三代歌川豊国画「御好三階に天幕を見る図」文久元年(1861)筆者蔵

藤澤茜の浮世絵クローズ・アップ

「絵解き・江戸のサブカルチャー」
第10回  涼を運ぶ浮世絵―団扇絵の楽しみ方

アート|2025.6.9
文・藤澤茜

いきな団扇売り

 そろそろ梅雨入りの時期となりました。旧暦を使用していた江戸時代の夏は、四月から六月。当時の随筆によると、この時期に町中を行く団扇売りの姿がしばしば見られたといいます。涼を運ぶ団扇は、夏の訪れを知らせるものだったのでしょう。主に女性が使用する団扇は、粋な若い男性によって売り広められたようです。

鈴木春信画「笠森お仙と団扇売り」明和6年(1769)頃 東京国立博物館蔵 ColBase (https://colbase.nich.go.jp)
役者が描かれた団扇には、「春章画」「文調画」などの浮世絵師の名が見える。お仙が手にする団扇には、当時人気の女方役者、二代目瀬川菊之丞の家紋「結綿」が認められる。お仙は父が営んだ水茶屋、鍵屋の看板娘。胸元に鍵屋の紋である蔦の紋をつけている。

 鈴木春信によるこの作品には、手綱染の手ぬぐいで頬かむりをする粋な団扇売りが描かれています。かたわらには、役者の舞台姿や役者紋をあしらった売り物の団扇が並んでいます。役者の団扇絵は人気の商品で、この絵が描かれた江戸中期には一枚十六文(約400円)程度で販売されていたといいます。団扇売りと見つめ合うのは、美貌で評判となった笠森お仙という女性。谷中(現東京都台東区)の笠森稲荷の水茶屋の看板娘で、浮世絵に描かれるなどアイドルのような存在でした。この絵の団扇売りは、話題のお仙に逢いに来たのでしょうか。美男美女のその後が気になる作品です。
 江戸時代後期になると、団扇は店で販売されるようになったといいます。資源を大事にした江戸時代は、古着、古紙などのリサイクルが当たり前で、団扇も紙が破れた場合は骨組みを捨てずに新しい紙を貼って再利用しました。そこで登場するのが、浮世絵師によって描かれることの多かった団扇絵です。切り取って団扇に貼るため、未使用の団扇絵は貴重です。また、趣向の凝らされた作品が多くみられることも団扇絵の魅力です。歌舞伎役者、おしゃれな美人画、様々な名所など、浮世絵の一枚絵と共通する主題が多く、初代歌川広重、初代歌川国貞、歌川国芳などの人気絵師がこぞって作画しました。団扇は人前で使用することも多いため、浮世絵師にとっては、自分の作品が不特定多数の人の目に触れる絶好の機会と考えて、力を入れて作画したのかもしれません。いくつかの作例をご紹介しましょう。

いい役者団扇にしてもあおがれる

 これは江戸時代に詠まれた川柳です。浮世絵の主要画題でもある役者絵は、団扇絵でも好まれたテーマでした。江戸中期以降、役者絵は役者の似顔絵で描かれ、ブロマイドの役割を果たしました。人気役者が実際につとめた役柄を描くものもあれば、楽屋でくつろぐ姿や町中で夕涼みをする様子など、団扇絵には様々なシチュエーションの役者が描かれています。こうしたバリエーション豊富な図柄は、好きな役者の団扇を持ちたいというひいきの心理に応えたものでしょう。涼を運ぶ役割のほか、団扇絵は江戸時代の「推し活」グッズとしても需要があったのです。

歌川国周画「市村羽左衛門」慶応元年(1865)「俳優団扇画」より 国立国会図書館蔵
十三代目市村羽左衛門(後の五代目尾上菊五郎)の楽屋を描いた団扇絵。余白を切り取って手持ちの団扇の骨組みに貼り付けて使用する。家紋の橘があしらわれた浴衣姿で、一服しながらくつろぐ羽左衛門。限られたスペースにもかかわらず、鏡台や筆などの化粧道具、衣裳、鬘などが細かく描きこまれており、楽屋の様子が伝わる。

