シダネルとマルタン展 SOMPO美術館

アート ニュース|2022.6.2
文=坂本裕子(アートライター)

「最後の印象派」。ふたりの巨匠が展開した継承と個性

東京・SOMPO美術館で、いま「シダネルとマルタン展」が開催されている。
 アンリ・ル・シダネルとアンリ・マルタンは、19世紀末から20世紀初頭のフランスで活躍した画家で、円熟期にはともにフランス学士院会員に選出されるなど、当時のパリでアカデミーの中核を担っていた存在だった。

1874年にアカデミーの方針に反旗をひるがえした若手芸術家たちにより開催され、のちに「第1回印象派展」と呼ばれるようになる展覧会で、新たな表現が誕生した19世紀後半。
 印象派の衝撃は、絵画のあり方、画家の意識の大きな転換をもたらし、以後、彼らを超えるべくさまざまな動向が生まれる。
 美術史において「ism(イズム)」として捉えられるこうした動向は、世紀末芸術から20世紀美術への展開として語られていく。

その言説の中で、前衛画家たちが克服すべき対象としていたアカデミスムの芸術家たちへのまなざしは、戦後、“旧弊なもの”として急速に歴史に埋もれていった。
 しかし、世紀末からモダニズムへと至るこの時代、フランスは文化、経済ともに空前の繁栄をみせた、いわゆる「ベル・エポック(美しい時代)」期であり、前衛的な芸術動向とともに、美術アカデミーも時代に合った変革期を迎え、支持を受けていたのである。

シダネルとマルタンは、このアカデミーにおいて、印象派の光と空気を捉える明るい画面を継承しつつ、新印象主義や象徴主義などの同時代の表現を吸収して、独自の画風を確立し、国際的にも評価されていた。
 作品は、穏やかで、ひそやかなニュアンスをまといながら、自然や身近な生活の情景が、「アンティーム(親密)」な情感とともに描き出されている。
 アカデミーにおける重鎮であったことと、「アンティミスト(親密派)」とも称された、その作品の穏やかさゆえに、これまであまり語られることのなかったふたりの画家は、近年フランス本国を中心に再評価が高まっているそうだ。

フランスの近代絵画史における“もうひとつの本流”であり、「最後の印象派」ともいわれるこの2巨匠をともに紹介する展覧会は日本で初めてのこと。
 ふたりの画業を、およそ70点の油彩、素描、版画で紹介する本展は、知られざる印象派の“末裔”を知り、その作品の魅力をたどれる絶好の機会となっている。

ふたりは、深い友情でも結ばれており、芸術観を共有しながら、各々の活動拠点において、異なる表現を追求した。
 会場は、両者の制作の拠点と主要な活動をテーマに、シダネルの章とマルタンの章が交互に配される。
 その共振と差異とともに、彼らの魂のつながりともいえる交流が感じられる構成は、それぞれの詩情豊かな表現にさらなる親密さを付加してくれるだろう。

アンリ・ル・シダネル

フランス北部のダンケルクで10代を過ごしたアンリ・ル・シダネルは、芸術的な環境に恵まれた家庭で、素直な気立てのよい青年に育ったようだ。絵を学ぶために出てきたパリでは、アカデミスムの巨匠アレクサンドル・カバネルの私塾に入る。
 師としては寛大だったものの、新しい潮流には厳しいカバネルらの率いるアカデミーの限界と、都会の喧騒になじめなかった彼は、ミレーのように田舎で戸外の風景を描きたい、と北フランスのエタプルに向かう。そこで制作した作品が1891年にサロンに入選、その奨学金でオランダ、イタリアで学ぶ機会を得た。

アンリ・ル・シダネル 《ベルク、孤児たちの散策》 1888年 ダンケルク美術館蔵(展示から)
彼の最初の重要な成功をもたらしたサロン出品作の1点が、シダネルの世界へと誘ってくれる。

