『三菱の至宝展』 三菱一号館美術館

アート ニュース|2021.8.27
文=坂本裕子(アートライター)

圧巻の名品揃いにみる近代企業人の教養の底力

丸の内のオフィス街にある三菱一号館美術館に、いま、日本の芸術文化史上、重要な名品が集結している。
 日本を代表する大企業、三菱グループは1870(明治3)年の九十九商会の設立を創業として2020年に150周年を迎えた。これを記念した展覧会『三菱創業150周年記念 三菱の至宝展』が開催中だ。

日本の近代化とその経済発展に大きな貢献をもたらした三菱は、戦後に財閥が解体されるまで三井、住友と並び三大財閥の一柱として発展する。
 その時代を支えたのが、初代の岩崎彌太郎から彌之助(弟)、久彌(子)、小彌太(彌之助の子)の4代にわたる社長である。
 彼らは、事業の拡大に加え文化財にも大きな関心を持ち、貴重な美術品や文献を収集、それらを後世へ残すために保存と公開を前提とした施設を創設する。
 それが静嘉堂、東洋文庫、三菱経済研究所として現在に継承されている。
 社会貢献の理念に根差した彼らの活動は、静嘉堂に約20万冊の古典籍と6500点の日本・東洋美術品(国宝7点含む)、東洋文庫に漢籍・和書・洋書など約100万冊(国宝5点含む)をもたらし、そのコレクションは、国内はもとより世界に誇れるものとなっている。

同展は、静嘉堂と東洋文庫、三菱経済研究所の所蔵品から選りすぐりの名品約100点が一堂に会する。前後期を合わせて国宝12点、重要文化財31点が揃う、まさに「至宝展」の名にふさわしい内容だ。
 三菱創業の4代の人物に注目、彼らを冠した4章で、各人の収集品の特徴とともに、引き継がれた意志、収蔵拡充の歴史を感じられる。

創業者の彌太郎は、明治の動乱の時代の起業とあって、充実したコレクションを形成するまでには至らぬものの、早くから詩才・文才にすぐれ、向学の志強く、漢学を学んだ彼が収集した漢籍を含む蔵書は、息子・久彌が築いた東洋文庫に引き継がれる。

第1章 三菱の創業と発展―岩崎家4代の肖像 前期展示風景から
彌太郎の一行書と、日本近代彫刻の先駆者とされる大熊氏廣の《岩崎彌太郎座像》。工部美術学校に学んだ大熊は、岩崎家の援助を受けてヨーロッパに留学した。この肖像は、彌太郎の死後、岩崎家の依頼により制作されたもので、羽織や座布団には細やかな模様もほどこされている。 左の茶入は静嘉堂の至宝のひとつ、《唐物茄子茶入 付藻茄子》(前期展示)。後期には同時期に収集された《唐物茄子茶入 松本(紹鷗)茄子》がみられる。

兄の事業を継いだ彌之助は、武家文化への憧れから刀剣収集に始まり、文明開化の名の下で日本の貴重な美術・工芸品が破棄されたり海外へ流失するのを憂い、収集範囲を広げていく。
 古美術ばかりでなく、同時代の作家たちへの支援にも熱心で、彼らの作品もいち早く収集に加えている。また、東洋・日本の古典籍の収集にも注力、これが静嘉堂のコレクションの核となった。

彌太郎が入手した深川の敷地(現在の清澄庭園・清澄公園)にコンドル設計による洋館を設立、そこに陳列室を設けて、社員や訪問者に公開もしている。一室ながら私立の美術館として、最初期の事例といわれている。

国宝《源氏物語関屋澪標図屏風》のうち「関屋図」俵屋宗達 江戸時代・1631(寛永8)年 (公財)静嘉堂蔵 【展示期間:8月11日~9月12日】
琳派の祖とされる17世紀の京都の絵師・俵屋宗達の晩年の代表作。源氏物語の14帖「澪標」と16帖「関屋」を対とした一双の屛風から、こちらは「関屋」。金地に様式化された関山の緑が鮮やかに映え、左に空蝉の、右下に源氏の牛車が、細やかな描写で配されて、平安の雅を近世の装飾的な世界に表している。 彌之助が醍醐寺復興のための寄進をした返礼として、寺宝から彌之助が自ら選んだというエピソードがある。

第2章 彌之助―静嘉堂の創設 前期展示風景から
前期には《源氏物語関屋澪標図屏風》のうち「澪標図」と、第4回内国勧業博覧会(京都開催)の出品作で、彌之助の援助で制作された橋本雅邦の《龍虎図屛風》がみられた。後期には同じ博覧会出品作で、今尾景年の、金地に水墨の精緻さが美しい《耶馬渓図屛風》を楽しめる。 中央の仏像は、京都の名刹・浄瑠璃寺の眷属として制作された十二神将たち。運慶に連なる仏師の手によるとされる活き活きとした姿は、鎌倉彫刻の傑作とされる。細やかな截金や彩色も残っており、360度から見られる嬉しい展示。