夕涼みといえば・・隅田川を描いた団扇絵

 夏の風物詩として、多くの人が楽しんだ隅田川での夕涼みは、団扇絵の格好の題材になりました。その中から、絵師の個性が光る作品を取り上げます。
 まず紹介するのは、風景画の名手であり、団扇絵を多く手掛けた初代歌川広重(1797~1858)による「江戸名所水のおもかげ 両国花火」という作品。屋形船での夕涼みを描いたものですが、タイトルにあるように両国橋近くで打ち上げられる花火は有名です。この絵にも花火が描かれているのですが、見つけられるでしょうか。
 川面をよく見ると、赤い小さな丸が数多く描かれています。実はこれが花火を表しています。当時の花火は赤い光のものが主流であり、浮世絵における花火はしばしば赤色で表現されます。屋形船の人々も、空を見上げるのではなく水面をのぞきこんでおり、こうした花火の楽しみ方もあったのかと面白く感じます。この絵は視覚的にも涼やかで、眺めていると川面を吹く風が感じられるようです。「涼しそう」というのは団扇絵の図柄でも重視されるところですが、実は団扇絵の中には、季節を大幅に先取りして冬の雪景色を描いた「寒そう」な作例が複数確認できます。夏の暑さと対極にある冬の寒さを連想させることで、涼を感じるという趣向です。当時の人々の洒脱な感覚が反映されていて、興味深く感じます。

初代歌川広重画「江戸名所水のおもかげ 両国花火」嘉永5年(1852)シカゴ美術館蔵
右上に描かれる船からは、女性と子供が川面をのぞき込んでいる。左の船の提灯に見られる赤い菱形の模様は、片仮名の「ヒ」「ロ」を組み合わせたもので、広重が好んで用いた。

猫好きのための団扇

 歌川国芳(1797~1861)も団扇絵の作例が多い浮世絵師です。国芳の団扇絵だけを集めた展覧会が開催されるなど(太田記念美術館「国芳の団扇絵 猫と歌舞伎とチャキチャキ娘」展 2024年)、趣向が凝らされた美麗な作品が多く確認できます。
 団扇絵の中でも人気のある美人画の作品を紹介しましょう。「にぎわいぞろい 両国のにぎわい」の背景には屋形船が集まる両国橋界隈の様子が描かれ、右奥には橋の西側にあった見世物小屋が確認できます。その賑わいを眺める女性は、髪形などから若い娘と考えられます。かわいい髪飾りや赤い団扇、おしゃれな着物など、女性たちが注目するポイントも多く、こうした団扇絵はファッション誌を見るような感覚で楽しまれたのではないでしょうか。

歌川国芳画「にぎわいぞろい 両国のにぎわい」安政2年(1855) 東京国立博物館蔵 ColBase (https://colbase.nich.go.jp)
この団扇絵は江戸の名所の賑わいを描いたシリーズ物で、ほかに浅草、富が丘などの作例がある。多くの屋形船や見世物小屋のまわりにはためく幟が、両国の賑わいを伝えている。国芳は美人画も得意としており、目の上に薄く紅を配して女性の美しさを際立たせている。

 国芳は大の猫好きとしても知られ、多くの浮世絵に猫を登場させています。擬人化された猫が夕涼みを楽しむ「猫のすゞみ」には、細部にわたり猫らしい仕掛けが施されています。細面の仇っぽい姿が印象的な右側の猫は、屋形船のお客を迎えに来た芸者と思われます。着物の裾にはアワビの模様。当時ペットとしても人気であった猫は大事にされ、アワビの殻をお皿替わりにご飯をもらったといいます。船頭の着物は足が碇のようになったタコの模様で、腰にさげた手拭いには猫の好物にちなみ「又たび」の文字が見えます。客の着物には小判の模様があり「猫に小判」という諺が思い浮かびます。アイディア満載のかわいらしい作品は、国芳の人気を高めることにもつながったのでしょう。こんな洒落た団扇を持って夕涼みに出かけたら、人気者になりそうですね。

 絵師が個性を発揮するために知恵をしぼり、購入者は好みのものを身近に置いて楽しむ―リサイクル、リユースの精神が行き届いた江戸の暮らしは、団扇絵のような豊かな作品を生み出しました。私も、夏に向けてかわいい団扇を常備し、暑さにそなえたいと思います。
 次回配信日は7月14日です。

歌川国芳画「猫のすゞみ」天保(1830~44)末 東京国立博物館蔵 ColBase (https://colbase.nich.go.jp)
擬人化された猫たちによる夕涼みの様子。タイトル部分が猫の好物の鰹節で囲われているなど、随所に猫にちなんだモチーフが描かれている。夕涼みの人々でにぎわう両国橋の右側に描かれた黄色い建物は見世物小屋。その外壁にはさまざまな名酒の商標入りの酒樽の菰(こも)が用いられたが、ここではその商標が猫の肉球の形となっており、国芳らしい遊び心が伝わる。

藤澤茜(ふじさわ・あかね)
神奈川大学国際日本学部准教授。国際浮世絵学会常任理事。専門は江戸文化史、演劇史。著書に『浮世絵が創った江戸文化』(笠間書院 2013)、『歌舞伎江戸百景 浮世絵で読む芝居見物ことはじめ』(小学館 2022年)、編著書に『伝統芸能の教科書』(文学通信 2023年)など。

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