アンリ・ル・シダネル 《エタプル、砂地の上》 1888年 フランス、個人蔵 ©Bonhams
フランス北部の小さな港町エタプルで、北の澄んだ光と空気の中に若い羊飼いを描いたこの作品は、1888年のサロンに出品された2点のうちの一作。そこには、印象派から引き継いだ明るい画面にとどまらず、どこかアンニュイな空気が満ちて、象徴主義に通じる内面性を感じさせる。

アンリ・ル・シダネル 《サン=トロペ、税関》 1928年 フランス、個人蔵 ©Yves Le Sidaner
南仏の小さな港町を描いたこの油彩画は、近景と遠景を影と光に分け、穏やかな色調ながら、建物を黄金色に染め、水面に反射する陽光の輝きを、不思議な静謐とともにみごとに描き出している。ヴェルサイユ宮殿で仕事をしていた建築家の家を訪ねた際に、この作品が飾られているのを見たシダネルが、これは習作のため修正を加えたいと申し出て、大幅な訂正をした後で持ち主に返却したというエピソードを持つ。本展では、実際に現地で描いた習作とともに並び、修正前の作品を彷彿させる嬉しい展示。

パリに移ったシダネルは、当時知識人たちの間で熱狂的なブームにあった象徴主義に触れることになる。画廊での初個展が成功すると、結婚後、妻とともにベルギーのブリュッセルやブリュージュへと旅する。この経験が、シダネルのその後の作品の方向性を決定づけることになった。
 すなわち、抑えた色彩で、穏やかな静謐の中に浮かび上がる、親密なのにどこか時空を超えた神秘的な雰囲気をたたえる町や家の情景である。

アンリ・ル・シダネルの展示から
彼の作品に決定的な方向性をもたらしたベルギー・ブリュージュをはじめ、イタリアや南仏を描いたみごとな習作の数々(左)と、シダネルが愛したフランスの小村・ジェルブロワで生み出された、“親密な”、しかし静謐な雰囲気の代表的な作品(右)たち。

ブリュージュの連作の成功により生活も安定した彼は、すでに友となっていたマルタンとともに1900年に新協会(ソシエテ・ヌーヴェル)を設立。その後、セーヌ川の北に位置する小村ジェルブロワをみいだして居を構え、自身で庭園を整えて、それらをモティーフにした作品が「アンティーム」たる彼の代表作になっていく。
 第一次大戦中にはヴェルサイユでトリアノンを中心にシリーズの制作に取り組んだ。
 そして1929年にフランス学士院の会員に選出され、1937年には会長も務めるなど、以後、硬直化したサロンの新しいあり方のためにマルタンとともに尽力することになる。

アンリ・ル・シダネル 《ジェルブロワ、テラスの食卓》 1930年 フランス、個人蔵 ©Luc Paris
ジェルブロワにおいて、庭や、庭から見える自宅の窓など、自身の身近(アンティーム)な世界を、落ち着いた色彩と構図により描き出していたシダネルを代表するのが、整えられた食卓のある庭の風景で、今日でも愛好家から最も人気が高い作品であり続けているそうだ。 こちらはその中でもひときわ色彩が鮮やかな一点。庭のテラスから、町を背景に望む食卓の風景は、静かに席に着く人を待つ食卓の青と、夕日(?)に輝く町の黄色のやわらかいハーモニーが優しく観るものを画面へと誘い、この町をこよなく愛した彼の想いにつつまれる。

アンリ・ル・シダネルの「ヴェルサイユ」シリーズの展示から
子どもたちの教育のために、ジェルブロワから移ったヴェルサイユで第一次世界大戦を迎え、そこにとどまらざるを得なかったシダネルは、その間トリアノンをはじめ、かつての王家の庭を「秘密を捉える」感覚で描き出した。その豊かな着想源から120点ほどの油彩画が生まれたそうだ。

アンリ・ル・シダネル 《ヴェルサイユ、月夜》 1929年 フランス、個人蔵 ©Yves Le Sidaner
シダネルがヴェルサイユの噴水を月夜に描いた一作。夕の画家、夜の画家とも呼ばれる彼の真骨頂ともいえる静謐な画面は、微妙な色彩の重なりが、図版や写真ではどうしても伝わらない。ぜひ会場でその“あわい”の美しさと、ひそやかなささやきを堪能して! 

