「うつら春の日 夢心地」竹久夢二│ゆかし日本、猫めぐり#24

連載|2023.4.21
写真=堀内昭彦 文=堀内みさ

猫を通して日本を知る、「ゆかし日本、猫めぐり」。

第24回は、春の陽気に眠気をおさえられない猫ちゃんと、夢二の詩の世界をご紹介。

「春」

 モリモリ食べて、

 思いっきり遊んで、

 お日さまの下でゴロゴロ。

 でも、一番の楽しみは、お・ひ・る・ね。

 途中、視線に気づいても、

 すぐにうっとり、夢の中。

 ささやかで、
 でもけっして当たり前ではない、春の幸せ。

 今月の言葉
「うつら春の日 夢心地
 ヘチマコロンの にほやかさ
 肌はほのぼの 小麦いろ
 とてもイツトが なやましい
 コロン コロン ヘチマコロン」
           竹久夢二 「ヘチマコロンの唄」より「春」
          (参考 別冊太陽 日本のこころ221 『竹久夢二の世界』)


「竹久夢二」と聞いてまず浮かぶのは、情感豊かな女性の絵。ほっそりした身体、喜怒哀楽が曖昧な、ちょっと気だるそうな表情。ときに美しいうなじを見せ、壁に寄りかかるなど、しなやかなしぐさも魅力的な女性像は、「夢二式美人」と呼ばれ、当時の女性たちの憧れになった。
 もっとも、画家・夢二にはさまざまな顔がある。手がけた分野や題材も多岐にわたり、日本画や油彩画、水彩画、パステル画といった肉筆画はもちろん、版画の絵師としても500点を超える作品を遺している。加えて、雑誌の表紙や挿絵でも活躍し、自著以外の本の装幀も250冊以上手がけた。今でいうイラストレーター、ブックデザイナーでもあったのだ。さらに、千代紙や絵封筒などの紙小物の図案や、帯や浴衣の意匠を考え、企業広告にも携わるなど、グラフィックデザイナーとしての顔も持っていた。もちろん、詩人としても多くの作品を発表している。
 夢二、本名竹久茂次郎(もじろう)が生まれたのは、明治17年(1884)。岡山県邑久(おく)郡本庄村で育ち、18歳で上京した。当初は詩人志望だったが、「文字の代わりに絵の形式で詩を画」くようになり、やがて挿絵や絵はがきの図案を、新聞や雑誌に投稿。22歳のときに投稿雑誌に送った作品が1等に入選し、まず挿絵画家として画業をスタートさせた。売れっ子作家になるのは、初の著作『夢二画集 春の巻』(1909)が爆発的にヒットしてから。その後は自著、自装本の出版が相次いだ。
 多彩ながら、どれを見ても夢二らしさを感じさせる独特の画風を支えたのは、膨大なスケッチ。実は画業をスタートさせてまもなく、夢二は本格的に絵を学ぼうとした時期がある。だが、官展の審査員を務める人物から、美術学校で学ぶことは、かえって夢二の才能をつぶすことになる、「自分で自分を育ててゆかなくちゃいけない」と助言され、独学を覚悟。スケッチに次ぐスケッチの日々が始まったという。
 指針となったのは、最新の西洋絵画と浮世絵の複製。夢二が活躍した明治後期から大正時代は、西洋絵画の知識や技法が、日本に流入してまもない頃。国内では雑誌や画集が次々に発刊され、当時隆盛していた印象派の作品や、それ以降のゴッホ、ゴーギャン、セザンヌなどの作品も、いち早く紹介されていた。夢二は刺激を受けた国内外の作品をノートにスクラップし、試行錯誤を経て、独自の画風に昇華させていったのだ。
 今月の言葉は、ヘチマコロン(化粧水)の広告のために夢二が作った詩。本来は春夏秋冬、それぞれの季節に合わせてヘチマコロンが詠まれ、昭和5年の「東京朝日新聞」の広告欄には、絵とともに掲載されたという。音読すると、リズミカルな節回しに、気分が一気に弾んでくる。「うつら春の日 夢心地」──。ようやく迎えた春の喜びは、猫も人も同じようだ。


 今週もお疲れさまでした。
 おまけの1匹。

 春はあくびも長め?

堀内昭彦
写真家。ヨーロッパの風景から日本文化まで幅広く撮影。現在は祈りの場、祈りの道をテーマに撮影中。別冊太陽では『日本書紀』『弘法大師の世界』などの写真を担当。著書に『ショパンの世界へ』(世界文化社)、『おとなの奈良 絶景を旅する』(淡交社)など。写真集に『アイヌの祈り』(求龍堂)がある。

堀内みさ
文筆家。主に日本文化や音楽のジャンルで執筆。近年はさまざまな神社仏閣をめぐり、祭祀や法要、奉納される楽や舞などを取材中。愛猫と暮らす。著書に 『カムイの世界』(新潮社)、『おとなの奈良 心を澄ます旅』(淡交社)、『ショパン紀行』(東京書籍)、『ブラームス「音楽の森へ」』(世界文化社)など。

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