょう)という鈴を鳴らし、諸仏、諸菩薩、一切の神々を勧請するときも、種字(しゅじ=密教において仏尊を象徴する一音節の真言)を心中で唱えているという。
密教の影響についても、上司さんに聞いてみた。
「真言はお釈迦様が話していたインドの言葉を、そのまま訳さずに伝えています。意味はわからないけれども、お釈迦様の真の言葉をそのまま口真似するんです。印を結ぶのも、インドには、舞踊に見られるように、もともと手の指のかたちによって意思や感情を表現する習慣があり、お釈迦様もそれをやっておられた。その形をそのまま真似ています。もう一つは、観想して仏様と一体となる。つまり咒師は、密教でいう三密を行っているんです。ただ、それが修二会でもともとあったのか、修二会という行法をする中で、真言宗が世の中に広まってきて取り入れたのか、そのあたりはわかりません。でも、積極的に利用している。もし嫌なものだったら、なくなっていったと思うんです。修二会は国家のために行われる一方、オコナイや春迎えの行事といった民間の伝統行事のように、名もなき衆生、つまり、生きとし生けるもののためにも行われています。そんな行法に真言密教は馴染んだのではないかと思います」
では、空海と修二会に直接のつながりはないのだろうか?
「参籠されたという伝承はありますよ」と上野さん。
なんと! 空海が練行衆!
当時の修二会は、現在のように壮大で複雑でなく、シンプルな法会だったと考えられている。お堂も今よりずっと小規模だったという。それでも空海が参籠していたことが可能性として成り立つところに、この行法のとてつもなく長い歴史と重みが感じられる。
一方で、現実的な話もある。実は修二会では、行法中、空海の名前が読み上げられる場面がある。東大寺にゆかりある有名無名の人物の名前が記された『過去帳』に、「弘法大師」の文字があり、14日間の中で2度、膨大な数の人々の中の一人として、その名が読み上げられるのだ。
さらに、尊勝陀羅尼(そんしょうだらに)という呪文の一種を梵字で彫った版木にも、空海にまつわる逸話がある。尊勝陀羅尼は、お釈迦様の頭頂部から現れ出た、神通力が神格化した尊く優れた仏様に捧げる呪文で、音読して唱えると、同じ神通力が発揮されると信じられている。その霊験ある陀羅尼を、空海は世の人々を救うため輪の形に書き写し、板に刻んで二月堂に安置したという。のちにこの陀羅尼を広く普及させたいと考えた願海(がんかい)という僧侶が、北野天満宮に碑を建てて、尊勝陀羅尼にまつわるこの空海の逸話を碑文として刻んでいる。(現在は東寺が保管)
修二会では、そんな空海ゆかりの逸話を引き継ぐように、行法中、練行衆が、やはり輪の形に彫られた尊勝陀羅尼の版木を用いて、一枚一枚「陀羅尼札」を刷る「牛王(ごおう=牛の胆石)刷り」と呼ばれる時間がある。墨には稀少価値の高い生薬である牛王が混ぜられ、心身に効くお札になるという。
「この紙は水に溶けるので、陀羅尼の梵字を一字ずつ切って、お香水(ご本尊の十一面観音に捧げるため、境内の若狭井と呼ばれる井戸で汲み上げた水)に溶かして飲むんです。そうすれば病気が治るという信仰があるんです」と上司さん。
もっとも、修二会は密教の要素だけが濃いわけではない。たとえば、大中臣祓(おおなかとみのはらえ)と呼ばれる作法では、神道で用いる中臣祓詞(なかとみのはらえのことば)を、咒師が声を出さずに心中で唱えるほか、法会全体の最初と最後には、二月堂の三方を鎮守する3つのお社に参拝するなど、神祇信仰との結びつきも随所に見られる。
密教、春迎えの伝統行事、民間信仰、そして神祇信仰……。人々を救うために効果的なものは、なんでも取り入れる。そのあり方が、「修二会は空海的」だとする理由の根底にある。
さらに、「大仏開眼と修二会が同じ年に始まったことにも意味がある」と、上司さんは言う。
修二会の祈りは、行法中、大導師という役が威儀を正して唱える「天下泰安、風雨順時、五穀成就、万民快楽」という言葉に集約されている。上司さんは、この文言が、かつて聖武天皇が発布した詔の中の「乾坤(けんこん)相ひ奉(ゆた)かにし、萬代之福業を修めて、動植咸(ことご)とく栄えんと欲す(天地が安泰になり、よろず代までの幸せを願う事業を行って、生きとし生けるものがことごとく栄えることを望む)」と同じ意味だという。大仏様と修二会。両者の目指すところは同じで、それを成就させる方法として大仏様を造り、一方で、十一面観音に過ちを悔いる修二会を始めたというのだ。
「修二会は、もとは政治的な役割から国難を解消するために修するという面がありました。そこに、我々一人ひとりの幸せを祈ることが入ってきた。そのとき春は来なければならなかったのです。なぜなら、生きていくためには風雨順時でなければならないわけですから。しかもこの幸せは、人間のためだけでなく、『動植ことごとく』、つまり世界の、ひいては宇宙の生きとし生けるもののためなのです」
大仏様の大きさ、修二会の壮大さは、衆生を救いたいという切実な祈りの現れ。それは空海が生涯願い続けたことでもある。
東大寺を通して、少し空海に近づけた気がした。
堀内昭彦
写真家。ヨーロッパの風景から日本文化まで幅広く撮影。現在は祈りの場、祈りの道をテーマに撮影中。別冊太陽では『日本書紀』『弘法大師の世界』などの写真を担当。著書に『ショパンの世界へ』(世界文化社)、『おとなの奈良 絶景を旅する』(淡交社)など。写真集に『アイヌの祈り』(求龍堂)がある。
堀内みさ
文筆家。主に日本文化や音楽のジャンルで執筆。近年はさまざまな神社仏閣をめぐり、祭祀や法要、奉納される楽や舞などを取材中。愛猫と暮らす。著書に 『カムイの世界』(新潮社)、『おとなの奈良 心を澄ます旅』(淡交社)、『ショパン紀行』(東京書籍)、『ブラームス「音楽の森へ」』(世界文化社)など。