アンリ・マルタン

 アンリ・マルタンは、南仏トゥールーズに生まれ、家具職人の父の下で、早くから正確なデッサンの才をみせる。画家になることを望んだ彼は、その実力で父を説き伏せて、パリで同郷の著名画家、ジャン=ポール・ローランスに学ぶ。1881年にサロンに初出品して1等を受賞、以後受賞を繰り返し、1885年にはイタリア滞在の奨学金を得る。それまでアカデミスムにのっとり歴史画・神話画のスタイルで描いていた彼にとって、このイタリア滞在が大きな転機となる。

アンリ・マルタン 《野原を行く少女》 1889年 フランス、個人蔵(展示から)
象徴主義の詩からインスピレーションを得て描いた作品が、マルタンの画風の確立を伝えつつ、画家への導入となっている。

理論よりも感情と本能で描くタイプであったというマルタンは、当時新しい色彩理論として整いつつあった新印象主義も、独自の筆触の並置へと展開させ、パリで象徴主義に触れると、表現は一気に暗示的なものへと展開していく。

都会での生活とともに、自然を愛し、人のいない制作の場を求めて南仏にも拠点を置いていた彼は、やがて目前に広がる自然の変化を写すことに注力していくが、この象徴的なエッセンスはその作品に深く通底して、ラバスティド・デュ・ヴェールやコリウールなどの制作において、独特の自然描写を確立するのだ。

アンリ・マルタン 《腰掛ける少女》 1904年以前 ランス美術館 Inv. 907.19.165 
©C. Devleeschauwer
神秘主義的な要素を主題にまとわせていたマルタンだが、1900年以降には、そうした要素を作品に示さなくなっていく。しかし、マルタンが制作のために過ごした南仏の町ラバスト・デュ・ヴェールの別荘マルケロルで近隣の少女を描いたこの作品には、身近な人物の姿ながら、どこか幻想的な雰囲気が漂い、その作風の内面に象徴的な要素が沈潜しているのを見いだせる。

アンリ・マルタンの展示から
初期の象徴主義の影響が強く見られる作品(左)から、コリウールとサン・シル・ラポピーにかわるがわる滞在し、自然と村の風景に魅了されて生まれた作品たち(右)。

アンリ・マルタン 《マルケロルの池》 1910-1920年頃 フランス、ピエール・バスティドウ・コレクション ©Galerie Alexis Pentcheff
1900年にラバスティド・デュ・ヴェールに大きな邸宅マルケロルを購入したマルタンは、絵のテーマにすることを意図して庭園を自身で造り、それは彼の主要な着想源であり続けたという。花に囲まれた半円形の池の風景は、彼が好んだ夏の情景だろうか。生き生きとした輝きとともに、ふと時が一瞬止まったかのような静けさも持つ。植物の濃厚な空気を感じつつ、ぜひ細部にも注目を! 花や草の間にはさりげなく青や茶や紫の色が点され、遠景の山とも呼応して、画面に心地よいハーモニーを生み出している。

アンリ・マルタン 《コリウール》 1923年 フランス、個人蔵 ©Archives photographiques Maket Expert
1910年の個展で成功したマルタンは、経済的にも落ち着いて、制作の場を複数構えた。そのうちのコリウールで描いた作品。季節や天候、時によりさまざまに変わる海の色は、マルタンを魅了したようで、バルコニーから見はるかす風景のほか、係留するヨットとともに港の風景も多く描かれた。このモティーフは、マルタンの今日の愛好家たちに人気なのだそう。筆跡も感じられるやや長めの点描で描き出される画面には、対比的な色彩の配置がより巧みになっていく様子をみて取ることができる。