国宝《倭漢朗詠抄 太田切》平安時代(11世紀) (公財)静嘉堂蔵 【会期中場面替えあり】
藤原公任の撰による漢詩句と和歌からなる詩歌集である『和漢朗詠集』を、大陸から舶来した唐紙に、金銀泥でやまと絵風の草木の下絵を加え、漢詩はやわらかい草書体で、和歌は流麗なかな文字で書写した巻子の一部。書体の対比的な書き分けと、美しい唐紙にほどこされた装飾の華麗な調和が見どころ。 もとは一巻だったものが切り分けられたと考えられており、明治時代には別々の所蔵だったものを彌之助がそれぞれ入手、現在は二巻とも静嘉堂の所蔵となっている。

三代目の久彌は、米国留学の経験から蔵書の範囲を拡大、海外コレクターの収集品を一括して購入するなどし、アジアを中心とする古典籍を集め、東洋文庫を発足する。
 そこには、現在では入手不可能な稀覯本も多く含まれ、アジア最大級の東洋学術研究の図書館として、世界的に知られるものとなっている。

国宝の 《曜変天目》や《源氏物語関屋澪標図屛風》、《倭漢朗詠抄 太田切》といった静嘉堂が誇る名品はもちろんだが、特に、この東洋文庫の所蔵品がすばらしい。

国宝『毛詩』鄭玄/ 注、唐時代(7-8世紀)/書写、(公財)東洋文庫蔵 【展示期間:8月11日~9月12日】
儒教の五経のひとつ、『詩経』である。漢代の学者・毛亨(もうこう)と毛萇(もうちょう)が伝えたテキストのみが現存していることからこの名で呼ばれることもある。孔子が各地の民謡などを集めて編纂したとされる中国最古の詩集で、7-8世紀頃に唐代の中国で書写されたものが日本に伝来し、平安時代に注記が付されたそうだ。現存する『毛詩』の中でも最古のものに分類される、貴重な一作。

国宝『史記 秦本紀』司馬遷/撰、平安時代(12世紀) (公財)東洋文庫蔵 【会期中巻替えあり】
紀元前1世紀頃に司馬遷が著した歴史書で、およそ2500年におよぶ古代中国の歴史的出来事が記録されている。帝王の伝記を紹介する「本紀」のうち、「夏本紀」と「秦本紀」の2軸が東洋文庫に所蔵される。それぞれ異なる人物により平安時代に書写された2軸の巻頭には、京都・高山寺の朱印がある。後期展示では「秦本紀」がみられる。

中国古典の平安時代の書写『史記』、唐代に書写され日本にもたらされた『毛詩』から、チベットの仏典の一大コレクションに、14世紀に書写されたという豪華な『コーラン』、マリー・アントワネットが所蔵していたとされる『イエズス会士書簡集』、そしてシーボルトが日本滞在中に調査し、帰国後にまとめた美しいイラスト入りの『日本植物誌』など、まるで書物で世界を航海しているような気分になる。
 殊に、マルコ・ポーロが著した『東方見聞録』は、とりわけ貴重とされるラテン語版をはじめ、フランス語版、オランダ語版などが紹介され、膨大なコレクションの底深さを感じさせる。

左:『八千頌般若経』17-19世紀/書写チベット(公財)東洋文庫蔵
右:『写本チベット大蔵経』17‐19世紀/書写チベット 20冊の展示風景
7世紀前半にチベットに仏教信仰が拡がり、サンスクリット語の仏典をチベット語に訳す作業が8世紀末よりはじめられたという。これらを集成・編纂したものが「チベット大蔵経」で、紙を綴じずに一枚一枚積み重ねて、厚い板で挟んで保管される。『八千頌般若経』は、板に彫刻がほどこされ、本文は金文字で書写された美しいもので、信仰の対象とされたものと考えられている。 日本人として初めてチベットを訪れた、僧侶で仏教学者でもあった河口慧海が持ち帰ったものが、東洋文庫に寄贈された。

右:『東方見聞録』マルコ・ポーロ/口述、ルスティケッロ/著、1485 年/刊、アントワープ (公財)東洋文庫蔵
左:展示風景
ヴェネツィアの商人マルコ・ポーロが父と叔父とともに東方を旅した際に見聞したり体験したことを、ルスティケッロがまとめた旅行記は、黄金郷「ジパング」として日本を紹介していることで日本でもよく知られた著作だ。当初は写本で広がったが、15世紀後半からはヨーロッパで活版印刷の技術が実用化され、さまざまな言語の印刷本が刊行された。東洋文庫は年代が判るものだけでも約80種(!)を所蔵し、世界最多のコレクションを誇るのだそう。なかでも貴重とされるのがこの1485年のアントワープで刊行されたラテン語版である。