アンリ・マルタンの展示から
右:アンリ・マルタン《マルケロル、テラス》1910₋1920頃 フランス、個人蔵
マルケロルに滞在して制作された作品たち。ブドウの実が赤くなる秋と、花が咲き乱れる夏がお気に入りで、家の中から描けるテラスも雨の情景を描くのに理想的な主題だったという。 右はその成果。しっとりとした空気とともに、しずかに降る雨音が聞こえてきそうな印象的な一作だ。

そしてマルタンのもっとも顕著な活躍は、大型の装飾壁画の仕事だろう。
 普仏戦争の敗北、パリ・コミューンなど、不安定な第三共和政時代にあって、その理念を市民に広く認知させるために、フランスでは記念碑の設置や公共建築物の壁画制作などが進められる。明るく抒情的な自然とそこに生きる人びとの生活を描くマルタンの作品は人気を博し、多くの注文が彼の元に来た。共和国を表す女神や、農業国フランスを象徴する農民の姿、さらには近代化されていく町の様子などを、鮮やかな色彩でおおらかに描き出した壁画は、それまで壁画作品を対象にすることを渋っていた審査員たちにメダルの授与を決意させるなど、壁画作家の地位向上にも貢献した。現在もこれらの作品はフランス各地に遺る。

右、下:アンリ・マルタンの大装飾画のための習作の展示から
現在もフランス国務院の壁を飾っているマルタンの壁画のための習作が一部屋を囲む。実際の国務院の写真もパネル展示されており、それぞれを比べながら、彼の構想を追える。 当時、多くの公共建築の装飾壁画を手がけたマルタンは、実際の制作に入るまでに多くの入念なデッサンや習作を繰り返し、それらはいずれも絵画作品としての力を持っていて、彼のたぐいまれな技量を感じさせる。しかし、というかそれゆえに、本画を手がける時には、これらの資料に縛られることなく、仕上げられていったという。
農村と都市の風景が対比的に描かれ、都市は、公共事業の様子が選ばれているが、そこには社会的な視点よりも、新しい都市への希望のような明るい活気が感じられるところに、「現代」のフランスを捉えたマルタンのまなざしが感じられるだろう。

アンリ・マルタン 《農業[フランス国務院(パリ)の装飾画のための習作]》 1918年 フランス、個人蔵 ©Archives photographiques Maket Expert
こちらは「労働」のテーマから「農業」を象徴する作品。陽の中で、麦刈りにいそしむ女性たちの姿が横長の画面に展開する。麦の黄色と、空と女性たちの衣服の青のコントラストが美しく、画面が輝くように感じられる。青と黄の収穫の風景は、ゴッホを思わせるが、マルタンの作品はもっと穏やかに、柔らかい響きを奏でる。

アンリ・マルタン 《二番草》 1910年 フランス、個人蔵 ©Archives photographiques Maket Expert
草刈りの様子を描いた作品は、額にあたる部分も補色を配した点描がほどこされ、新印象主義のジョルジュ・スーラを思い出させる。しかし、マルタンのそれは、厳格な色彩理論に基づいたスーラとは異なり、自由でおおらかな配色、筆致であり、静謐というよりは穏やかな生命感に満ちていて、印象派や新印象主義から習得したものを独自に展開しているのが感じられる。

1917年にはフランス学士院の会員に選出され、以後自身の仲間や親しい画家たちが選出されるよう尽力する。シダネルの会員選出も彼の働きかけが大きかったという。
 アカデミーの中枢にありながら、ふたりは新協会への出品も続け、「アンティミスト」として会を牽引していく。

シダネルとマルタンの出会いは、1891年のサロンで、社交的ではあるが荒っぽい気質を持つマルタンは、自分とは正反対で慎み深く穏やかなシダネルに惹かれる。それはシダネルの方も同じだったのだろう。ふたりは生涯を通じて親交を深めていった。第一次世界大戦中には、冬の間パリに滞在していたマルタンと、ヴェルサイユにいたシダネルは共通の画家友達の家でよく会っていたそうだ。

家族と友人の肖像の展示から
エルネスト・ローランやエドモン=フランソワ・アマン=ジャンなどの仲間とは異なり、マルタンとシダネルは肖像画家としての活躍はなかったが、家族や近しい友人の姿はよく描いていたようだ。 左はマルタンによる妻の肖像と自画像、そして親友シダネルと彼の義理の娘シモーヌの姿を描いたもの。
右はシダネルによる、友人の作家と、妻と息子の肖像画。 シダネルもマルタンの肖像を描こうとしたものの、「失敗して捨てた」と友人の画家に手紙で残しているのだとか。ちょっと残念なエピソードだ。

アンリ・ル・シダネル 《カミーユ・ル・シダネルの肖像》 1904年 フランス、個人蔵 ©Yves Le Sidaner
愛妻カミーユを描いたシダネルの作品。色彩を抑えたなかにも理知的なまなざしが印象的な美しさが際立ち、彼の愛情が感じられる。「私を完璧に分類したいと問われれば、私はアンティミストと答えるだろう」とシダネルは残している。

アンリ・マルタン 《アンリ・ル・シダネルの肖像[カオールの《戦争記念碑》のための習作]》 1931年頃 フランス、個人蔵 ©Yves Le Sidaner
マルタンがシダネルを描いたこの作品は、カオールの《戦争記念碑》のための習作であり、記念碑には、マルタンの友人たちが瞑想をする群衆として描かれてるのだそうだ。「多くの点(光と、すぐに移り変わる一瞬の光景に対する魅力)で影響を受けた20歳年上のクロード・モネ、最近亡くなったすばらしい友人のシダネル、そしてシスレー」と、インタビューの際にマルタンは出会った画家たちについて語っている。

シダネルが手術の麻酔が原因で77歳で亡くなった時のマルタンの嘆きは大きかった。
 その4年後に、ラバスティド・デュ・ヴェールでマルタンが83年の生涯を閉じると、人びとは最後の印象派の画家たちの死を悼んだが、第二次世界大戦の後には、急速に忘れられていく。

アカデミックなものを下地に、印象派の色彩と新印象主義の点描と象徴主義の内的表現をそれぞれに消化して、過去と現在を詩的につなぐ“親密な”情景で、ベル・エポックを彩り、人びとを魅了した「最後の印象派」のふたりの巨匠。

北と南の制作拠点、静と動の性格、淡く微妙な色彩の階層と鮮やかな光輝く色の対比など、対照的なシダネルとマルタンは、自然へのまなざし、身近なものへの愛着、画面に満ちる豊かな詩情において、そして何よりも印象派からそれぞれに独自の展開をみせた点で共鳴していた。
 歴史に埋もれていた“もうひとつの”印象派の遺産を、温かい友情とともに味わってほしい。

バラの花でいっぱいにしたシダネル自慢のジェルブロワの自宅庭園を散策するマルタンとシダネルの映像(展示から)
ふたりの交流が動画で感じられる嬉しい展示も。

シダネルとマルタンによる版画・素描コーナーの展示から
本展では、版画と素描、水彩が最後に一部屋にまとめられている。マルタンの装飾壁画制作のための素描は、それだけでも存在感があり、見ごたえ十分。シダネルでは小さなパステル作品が、どこか哀愁をもった優しさを感じさせ、とても印象的で、持ち帰りたくなる。

展覧会概要

シダネルとマルタン展 -最後の印象派、二大巨匠-
SOMPO美術館

新型コロナウイルス感染症の状況により会期、開館時間等が
変更になる場合がありますので、必ず事前に展覧会ホームページでご確認ください。

会  期:2022年3月26日(土)~6月26日(日)
開館時間:午前10時から午後6時(最終入館は午後5時30分まで)
休 館 日:月曜日
入 館 料:一般1,600円、大学生1,100円、高校生以下 無料
 ※身体障がい者手帳・療育手帳・精神障がい者保健福祉手帳を提示のご本人と
 その介助者1名は無料
 ※被爆者健康手帳を提示の方はご本人のみ無料
問 合 せ:050-5541-8600(ハローダイヤル)

展覧会サイト https://www.sompo-museum.org/



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