彌之助の息子・小彌太は、英国留学の後、4代目社長を継ぐ。このころから父の収集品を受け継ぎ、東洋陶磁と茶道具への関心を高め、静嘉堂を拡充する。
 世界に3点しか現存しないという奇跡の茶碗、静嘉堂の貌となる《曜変天目(稲葉天目)》を入手したのも小彌太であった。

唐三彩・宋磁・呉須赤絵・清朝磁器などの中国陶磁のみごとなコレクションと、豊臣秀吉が天正15(1587)年に開催した「北野大茶湯」を350年ぶりに再現しようとした「昭和北野大茶湯」で久田宗也の担当する席の道具組が再現されているのも、見どころだ。

国宝《曜変天目(稲葉天目)》 建窯 南宋時代(12-13世紀) (公財)静嘉堂蔵
焼成の段階で釉薬が変化し、見込の大小の斑文の周囲に青や虹色に輝く光彩が現れた「曜変天目」は、まさに偶然が生んだ奇跡といえる。完全な形で現存するのは世界に3点のみ。それがすべて日本に伝わっている。なかでも静嘉堂所蔵のものは、光彩がひときわ鮮やかで変化に富み、華やかな妖しさを持っている。形も美しく、外側の黒釉のたまりも味がある。 3代将軍徳川家光から、乳母の春日局に下賜されたものといわれ、その後、淀藩主稲葉家に伝来したことから通称がつけられた。茶人としても知られた小彌太だが、「天下の名器を私に使うべからず」と、生前この茶碗を使用することはなかったそうだ。

《青磁鯱耳花入》龍泉窯 南宋時代(13世紀) (公財)静嘉堂蔵
千利休所持といわれ、仙台藩主伊達家に伝来した青磁の花入は、西アジアのガラス製品のかたちを模倣したとされる。青磁は通常淡い青緑色で知られるが、胴の一部に酸化がかかり、貫入(釉薬の部分にできる細かいひび模様)が入って朽葉色の景色となっている。胴には一周ヒビが入っており、両脇に鎹止めがほどこされる。このヒビを砧打ちの響きにかけて、利休が「砧」と名づけたというエピソードを持つ由緒ある一作。 彌之助の早期の収集品で、昭和北野大茶湯の際には、無準師範の墨蹟とともに本席の床を飾ったという。

第4章 小彌太―静嘉堂の拡充 前期展示風景から
左:南宋の青磁の香炉、北宋の磁州窯の枕、景徳鎮官窯の染付や粉彩の器、唐三彩の馬型の俑など、いずれも一級品が並ぶ圧巻の空間。
右:昭和北野大茶湯の際に小彌太が提供した所蔵品たち。これも重要文化財のオンパレード。

関東大震災を経験した小彌太は、収集した文化財の保管と研究を意図して、父の霊廟のある世田谷に静嘉堂文庫を移設し、財団化して活用を図る。
 かつて父・彌之助は、丸の内に美術館を建設する構想を描いていた。いま、その丸の内での来年の展示ギャラリー移設へ向けて、静嘉堂美術館は準備中である。


まさに「至宝」が勢揃いの圧倒的な空間は、アジアとの深いつながりをもって発展し、継承されてきた日本美術の歴史をたどる、豪華で貴重な時間を過ごさせてくれる。
 同時に、近代企業人の広い視野と深い知識、そして高い社会貢献の意識をも強く感じさせる。
 そこには、創業者・彌太郎の向学心を受け継いだ後継者たちが、海外留学など世界との交流の中で学んだ、単なる西洋の模倣ではない、文化支援へのまなざしがある。
 明治から昭和初期、激動の時代とはいいながら、戦後、経済優先で疾走してきた日本にあって、この見識と矜持、そして剛毅をあわせ持つ存在がまぶしくも、うらやましくも感じられる展覧会だ。

展覧会概要

三菱の至宝展 三菱一号館美術館

新型コロナウイルス感染症の状況により会期、開館時間等が変更になる場合が
ありますので、必ず事前に展覧会サイト、美術館ホームページでご確認ください。

会  期:9月12日(日)まで
開館時間:10:00-18:00
     8/27、9/3、9/6~10は、20:00まで
    (入館は閉館の30分前まで)
休 館 日:月曜日(ただし8/30、9/6は開館)
入 館 料:一般 1,900円、高校・大学生1,000円、小・中学生 無料
 障害者手帳等の提示者は半額、付添1名は無料
 マジックアワーチケット:毎月第2水曜日17:00以降に限り1,200円

展覧会サイト https://mimt.jp/kokuhou12/

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